8-2
わたしが怪物になる前に、この手で殺したかつての――仲間でした。
こうして帰ってきたのに学校へ行かねばならないのは、月曜日の数十倍憂鬱でした。世界を変えてしまった後とはいえ、学校が嫌なところなのは変わっていませんから。
それに、とわたしは鞄に教科書を入れる手を止めます。そうです、会ってしまうのです。わたしが塵に変えてしまった、大切にしなくてはならなかった人たちに。
何という気まずさでしょう。消しゴムを借りたり、次の授業の教室を確認したりするだけでも、いたたまれない気持ちになるわたしです。
それがよもや、滅ぼしてしまった相手に会わねばならないなんて。それを思い返して、八十年は嫌な気持ちにひたれることでしょう。砂漠の底で永遠が永遠でなくなるのを待っていた方がマシなくらいの。
とはいえ、学校に行かないという選択肢は見当たりませんでした。イケニエとなっていた頃ですら、仮病の一つも使えないほどのグズだったので。逃げることをすぐ考えるくせに、逃げ出すほどの度胸もないのがわたしなのです。
教科書を詰め終わって、鞄を閉じました。早くキッチンへ行かねばなりません。
親が起こしにやって来るのは、絶対に避けなければならない事態の一つです。そんな面倒をかけるような娘だと、見られたくありませんでした。
きゅっと唇を結んで、わたしはドアを開けました。
両親は、わたしが塵にしたことなど知らない様子でした。わたしのよく知る、いつもの朝の光景でした。糾弾は行われない可能性が少し高まって、気持ちは教科書一冊分くらいは軽くなりました。ただし、美術なんかの薄い教科書ほどですが。
両親の様子を見ても、彼らと挨拶をかわしても、不思議と懐かしい気持ちはわいてきませんでした。当たり前すぎたからか、それとももっと別の理由からかは分かりませんが。
朝、部屋を出てまずすることは、お父さんを見送ることです。必ず、お母さんと二人で「いってらっしゃい」を言う取り決めでした。だから、寝坊はできません。寝坊したら、お父さんが出るのが遅くなって、迷惑をかけてしまうからです。
その後朝ごはんを食べ、歯みがきなどをしてから、いってきます、と家を出ます。お母さんはわたしの後に出るので、さっさと出なくてはなりません。ここでグズグズすると、迷惑がかかってしまいます。
玄関のドアを閉めて、わたしは大きく息を吐きました。
ここまで、何事もなかったかのように進みすぎて、怖いくらいでした。
学校までの道のりも、ただ当たり前の風景として流れていきます。わたしは少しうんざりしていました。懐かしさのようなものは一切なく、これがまた繰り返すのかと思うと、砂の底よりも暗い気持ちになってきます。
繰り返すって、いつまで?
ふと、そんな問いが浮かんできて、ぎくりと足を止めました。
いつまでって、それはもちろん……もう一度、この街を人を滅ぼしてしまう、まで?
言うまでもなく、最悪最低の選択でした。また、同じことを繰り返すつもりだったのでしょうか、わたしは。まったく顧みることなく、同じ間違いの道をのん気に歩くつもりだったのでしょうか。
過去に戻ってこれたのだから、チャンスを生かして未来を変えなければ。同じ間違いを繰り返すのは愚か者のすることです。
けれど、わたしはどうしようもなく愚か者なのです。
わたしの理解では、未来は大きな決まった形の入れ物で、「インガ」はそれに注ぎ込まれて入れ物と同じ形になるしかないのです。
今、この入れ物は「滅び」の形をしていて、その入れ物をわたしが打ち破ることなど、到底出来はしないのです。
枠組みを変えられるのは、良くも悪くも断固たる意志で行動できる人間だけです。
流され吹かれるままのわたしは、自分がちゃんと入れ物と同じ形になっているかを気にしながら生きていくしかないのです。
陰鬱な考えは足の動きを鈍らせて、学校にたどり着くのはいつもより遅くなりました。
ただ学校へ来るだけなのに、異様に疲れていました。鞄を机の横にかけて、大きなため息と一緒に突っ伏してしまいました。
思ったよりも大きなため息だったので、誰かに聞き咎められてはいないかと、ビクつきながら周りの様子をうかがいましたが、誰にも聞こえていないようでした。わたしが登校してきたかどうかなんて、関心どころか気付いていないようでした。
しょせん、わたしなんてこんなもの。だから、できるワケがないのです。過去から未来を変えるなんて大それたこと。同じ間違いをもう一度するので精一杯でしょう。
でも、誰かの力を借りることができたら? わたしのように愚かでもちっぽけでもない、あの人たちの力や知恵や勇気を借りることができたら?
わたしの頭に、懐かしい顔がよぎります。走って行って抱きしめて、もう離したくない人たちです。わたし一人ではどうにもならないことでも、この人たちなら――。
会いに行こう。行って、相談するんだ。
そう思った時、教室の前の戸を開けて入ってきた者がいました。
おはよう、などと愛想を振りまきながら、わたしとも目が合ってしまいます。
一瞬気まずいような顔をしました。それはきっと映し鏡で、わたしも同じ表情を浮かべていたことでしょう。
引きつったおはようを転がしてきたので、わたしは小さなそれを投げ返しました。向こうは席に着き、わたしはうつむきました。
そうでした。最初にこれに会う可能性が一番高かったのを、すっかり忘れていました。
水島ラン。
わたしが怪物になる前に、この手で殺したかつての――仲間でした。