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深淵少女クリスタル  作者: 雨宮ヤスミ
[十七]狩りの時間
46/67

17-2

「あんたの正しさなんてそんなもんかい?」

 

 

 駅の裏手で立ち上った竜巻は、鱶ヶ渕のどこからでも見えるほど巨大なものだった。


 無論、それはすぐに「インガの改変」によってなかったこととなり、すべての人々の記憶からは消えた。


 ただ、「ディストキーパー」たちを除いて。


 彼女らにとってあの竜巻は、「狩り」を告げる角笛となったのだった。




 駅から遠く離れたマンションの屋上から、篠原スミレはあの竜巻を目にした。


 ミリちゃんだろうな。スミレはそう見当をつけた。誰と戦ってるんだろう。


 まあいいや。すぐにスミレは竜巻に背を向けた。そんなことより早くあの黒いのを探さないと。


 スミレには、ミリカやランのような他の「ディストキーパー」を感知する力はそなわっていない。目で探さねばならないのなら、とスミレが思い付いたのが、高いところに上ることであった。


 ただ、その目論みは成功したとは言い難い。


 うーん、全然分かんないや。スミレがマンションから下りようとした時、彼女に声をかける者が現れた。


「いやー、探しましたよ……なーんてね」


 三つ編みにメガネのタイガーアイだった。変身前の姿であっても、スミレはすぐに敵と認識していた。


「お前、悪者の一人だな」

「まあ、そうだね」


 悪者、と呼ばれたことにだろうか、タイガーアイは苦笑う。


「でも、お前に用はないよ」


 サイドポニーを揺らして、スミレはタイガーアイをにらみつけた。


「あの黒いのは、どこにいる?」

「ブラッさんかい?」


 タイガーアイはすぐに見当をつけた。あるいは、スミレがそう言い出すと分かっていたかのようですらあった。


「どうして探してんの?」


 だからその一言は、とぼけているように聞こえた。


「決まってるだろ!」


 怒鳴って、スミレは「ホーキー」を取り出した。


「オリエの仇を討つんだよ!」


 両脇の下の「コーザリティ・サークル」に「ホーキー」を差し入れて変身し、スミレは槍の穂先をタイガーアイに向ける。紫がかった電流が、その切っ先に弾ける。


「仇か……」


 メガネを押し上げて、タイガーアイは頭を振った。


「それでブラッさんを探すのは、お門違いだゆ」


 取り出した「ホーキー」を左手の平に差し込み、タイガーアイも変身する。


「オリエにとどめを差したのは、あたしだかんね」


 わざとらしく大きな音を立てて、タイガーアイはハンドキャノンを動作させる。


「ウソだ、お前みたいな弱そうなやつに……!」


 スミレの視線が少し揺らぐ。それを見て取ったか、タイガーアイは笑みを浮かべた。それはどこか肉食獣じみて見えた。


「なら、あたしよりそのオリエが、いっそう弱かったってことさね」

「なんだと!?」

「試してみるかい、お嬢?」


 簡単な挑発に乗ってきたスミレに、嘲笑うような顔を向けた。


「いいさ……だったら!」


 スミレの体が帯電していく。いや、スミレ自身が雷の塊に変わっているのだ。


「お前から、倒してやるだけだ!」


 紫がかった光を放ち、スミレは地を蹴った。自らを轟く雷鳴に変えて突進する秘技「フリント・ロック・ライトニング」である。


 音速の攻撃はかわせない、そうスミレは判断したのだが……。


「え!?」


 雷化を解いて、スミレは立ち止まる。突進する目標、タイガーアイの姿が消えたのだ。


「くっ、どこだ……?」


 屋上を見渡しても、タイガーアイの姿はない。超スピードで移動したとか、そういうものではない。そう、気配ごとこの世からかき消えたかのようだった。


「どしたのお嬢?」


 その声は背後から聞こえた。振り向き様、反射的に槍を突き出す。


 タイガーアイは難なくその切っ先をかわすと、懐に潜り込み、ハンドキャノン下部のクローでスミレの胸部を切り裂いた。


「あ、ぐ……く……」


 倒れそうになるのを涙目で踏んばり、その足で再度「フリント・ロック・ライトニング」を仕掛ける。


「見てから余裕でしたーん」


 突進は虚しく対象を見失った。声だけを残して、またもタイガーアイの姿が消えた。


 何なんだ、これは! 苛立ちながらもスミレは槍を掲げる。


 姿を消そうと、ここにいることは確実なんだ。だったら、ここを雷で塗りつぶせばいい。


「『ジャッジメント・サンダー』!」


 スミレを中心にした円の範囲に、何条もの雷が降り注ぐ。正に屋上を塗りつぶすような雷であったが――


「画面全体攻撃ってのは、大抵安全地帯があるんだよね」


 タイガーアイの声は、またも背後からだった。それも、鳴り響く雷の中でも明瞭に聞こえるほど近く。


 まさか……!


