15-3
「門を叩きなさい、そうすれば開かれる。魚を欲しがる子どもに蛇を与える親はおりません。『インガ』というのは、そのようなもので……」
駅へと続く道の途上、キミヨは「カオスブリンガー」の一人、ラピスラズリと出くわしていた。古着がたくさん入った袋を抱えたラピスラズリは、同じく「カオスブリンガー」のインカローズがミリカを「狩り」の獲物として見定めた、とキミヨに語った。
「殺されたくない? けれどね、トパーズさん。滅びの時は必ず来るものです。この服の持ち主たちのように」
古着の袋を示す彼女に、キミヨは眉をひそめる。
「どういう……?」
「この街の治安にも、少し貢献させていただいた、ということですわ」
袋の中はよく見ると、龍だの虎だのの刺繍がされた派手な服が多いようだった。この服の持ち主たちのように滅ぶ? それに治安に貢献って――。ふと、アキナが陰でしていた「世直し」のことが脳裏をかすめた。
「あなた、まさかその服、人を殺して……!?」
「塵から生まれた者たちを、塵に帰したに過ぎません。何かいけないことかしら?」
首をかしげるラピスラズリに、キミヨは思わず掴みかかった。
「あら、怖い怖い」
簡単に身をひるがえしてかわすと、ラピスラズリは上品ぶって笑う。
「待ちなさい!」
「『狩り』まではまだ時間はありますわ。そう死に急ぐこともないでしょう」
それに、とラピスラズリの浮かべた笑みは、沈む前の三日月のように見える。
「あなたがすべきは、わたしと戦うことでしょうか?」
「どういう意味……?」
ラピスラズリは、あの笑顔のまま首をかしげる。
「あなたのお嫌な『インガ』を、わたしは伝えました。後はそれをどうするか……」
「避けたい、って……ミリカのこと?」
「門を叩きなさい、そうすれば開かれる。魚を欲しがる子どもに蛇を与える親はおりません。『インガ』というのは、そのようなもので……」
では、ごきげんよう。スカートのすそをつまんで一礼すると、ラピスラズリの体は闇夜の中に溶けるように消えた。
一体どういうつもりなのか。キミヨは大きく息をついた。ヒントのようなことを言って、何かの作戦なのか、それともただの気まぐれか……。まったく見当がつかない。
「キミちゃん、どうしたの?」
不意にかかった声に、キミヨは顔を上げる。
そこにいたのはスミレであった。私服姿で、見覚えのある野球のキャップをサイドポニーの上に斜めにかぶせている。そう言えば、家はこの近くなのだったか。
「泣きそうな顔してる……」
「ちょっとね」
首を振って、その顔を無理やりに追い払う。
スミレなんて、オリエを殺されてとても傷ついてるんだ。あたしが泣き言を言ってるわけにはいかない。少しでも、元気づけてあげないと。
たとえこの後、殺されてしまうかもしれないのだとしても。
「スミレは……平気そうね」
「ディスト」に少し殴られただけで泣いてしまう打たれ弱いスミレだというのに、泣きはらしたような跡もない。
そればかりか、きりっとした表情ですらある。心なしか小柄な彼女が大きく見えるようだ。
「うん、ボクね。決めたんだよ。オリエの仇を討つんだ」
「仇を……」
相手が強くても関係ない。そう顔に書いてあった。固く結んだ唇と、真っ直ぐな目は決意を湛えている。
「だってオリエは遺してくれたんだもの」
はいこれ、と巾着の中から琥珀を一つ取り出して、キミヨに握らせた。
「この琥珀は……?」
透かして見ると、土の塊のようなものが入っている。何かの役に立ちそうには感じないが、「インガ」の情報量だけは多そうに見える。
「オリエが死んだら仲間に渡すように、って。それで、心に思い描いたことをやれって。一緒に入ってた手紙に書いてあったんだ」
それって「計画」がらみのことなんじゃ。急に琥珀がいかがわしく感じられた。
