14-3
「一人でも生き残る方がいいよ」
「パサラ、一つ教えてくれ」
重い沈黙を破って、アキナさんが目を開きました。
「あたしらが、あの『カオスブリンガー』と戦って、勝算はある?」
わたしを含めた四人の視線が、一斉にアキナさんに向きました。
「ちょっと、戦って勝つ気ぃ?」
水島は「逃げようよ」と言いたげでした。
「そっか、それしかないよね」
スミレが顔を上げてうなずきます。水島は救いを求めるようにキミちゃんの方を見ましたが、キミちゃんも「そうね」と言うのです。
だから水島は、わたしの方に視線を移しました。「あたしに賛成して逃げようって言え」と、その目は口ほどどころか口以上に物を語っていましたが、わたしはそれに従いませんでした。
「逃げても、追ってきそうだから……」
「うー、まあ、そうだけどさ……」
あの人たちから逃げる難しさは、水島も感じていたようでした。
「で、どうなのパサラ?」
キミちゃんに尋ねられて、パサラはその落書きみたいなシンプルな目をつむりました。
『はっきり言って、全滅するだろう』
目をつむったパサラから放たれたのは、無慈悲な現実でした。
「だよな」
知ってた、とばかりにアキナさんは首を振りました。
「だよな、って! え、何? アキナも勝てないと思ってるのに戦うとか言ってるの?」
信じらんない、と水島は口元を手で覆います。
「戦えば死ぬし、戦わなくても死ぬ。ならあたしは、最後まで戦いたいよ」
「あたしも。さすがに無抵抗で死んでやるほど、お人好しじゃないし」
キミちゃんが同意するのを見て、「意味分かんない」と水島はこぼします。
「ボクも。オリエの仇をとらなきゃだから」
スミレの手を、キミちゃんはそっと握ってやりました。
その横顔を見て、キミちゃんは怒っているんだな、とそんな気がました。きっと、オリエ先輩を喪ってしまったスミレのために。誰かのために怒れるのが、浅木キミヨという女の子なのですから。
「ちょっと、何よコレ……」
勘弁してよー、と水島は頭を抱えてうずくまりました。
「パサラ、あんたらから『狩り』やめろとか、そういうのってできないの?」
さっきのやりとりを覚えていないのでしょうか。この期に及んで見苦しいほどです。
『できない』
パサラも呆れているのか、簡単にそれだけ言いました。あまりにばっさり切り捨てたので、わたしなんてつい笑ってしまうところでした。
『そんなことよりアキナ』
瞬きを何度かして、パサラはアキナさんの方に向き直ります。
『君一人ならば、生き残れるかもしれない』
「何?」
「ちょっと、一人ってどういうことよ!」
遂に水島はパサラをはっしとつかみました。
「何なの!? 何であたしじゃなくてアキナなの!?」
『君では無理だよラン。頼むから、話に水を差すのをやめてくれないか』
ガクガクと揺さぶられながらも、パサラは平時の口調のままでした。
「あたし一人なら……『最終深点』か?」
『そうさ』
水島の手からするりと逃れて、パサラはアキナさん眼前に迫りました。
『オリエの遺した琥珀、あの中に君の『最終深点』へ到る記憶が入っている』
「記憶……?」
パサラは体を縦に揺すりました。
「それがあったら、生き残れるってこと?」
話を妨害するなと言われたのに、水島は首を突っ込んでいきます。生き汚いというか、何というか……。そこまで生にしがみつけるのが、少々羨ましくすらなってきます。
『だから、君では無理だよラン。それはあくまでアキナの記憶なのだから』
アキナさんはポケットから琥珀を取り出しました。琥珀の中には、赤い炎のようなものが透けて見えています。見つめていると、何となく触れ難いような気がしてきます。
「確かにそれ、アキナ専用って感じがする……」
水島も感知の能力を得たらしいので、それに気付いたのでしょう。奪おうとしたりもせずに、引き下がりました。
「パサラ、あたしが『最終深点』になって、戦えばいいんだな」
『ああ。そうさ』
「カオスブリンガー」は「狩り」では通常、一対一を好むのだそうです。今頃、誰が誰と戦うか決めているところだろう、とパサラは言います。その一対一に勝利できれば、原則的にその人は見逃してもらえるとのことでした。
『彼女らは「強さ」というものに絶対の価値を置いている。獲物を狩ろうとして負けたのなら、それは狩る側の実力が足りなかっただけだ、と考えるのさ』
メンバーの仇討ちにやってくる、という心配もないようでした。
「つまり、あたしが一対一を終わらせてから、他のみんなを助けに行けば……。いや、最初から固まって一人ずつ集団で囲んで……」
「いや、それ無理じゃない?」
考えるアキナさんに、キミちゃんが口を挟みます。
「パサラの言うアキナの勝機ってさ、一対一の時の話よね?」
『そうだね。五対五の乱戦となった場合の、鱶ヶ渕側の生存確率はゼロに等しい。だが、バラけた場合は生存確率は跳ね上がる』
「それ、あたしが一人だけ生き残るってことだろ?」
じゃあダメだよ、とアキナさんは頭をかきます。
「一人でも生き残る方がいいよ」
ぽつりとキミちゃんがそう口にしました。
「誰かが生き残る方が、みんな死んじゃうよりよっぽどいいよ」
キミちゃんの顔を、わたしは見ることができませんでした。思い出したのです、わたしの時空でこの子が死んだ時のことを。自分を犠牲にしてわたしを逃がして。その時は背中しか見えなかったけど、きっと今と同じ顔をしていたのでしょう。
「あたし達はさ、死んだら最初からこの世に産まれなかったことになるでしょ? 死んだら、家族も誰もあたし達のこと、覚えてないんだ」