 タイガーアイはスミレの背後にほとんど密着するような位置に立っていた。雷を放つスミレの周囲、半径にして一メートルに満たないそこは、正に雷の落ちない「安全地帯」だった。普通ならば、こんなに接近されるということは、考えられない。


 振り返ったスミレの目に、ハンドキャノンの砲口が映る。


「SMAAAAAASH!!」


 奇声と共に発射された種を腹に受け、スミレは吹き飛ばされた。鉄柵をぶち抜き、槍を取り落として、空中に投げ出される。更にそこへ、黒く固い弾丸の雨が降り注ぐ。スミレをここまで吹き飛ばした、ブドウ弾が弾けたのである。


「うぁああぁぁっ!?」


 黒く小さな種に体を貫かれ、悲痛な声と共に、十五階建てのマンションからスミレは落下した。


「にゃはははは、大成功」


 軽くそう笑いながら、タイガーアイはマンションの屋上から飛び降りると、ネコ科動物のごときやわらかい着地で、スミレの元に降り立った。


「が、く……」


 来ちゃった、戦わないと……! 必死に身を起こそうとするが、うまく行かない。


 「ディストキーパー」の死は、心の死である。死を認識しない限り、どれ程のダメージを受けようとも「ディストキーパー」は不死身の存在と言える。


 スミレはどうにか、落下の衝撃と痛みを死とは認識しなかった。オリエの仇討ちという目的は、それだけ彼女の中で大きいのだ。


 だが、体の再生は追い付いていない。元々攻撃と速さに特化した「ディストキーパー」であるスミレは、防御や回復の力が乏しいのである。


「おや、お寝んねかい、お嬢?」


 動けないスミレを見下ろして、タイガーアイは鼻を鳴らした。


「ゲームオーバーには、まだ早いんじゃにゃいかに?」


 スミレは歯噛みした。身体の全部の骨が折れたみたいに、動こうとすると痛みが邪魔をする。その痛みよりも悔しさの方が強くその身をあぶっていた。


「返事もできないみたいだし、これでおしまいにするかね……」


 タイガーアイの体は光に包まれ、それが晴れると姿が変わっていた。


 黄色に変わったコスチュームには、その名に含まれた猛獣のような黒い縞が刻まれる。変身後も身に付けていたメガネは、トランスオレンジの近未来的なバイザーとなった。最も大きな変化は、その武器であるハンドキャノンを両腕に装備するようになったことだろう。


「こいつが『最終深点』さ」 


 起き上がろうとして身をよじるスミレに、タイガーアイは獣めいた動きで飛びかかり、馬乗りとなった。


「ひっ……あ……」

「弱っちいねえ」


 声を漏らすスミレの頬を、タイガーアイはハンドキャノン下部の爪で撫でた。


「お嬢、あんたの正しさなんてそんなもんかい? 悪者に追い詰められて、やられちまう程度のものなのかい?」


 タイガーアイの言葉は、悔しさに薪をくべて火力を上げた。


 そうだよ、ボクが正しいんだ。こんな悪者に、ましてやオリエの仇に負けるわけにはいかない。スミレは素早く自分の体の状態をチェックする。


 今なら、右腕はどうにか動くようだ。スミレはその手でタイガーアイの脇腹をつかむ。


「ん?」

「く、らえ……!」


 破裂音を響かせて、タイガーアイの体に電流を流す。避けられたから負けそうなんだ。攻撃を当てさえすれば……!


 だが、タイガーアイは何事もなかったかのようにスミレの顔を見下ろしている。


「んー? 今、何かしたの?」


 からかうようにタイガーアイは、クローの腹でスミレの頬を軽く叩く。


「ダメだよ、そんなせこい攻撃じゃ」


 効きやしないんだ、と今度は左のクローでスミレの胸元をなぞる。


「あたしゃネコどころかトラだよ? 電気ネズミにだって、そう簡単に噛まれやしないんだからさ」


 みしり、とスミレの胸に爪が食い込む。


「ぎっ……あ……」


 スミレが眉をしかめるにつれ、タイガーアイの口角は上がっていく。


「おっやー、あれで終わりかい、お嬢? 槍がなくっちゃ雷も呼べないのかい?」


 できないかい? 顔を近付けてくるタイガーアイに、スミレは背筋が寒くなった。とても手に負えない、はね除けることのできない大きな力が覆い被さってきているかのようだった。


「さあ、雷を落としてご覧よ、ほら、ほら……」


 黒い雲が降りてきて、空のすべてを埋め尽くす。逃げ出せと黒雲は唸りを上げて、スミレの心を覆っていく。


「ほらぁ!」

「うわああぁあっ!!」


 スミレは大声を上げた。悲鳴にも似た軋んだ雄たけびと共に、心の黒雲から落ちた雷が、タイガーアイを打った。


 激しい電流を受けて、タイガーアイはのけ反り、天を仰いだ。


 だが、それだけだった。


「いいねえ、ぞくぞくするよ」


 体から煙を上げながら、変わらぬ口調でタイガーアイはスミレを見下ろす。ふーっと息を吐いた。


「でもダメだな。まだまだ届かないんだよ、お嬢」


 カチカチと音が鳴る。自分でも知らぬ間に、スミレは震えて歯を鳴らしていた。


「そんなんじゃ仇討ちなんてできやしない」


 力が違いすぎる。震えを止めることができなくなっていた。


 仇討ちなんて、もう無理だ。オリエに急に会いたくなった。そうだ、オリエだ。オリエなら何とかしてくれる。助けて、助けてよ……。


「……こりゃ、本当に終わりだね」


 タイガーアイはどこか残念そうにため息をついて、光の失せた目で震えているスミレの胸をえぐる。


「い……あ……!」


 そしてその傷口に小さな種を埋め込むと、立ち上がった。


「え、あ、ああ……」


 種はスミレの傷口から道路に根を張り、するすると茎を伸ばし葉をつけ、生長していく。


「まあこんなもんだよね」


 植え付けられた植物が育つのに合わせて、びくびくと痙攣するスミレに、タイガーアイは退屈そうに肩をすくめた。


「そのまま逝きな、地獄でオリエさんが待ってるよ」


 植物はつぼみをつけ、やがてスミレの体を覆うほどの大輪の花を咲かせた。


 ひときわ大きく震えて動かなくなったスミレに、タイガーアイは背を向ける。


 ま、あの人も、自分であんたに手を掛けなかった分、幸せだったのかもしれないがね。


 誰にも届かない場所に、そうつぶやきながら。

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