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深淵少女クリスタル  作者: 雨宮ヤスミ
[十八]深淵への到達
55/67

18-6

「最早、我々の間で行われるのは『狩り』ではない……」

 

 

 佐原サクラの体は熱に苛まれていた。


 熱は体の奥にこもって表面をあぶり、肌に細かい虫を這い回らせた。


 サクラは虫を取り除くために赤い肌をかきむしる。何度も何度も、爪を往復させる。肌は時に白い粉をふき、あるいはじゅくじゅくと膿を引きずった。


 汚い臭い醜い、と人はサクラを罵った。粉が付く、汁がかかると避けられた。サクラやサクラの持ち物が、他人に少しでも触れると「菌が付いた!」と大騒ぎになった。すぐに手を洗いに行くものもいた。抵抗すると蹴りや水が飛んできた。


 ある時などは、「お前の顔よりもこれの方が清潔だろう」と、トイレ掃除に使うブラシで顔を拭かれた。おぞましさに、サクラは顔の皮膚をすべて破り捨てたくなった。


 サクラは自分の中の熱を呪った。赤い皮膚を這い回る虫たちを、荒野のように乾いた肌を、湿地のように湿った膿を、自分の体から出るありとあらゆるものを恨んだ。


 もしも願いが叶うなら、すべてを取り去ってしまいたい、と願った。すべて取り去ることさえできれば、二度とこんな目に遭うこともなくなるだろう、と。


 その願いは叶うことになる。『君は不幸だ』と、世界にようやく見つけ出されたサクラは、毛玉から鍵をもらったのだった。


 かわりに怪物と戦わねばならなくなったが、それは些細なことだった。サクラにとっては、今まで彼女を痛め付けてきた連中の方が、余程怪物であったから。


 これできっと、人生はうまくいくようになる。サクラの胸は高鳴った。


 しかし、現実はサクラの想像と異なっていた。


 体の奥の熱を取り去っても、尚彼女の受難は続いたのだ。


『そんなことを言われてもね』


 サクラは毛玉に訴えでた。話が違うじゃないか、と。自分の思うよう世界を変えたのに、何故まだ傷つけられねばならないのか、と。


『君の体質は治っただろう? それが「最初の改変」で君が願ったことのはずだ。それに付随するあれこれまでは、私たちの関知するところではない』


 ああ、そうか。かゆくなくなったはずの肌をかきむしりながら、サクラはそこで悟った。


 わたしは、願いを間違えたのだ。あの連中を殺さねばならなかったのに、自分を変えることを選んでしまった。


 だったら。湿疹のない柔らかな皮膚が破けても、かつてのように血も何も出ない。


 今すぐそうすればいい。怪物を倒す力を、怪物に向けてやるのだ。


 そしてサクラは、すべてに火を放ち、生まれた街を離れたのだった。



 触れられるのが苦手なのは、あの時からだった。佐原サクラ――インカローズの脳裏に、忌まわしい思い出が火花のように瞬いて消えた。


 すべてを焼き払い、さ迷っていたインカローズを拾い上げてくれたのが、ブラックスターだった。


 当時のインカローズは戦闘力も低く、「カオスブリンガー」に入るには力が足りなかったが、それでも見限られなかったのは、ブラックスターの気まぐれか、あるいは……。


 いや、あの人の真意なんてどっちだっていいんだ。インカローズは、すがりつきたくなる手の平の記憶を追い払う。


 わたしはあの人に救われた。大人たちでも、「エクサラント」でもなく、あの人に、だ。


 それが全部だ。燃料は、それだけでいい。純粋な方がよく燃える。


 だから、あの人の隣にいるべきなのは別の誰かじゃない。わたしでなくてはならない。悋気などではなく、それが義務なのだ。


 ブラックスターの役に立つこと、それが「カオスブリンガー」の中での自分の役割だとインカローズは自負している。


 だというのに、今はこんなところで足止めか。


 インカローズは目の前の、パワーローダーに乗った邪魔者――浅木キミヨをにらみつけた。




「最早、我々の間で行われるのは『狩り』ではない……」


 少し落ち着いた口調に戻って、インカローズは続ける。


「お前は獲物ではなく、倒すべき敵となった。『狩る』のではなく、全身全霊をもって打倒を目標とすべき存在と認識した」

「そっか……」


 キミヨは「狩り」の開始前に、ラピスラズリから囁かれたことを思い出した。


(戦いになどなりません。これは一方的な『狩り』……)


