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深淵少女クリスタル  作者: 雨宮ヤスミ
[十八]深淵への到達
53/67

18-4

「けれど、誇っていいですわ。ほとんどあなたの勝ちでしたもの」



 さっきまでは自分のできることすら分かっていなかったけど。


 「最終深点」に到ったランは飛来する攻撃をかわしながら思う、今は全部が思う通りに動くみたいだ。


「避けてばかりでは、始まりませんわよ」


 言ってろ、とランは水鉄砲から放たれた溶解液を後ろに跳んでかわす。


「お望みなら、攻撃してあげるよ!」


 ランが、真っ直ぐな剣となった得物でぐるりと自分の正面に円を描くと、空気中の水分が集まってくる。いつもよりも水分量が多いようだ。その証拠に、水分から作り出した剣の数は、50は下らない。いつもの倍以上だ。


「行け!」


 50の剣の切っ先をラピスラズリに向け、一斉にそれを発射する。


「数が増えただけですか?」


 水の尾を噴出しながら飛来したそれを、ラピスラズリは苦もなく全て撃ち落した。


 それは、分かっている。ランに動揺はない。だって、さっきも撃ち落されたから。


 今がさっきと違うのは、あたしが自分のできることをよく知ってるってことだ。


 ランは発射した時点で、既に次に使う水分を集めていた。今度は剣を横に薙いで半円を描いた。作り出すのは剣じゃない。


「おやおや」


 ラピスラズリは目を丸くした。ランの周りに現れたのは、彼女の無数の分身だった。


「こんなものまで作れるなんて、やりますわね」

「余裕かましてられんのも、今の内なんだから!」


 行け、と命じると、水から作られたランの分身たちは、剣を構えてラピスラズリに斬りかかった。


「そういう使い方では、あまり剣と変わり映えしませんわよ」


 ラピスラズリに溶解液を撃たれると、一撃にしてランの分身は元の水に戻る。耐久性が低いのは、作り出したランが一番よく分かっていた。


 だから数で勝負する。既に集めていた水分を使って、ランは分身の第二陣を用意していた。


「波状攻撃、というわけですか」


 溶解液を潜り抜けてきた分身の剣を避け、ラピスラズリは一歩後退した。


「根競べがお好きで?」


 二撃目を放ってきた分身を、右手の水鉄砲の銃床で殴りつけて水に戻すと、第二陣に向かって溶解液を乱射する。


「まだまだぁ!」


 ランは第三陣を作り出す。分身を作るのは剣を作るよりも消耗するようだ。さすがに疲れてきた。当然ながら、大きなものを作るのは負担が大きいらしい。また、精緻なものほど頑丈には作りにくいようだ。


 よし、ならばそろそろ行くか。第二陣最後の一体が、ラピスラズリに殴り倒されているのを目にし、ランは作戦を決行することにした。


 あいつはたくさんの分身に対応する内に、あたしの姿を見失っているはずだ。第三陣を行かせてすぐ第四陣を作り出すと、ランはそれに紛れて走り出した。


「おや、分身に紛れましたわね」


 ラピスラズリがそう言ったのが聞こえた。今までよりも、溶解液が飛んでくる量が多くなったように思う。ここで食らってたまるか、とランは分身を盾にしつつ、ラピスラズリとの距離を詰めていく。


「よくできました、が……」


 振り下された剣をやすやすと避け、ラピスラズリは手近のそれ回し蹴りを見舞う。その回転の勢いのまま後ろを向いた。そこには、背後をついて剣を振り上げるランの姿があった。


「サファイアさん、あなたの性格ならば、後ろから来ますわよね」


 溶解液で撃ち抜かれ、ランの体が溶けていく。


「……おや?」


 いや、溶けるのが早過ぎる。後ろから来たこいつは、ただの分身だ。では、本体は……?


「こっちよ!」


 振り返ったラピスラズリの足元、先ほど蹴り倒されたのがランの本体であった。


 ラピスラズリは、近付いてきた分身には溶解液を浴びせず、殴る蹴るで対応している。つまり近接攻撃を仕掛ければ、溶解液を浴びずに済む。それに気付き、この作戦をとったのだ。


 性格悪いって思われんのは癪に障るけどさ。ランは剣の刃を返す。ま、こいつにだったら何と思われたって別にいいか。


 下から振り上げた剣は、ラピスラズリの右腕を斬り飛ばす。よし、このまま――!


「惜しかった、ですわね」


 腕を斬られて、ラピスラズリはにっこりと笑った。ランが気圧された一瞬の隙に、ラピスラズリは右腕の切断面をランに向ける。大量の溶解液がそこから噴き出し、ランを襲った。


「あああぁぁあっっ!?」


 焼け付くような痛みに、ランはのけぞり、尻餅をついた。顔や胸を押さえて転がり回る。


「よい作戦でしたが……ごめんなさいね、わたくしの体には、この聖水が流れていますの」


 通常の「ディストキーパー」には、血液は流れていない。「インガの裏側」に住まう「ディスト」と同質の存在であるがゆえに、血液をはじめとした体液やそれを作り出す臓器が必要ないためだ。


 しかし、ラピスラズリの体には、人間であった頃の血液のように、溶解液が循環している。彼女が「ディストキーパー」として与えられた武器は、あの両手に持った水鉄砲ではなく、心臓の代わりに左胸に納まっている、溶解液を生成する装置なのだ。