「あたしに渡していいの?」
「うん、三つ入ってたんだ。アキちゃんは別に受け取ってたみたいだし……」
「えーと、一個はスミレの分よね? これをあたしにくれて、三個目は?」
「ランちゃんに渡そうと思ってるんだ」
「ミリカじゃなくて?」
スミレはうなずいた。
「今のミリちゃん、琥珀とかいらないんじゃないかなあ……」
「何でそう思うの?」
「だって、何だかちょっと違うもん。オリエも、変だって言ってたし」
またオリエ先輩の言うことを鵜呑みにして、とはキミヨは今度ばかりは言えなかった。同じようなことを、キミヨも考えていた。
今ラピスラズリの話していたこと。ミリカがキミヨやアキナにも語っていないこと。そして何よりも、キミヨ自身が抱いていた感覚。別の時空から来たあのミリカは、何だか「ディストキーパー」のルールに従わない何かのような、ふとそんな気配がする時がある。
「そっか……」
だから、深くは追及せず話を戻す。
「ランをこれから探すの?」
「そのつもり」
キミちゃんすぐ見つかってよかったよー、とスミレは笑う。そうか家知らないもんな、とキミヨはうなずいた。
「ランの家は知ってる? スミレの家の近くだよ」
「そうなの?」
「あいつ小学生の時、学区ギリギリだったから」
キミヨとアキナ、そしてランは小学校が同じだった。当時は大して絡んだこともなかったっけ。あの頃のランは地味な感じで、休み時間によく教室のオルガンを弾いていた記憶がある。音楽関係で有名な家族がいるとか、そんな話も聞いたことがあったっけ。
「でも家にいるかなあ? ランちゃんってすぐ逃げるし」
「いやあ、逆に家に引きこもってるかもよ」
我ながら酷い会話だな、と思いながらキミヨは携帯電話を取り出す。親の会社が上向いてから買ってもらったものだ。何かあった時のために、と番号を交換しておいてよかった。
「聞いてみるね」
何コールかして、返事をしたのは機械音声だった。電源が切られているか、電波の届かないところに……。あいつ、とキミヨは顔をしかめた。
「どうしたの?」
「このタイミングで電源切ってる。どっかに逃げ出したのかも……」
「どっかって、どこ?」
「鱶ヶ渕の外、とか?」
逃げ出せるのだろうか。
もしできるなら、キミヨも逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが……。スミレの顔を見て、キミヨはその考えを追い払う。この子だって、必死に戦おうって気になってるんだ。
「駅の方なら、まだいるかも……」
「そっか! ありがとうキミちゃん!」
やっぱり頼りになるね。そう言うスミレに、キミヨはついて行ってやりたくなった。
でも、それはあたしがスミレに一緒にいてほしいだけなのかもしれない。そうやってぶら下がるのはよくないことだ。それを自制できるぐらいには、キミヨはまだ冷静だった。
「気を付けてね」
キミちゃんもね。うなずいて、スミレは駅へと駆けて行った。
さて。キミヨは少し暖まった気のする胸の辺りを撫で、ラピスラズリの言葉を思い返す。
向こうの作戦か、それとも別の意図があるのか。それを判断する材料はないが――今できることは一つだけだ。キミヨは琥珀を握りしめる。
ミリカを守ろう。向こうがミリカを見つける前に、わたしがそのインカローズを探し出そう。得体が知れなくても、ミリカはミリカだ。遠く時空を超えて、滅びの未来を避けるために来てくれたのに、こんなところで死なせたくない。
あたしにもっと力があれば。キミヨは歩道の端の花壇を見やる。例えば、触れずに物を重くできたりしたら……。
その時、花壇のレンガに前触れなくひびが入った。
これは……。握りしめた手を開き、キミヨは淡い輝きを放つ琥珀を見つめた。