 そこから考えれば、どうにかここまでこぎ着けたか、という気持ちになってくる。


「なら、遠慮なくいかせてもらうよ」


 キミヨはシート横のレバーを握る。パワーローダーのアームや脚部が自分と直接繋がっているかのような感覚が伝わってくる。


 炎もつかめるのだ。このままやれば、勝てる。


 レバーを大きく倒し、履帯を唸らせて、キミヨはインカローズに突進する。


「つかめ!」


 ペンチのようなマニュピレーターが開き、インカローズへと襲いかかった。


「接触、禁止」


 インカローズは再び炎の鳥に姿を変え、体を翻してアームから逃れ、空へ舞い上がった。


「上か!」


 キミヨが見上げると、炎の鳥は高度を上げていく。


「その『最終深点』では、飛行は不可能だろう」


 インカローズは翼を大きく羽ばたかせて、無数の炎の弾を放った。


 雨のように降り注ぐそれをキミヨは動き回ってアームを交差させて防ぐ。


「くっ……!」


 機体は揺れるが、ダメージはわずかだ。熱も感じない。キャノピーは「ジャングルジム」でスカスカに見えるが、防御力はあるらしい。


 とは言え、このままではじり貧だ。何とか上へ攻撃しないと……。


「想定よりも堅牢。ならば……」


 インカローズが怪鳥めいた声で鳴くと、その翼が大きく膨らんだ。


「より巨大な力で圧殺する!」


 膨れ上がった翼から放たれたのは、闇夜をオレンジに照らす、人の背丈の10倍はあるだろう巨大な火球であった。


「燃え尽きろ!」


 これは受け止めきれないな。勝ち誇った声と共に降ってくる隕石のような巨大な火球を前にして、しかしキミヨは怯んでなどいなかった。


 受け止められないのなら、壊せばいいのだから。


 キミヨは右のレバーの横についたスイッチを切り替えた。同時に、右アームの先端がマニピュレーターから大ぶりの黒い鉄球に変化する。


 モンケーンと呼ばれる鉄球をクレーンで吊ってぶつけて、昔はビルを解体していたそうだ。父親からそんな話を聞いたことがある。だから、使い方は分かる。


「砕けろぉ!」


 叫びと同時に鉄球を叩きつけると、火球に無数のひびが広がり、粉々に砕け散った。


「炎を、砕いただと……?」


 インカローズの驚愕の言葉を聞きながら、キミヨは自分の「気質」を正確に把握したように感じた。


 重くする、形のないものに触れる。それだけの力じゃない。存在に干渉すること、それが自分の気質(ちから)なのだ、と。


 そして、自分の「最終深点」の姿の意味も。


 これ、何だか懐かしいと思ったけど、そうか建設車両に似ているのか。これが心の深い場所から出てきたということは、キミヨにとってはこの上なく納得できることであった。


 幼い時からずっと見てきたし、何よりキミヨが「ディストキーパー」になった理由は、父親の会社を助けるためなのだから。


 だったら、あるはずだ。今は使われていないモンケーンなんてものを出せるんだから、空の上にいるインカローズに触れられるものが。


 キミヨは今度は左レバー側面のスイッチを切り替えた。左のアームはペンチ型のマニュピレーターから、フックに形を変える。やっぱりあった、クレーンのウィンチ。こんな使い方は邪道だけども。