「ですから、わたくしの体を普通の武器で斬り裂くことはできません」


 ランが取り落とした剣は、溶解液にあてられて刀身の半分が溶けてしまっていた。


 ラピスラズリは右腕を拾い上げると、無造作に切断面をくっつける。すぐに胴体とつながった。


「けれど、誇っていいですわ。ほとんどあなたの勝ちでしたもの、サファイアさん。ただ、主が味方してくださるのは、やはりわたくし……」


 溶解液で溶かされた顔を押さえ、うずくまりながら、ランはラピスラズリが近づいてくる足音を聞いていた。その足音とは、死の迫る音と同義である。


 痛い、熱い、苦しい。生き残っても、この顔戻るのかな。たくさんの感情や不安がランの心をかき乱す。


 だけど、死んだ方がマシかどうかは分からない。分からないから、あがくしかない。


 考えろ、あたしにできることを。


「お祈りなさい。せめて苦しまず逝けるように」


 水鉄砲の銃口が後頭部に当たった。このまま溶解液を撃ち出して、頭を溶かされたらきっと死ぬ。何とか、その前に――。


「では、ごきげんよ……!?」


 引き金を引こうとしたラピスラズリの体勢が崩れる。膝をつき、彼女はその原因を悟る。


「足が、切れて……?」


 ラピスラズリの左足は、足首の辺りで両断されていた。いつの間に、どうやって? と見やったランは、ゆっくりと起き上がり始めていた。


「溶解液で守られてるから、普通の刃は立たない、そう言ったよね……」


 ランは、溶解液をしたたらせながら表面を溶かされた顔を上げた。


「だったらさあ……」


 溶かされ爛れた胸元や腹部に残った溶解液が、顔から滴り落ちる雫が、分身を撃ち抜き道路を溶かして上がる白い煙が、ランの手の中へと吸い込まれていく。


「あんたのその聖水とやらで剣を作ったら、その守りも溶かせるんじゃないの?」


 集まった溶解液は、ランの手の中で刃渡り二メートル以上はあろうかという巨大な剣へと変わった。


「わたくしの聖水すらも、コントロール下に……?」


 片足を失ったラピスラズリは、動くこともできず、ただ座り込んだまま剣を見上げた。


「斬り、裂けぇ!」


 願いと少しの呪詛がこもった叫びと共にランが振り下した剣は、ラピスラズリを一刀両断、脳天から真っ二つに割った。




 勝った。今度こそ、間違いなく。ランは大きく息をついて座り込んだ。


 ラピスラズリがいた場所には、大きな水たまりが広がっている。


 落とした剣も、顔も胸もお腹も、溶かされた部分は徐々に治ってきているようだ。触れてみてランはホッとする。


 ともあれ、これで助かった。殺してしまったが、まだ実感はない。いつかその感触が蘇って、苛まれる日が来るのだろうか。そう思うと、後悔の念が気持ちが湧いてくるが……。


 そこへ、パチパチパチパチ、と拍手の音が背後から聞こえて、ランは文字通り跳び上がって驚いた。


「いやあ、素晴らしいですわ、サファイアさん」


 振り返ると、何事もなかった様子のラピスラズリが笑顔で手を叩いていた。


「ちょ、え? あんた、生きて……?」

「ええ。わたくし、聖水では溶けませんから」


 そりゃそうか、とランは思い直す。身体の中に流れているもので、その体が溶かせるはずがない。まだ戦わなきゃいけないのか、とうんざりしたようなランに、ラピスラズリは笑顔のまま首を横に振る。


「いえ、今回は、わたくしの負けです」


 まさかわたくしの聖水まで操ってしまうなんて、と感心したようにうなずく。


「つまり……?」

「『狩り』はあなたの生き残り、ということになりますわ」


 これはまたブラックスターさんにお仕置きされてしまいますね、とラピスラズリは妙にうれしそうな顔で肩をすくめた。


 助かったのか。そっちから殺そうとしておいてこの態度、ムシのいいヤツだとは思うが、生き残ったならこっちのものだ。こんなヤツと二度と戦いたくないし。


「この後は、仲間の皆さんを助けに行くなり、ご自由にどうぞ」


 もう戦いたくないし、助けに行く気なんてさらさらない。


「あんたは、どうするの?」

「合流地点へ向かいます。とは言え、今回は何人が帰ってこられるやら……」


 遠い目でラピスラズリはランの背後、駅舎を見上げる。「狩り」が終わった後の待ち合わせ場所があるらしい。


「最後に、サファイアさん。あなたのお名前、教えていただけますか?」

「な、何で……?」


 お前の名前は覚えたぞ、なんて言って復讐にでも来る気では、とランは警戒する。


「そう怯えずに。『狩り』で生き残った方には、敬意を表して伺っているだけですわ」


 おずおずと、ランはその名を告げる。


「……ランよ、水島ラン」

「ランさん、とおっしゃるのですね。わたくしはラピスラズリ、人の頃の名は河合ルリと申しました」


 では、また会うことがございましたら。言葉と同時にラピスラズリはどろりと溶けるように姿を消した。


 釈然とはしないが、ともかく生き残れたらしい。今度こそ本当に安心して……。


「!?」


 突如、背筋がゾクリとし、ランは背後の駅舎を振り仰いだ。星のない夜空に、あり得ないものが浮かび上がっている。


「空が……?」


 それは夜空を裂く亀裂であった。駅舎の向こう、南の上空に白いひび割れが蜘蛛の巣状に走っている。軋むような音を立てながら、空が割れ始めていた。

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