普段は遠くにあるはずの「死」というものが、薄皮一枚隔てたところにやってきた今、キミちゃんの「ディストキーパー」についての再確認は、生々しくまとわりつくようでした。
「でもさ、『ディストキーパー』なら記憶は改変されないでしょ? 一人でもいたら覚えていてくれるじゃない」
「だからあたしだけ生き残れって……? そんなの……!」
「嫌だ、って?」
先回りされて、アキナさんは一瞬口ごもってから「そうだよ」とうつむきました。
「あたしも嫌だよ。でも、もう避けられないじゃん」
ならば少しでもいい方を選びたい。キミちゃんは、そういう気持ちのようでした。
「……何でだよ」
アキナさんはうつむいたままつぶやきました。
「何でいつも、肝心なときに力が足りないんだよ……」
アキナさんが琥珀を握りしめた時、スミレが「あー!」と声を上げました。
「そうだ、そうだよ……。アレがあったんだった……」
「スミレ……?」
みんなの視線を集めても、それが分からないかのようにふらふらと立ち上がって歩き出しました。
「おい……」
呼び掛けられて、スミレはぽつりと言いました。
「ボク、やんなきゃいけないこと思い出したから」
後でね。振り返らずにスミレはそのまま駆け出していきました。
「あ、あたしも」
いい頃合いだとでも思ったのか、水島が恐る恐る立ち上がりました。
「か、帰るわ……」
きびすを返して、正に逃げるように走って行ってしまいました。
「あたしも、帰るね。家族とお別れしなくっちゃ」
「待てよ、まだ何か方法が……!」
笑ったはずのキミちゃんの顔は、何だか泣き腫らしたように見えて、わたしも一緒に涙をこぼしてしまいそうでした。
「じゃあね、アキナ。ミリカも……」
行ってしまう後ろ姿に、わたしもアキナさんも声をかけることができませんでした。
残されたのは、わたしとアキナさんだけでした。パサラはいつの間にか姿を消しています。
顔を見合わせると、アキナさんは疲れきっているかのようでした。
「ミリカ、お前の時はこんなこと……」
わたしは首を横に振りました。
「だよな……」
アキナさんは、手の中の琥珀に目を落としました。
「オリエ先輩がさ、この中に『全部の答えがある』って言ったんだよ」
アキナさんは、トウコさんについてオリエ先輩に尋ねたそうです。すると、この琥珀を手渡してオリエ先輩は飛び出していったとのことでした。
「トウコ、か……」
アキナさんは琥珀をつまみ上げて、太陽に透かしました。
「シイナだかタイガーアイだかが、言ってたよな」
あたしが殺した、って。
ドキリとして、わたしは息を飲みました。
「お前のとこでは、そのトウコは生きてたんだよな?」
うなずきながら、わたしは考えをめぐらせました。
「カオスブリンガー」がやって来たことは、わたしがいた世界との大きな違いです。
しかし、よく思い出してみたら、そういう違いはもっと早い段階から始まっていたのです。
わたし達が「ディストキーパー」になる前、先代の人たちが死ぬきっかけになった内輪揉めの頃から……。
「もしかしたら、ミリカが前に言ってたのとは全然違うことが起きてたのかもな」
わたしには、オリエ先輩から聞いた知識しかありませんから、実際に何が起こったかは、そこから推測することしかできません。それもあの人のことですから、嘘やごまかしが混ざっているでしょうし、正確なところは実際何も分かりません。
ただ、アキナさんが握っている琥珀、それについては少し思い当たることがありました。
「そこで何があったかも、『最終深点』になる方法も、全部この中か……」
「あの、それ、もしかしたら、なんですけど……」
わたしはつっかえつっかえ説明しました。その琥珀が、わたしの時空ではアキナさんを足止めするために使われたかもしれないものだということを。
「足止め……オリエもそんなようなことを言ってたな。それに使うつもりだったって……」
(あら、あの時のように動けなくなるかと思ったけれど――)
わたしの時空、あの屋上でオリエ先輩は姿を現したアキナさんとの問答の時に、そう言っていた記憶があります。
「動けなくなるくらい、辛い記憶が、眠っているのかも……」
アキナさんは優しく笑ってわたしの頭を撫でました。
「心配すんな。何があったって、何をやってしまったんだって、全部に勝ってみせるさ」
ああこの人は。わたしはまた込み上げてくるものに負けそうでした。本当に強い人です。
どんな過去であろうと、飲み込んで踏み越えて、前に進もうというのですから。
「ミリカのこと、ディアが呼んだんだって」
出し抜けに、アキナさんはそんなことを言いました。
「ディアは特別な『ディストキーパー』らしい」
詳しいことはあたしもよく分かんなかったけど、とアキナさんは頭の後ろをかきます。今となっては、確かめるすべもありませんし。
「『エクサラント』そのものだとか、オリエはそんなことを言ってたよ」
まったく意味が分かりませんでしたが、わたしはうなずいておきました。
「エクサラント」そのものなんて人が、簡単に死んでしまうのも、大して強くないのも不可解です。
「それがどんな事情であれさ、ミリカが来てくれたこと、あたしはよかったと思うよ」
ありがとうな。
わたしは息が詰まりそうでした。この人にそんな言葉をかけてもらえるなんて。もったいなくて、涙が出そうです。
わたしには、そんな価値もないのに。
「あたしも帰るわ。きっとまた、生きて会おうな」
差し出されたその手を、わたしは握りました。ぶんぶんと二回振って、アキナさんは去って行きました。
左手の中に琥珀を握りしめて、戦いに赴くような張りつめた顔で。