「伸びて、捕まえろ!」


 キミヨは左のアームを大きく振るった。フックの先端が射出され、ワイヤーと共にインカローズへ向かっていく。


「しまっ――!」


 避けようとしたインカローズの足にワイヤーが巻き付き、フックの先端が刺さる。


「縮め!」


 キミヨはアームを引いてワイヤーを巻き戻す。


「ぐうぅぅ!」


 インカローズは羽ばたいて抵抗するが、キミヨは自分の体を「重く」して、一気に引っ張った。


「くぅわぁあ!?」


 悲鳴と共にインカローズは運動公園に落下する。


 今だ! 芝生の焼け焦げるにおいの中、キミヨは重さを「軽く」し、履帯を走らせる。


「ぐ、く……まだ……!」


 落下のダメージは大きいようだ。インカローズは炎の鳥の姿を維持できていない。更にウィンチを通じて直接「重く」もされており、立ち上がることもままならない。


「こんなところで、やられるわけには……! ブラスを守らねば……」

「あんただって、そうやって人を心配できるくせに――」


 距離を詰めながら、キミヨは鉄球を振り上げた。


「いつまでも、いじけてるんじゃあ、ないよ!」


 振り下ろされた鉄球は大地を砕いて、もうもうと土ぼこりを立てた。衝撃で芝生は大きく陥没し、隕石が落ちたかのようなクレーターを作り出す。


「何故……?」


 やがて土ぼこりが晴れ、インカローズはポツリと呟いた。仰向けに横たわり、叩きつけられた鉄球と、振り下ろしたキミヨを見比べる。


「何故、わざと外した……?」


 鉄球は、インカローズの体を飛び越え、十メートル以上先に着弾し、クレーターを作っていた。


 キミヨはワイヤーを引き上げて鉄球を回収し、インカローズを見下ろす。


「だってあたしには、ミリカを守りたい気持ちはあっても、あんたを殺す理由がないもの」


 「狩り」で殺されるのはたまったものじゃないが、さりとて返り討ちにせねばならない道理もない。キミヨは少なくともそう考えている。


「甘過ぎる思考。いつか火傷する」

「火傷ならもうさせられたよ、さんざんね」


 治ったけどさ、とキミヨは肩をすくめた。


「一つだけ聞かせて」


 キミヨは同じ質問を繰り返した。


「あなたにとって、ブラックスターはどういう存在なの?」


 インカローズは目を閉じた。思考を巡らせているようだった。


「甘さに助けられたのだ、拒絶は不可能か……」


 ため息と共にそう言って、インカローズは目を開く。


「かつて、助けられた。それからわたしは、ブラスと道を共にすることにした。その恩に報いるために」

「だから、守りたかった?」


 インカローズは一つうなずいた。


「そう。それに今は……」


 言いかけた時、南の空から大きな破裂音が聞こえた。


「何!?」


 全身を貫かれたような感覚をおぼえ、キミヨはそちらに振り返った。


 すると、夜空に稲妻のようなヒビが放射状に走っていた。


「駅の方……?」


 同じ方角に竜巻が上がっていたことをキミヨは覚えていた。つまり、ミリカとブラックスターの戦いに、何かがあった……?


「ブラス……!」


 つぶやいて、インカローズは立ち上がろうとしたが、まだ身体がうまく動かないようだった。「重くする」のは既に解いているのだが、あまりに負荷をかけすぎたためか、身体の中に力が残っているのかもしれない。


「ブラックスターが、あのヒビと関係あるの?」

「あれは、『インガの裏側』からこちら側に無理矢理に開けられた穴……。そんな強い力があるのは……あの人ぐらい……」


 ヒビはいよいよ大きくなって、遂に空の一部が音を立てて砕けた。


 穴の向こうに見えるのは灰色の世界で、インカローズの言うように「インガの裏側」に繋がっているのだろう。


「何よ、あれ……」


 キミヨは目を見開く。「インガの裏側」から、巨大な黒い影が穴を通ってその姿を現し始めていた。

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