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彼女の古びた木造の家を出たコヴァーチ・エルネーは、肩越しに屋敷の扉を見やってから首をすくめた。
ちなみにハンガリー式に言えば、彼のファーストネームはエルネーであって、ファミリーネームはコヴァーチだ。誤解するアジア人も多いが、実はヨーロッパ全土がファミリーネームを後に持ってくるわけではない。だから、よくファミリーネームを先にする名前の読み方を「アジア式」などと言うが、全くもって言いがかりだとも思う。
ハンガリーと言えば、ヨーロッパにおいては影が薄く、比較的貧しい国として認識されているに違いない。もっともハンガリー第三共和国が、欧州連合にあって、高い国内総生産を誇る、ドイツや北欧諸国とは比べものにならなかった。要するにハンガリーは貧乏だ。
それを今更誰かの責任として押しつけるつもりはないが、第二次世界大戦やその後にソビエト連邦の衛星国として共産圏の一端に籍を置くことになった。それゆえに、ハンガリーの発展は立ち後れ、ソビエト連邦の崩壊と共に共産主義の呪縛から逃れることになったのだが、第二次世界大戦から続く混乱は今をもって継続していると言っても良かったかもしれない。
そんな世界情勢的には影の薄いハンガリー第三共和国だったが、オカルト的な側面から見れば名だたる傑物を輩出した。
それが祖国にとって喜ばしいかどうかはさておいて、これといった観光名所にも認知されていないハンガリーにとってみれば格好の話題のネタだった。
ワラキア公ヴラド三世――通称、ヴラド・ドラキュラ。彼は十五世紀のトランシルヴァニアに生きた政治家で、多くの残虐な刑罰を実行してその名を馳せた。近年、トランシルヴァニアにあるドラキュラの城がルーマニア政府相手に売却を持ちかけられたことは有名な話だ。名実ともに、トランシルヴァニア――ハンガリー、およびルーマニア屈指の傑物のひとりだった。
もうひとりはトランシルヴァニア公国に君臨した「血の伯爵夫人」とも呼ばれる、バートリ・エリジェーベトである。彼女が愛用したと言われる拷問具「鉄の処女」と呼ばれる生き血を採取するための道具は有名だ。
どちらもヨーロッパ全土を巻き込んだ魔女狩りの旋風によって発生した現象の一つであるのかも知れないと、コヴァーチは考えた。
そんな歴史的な犯罪者はさておき、と青年は意識を切り替えた。
目下の問題は年老いた名だたる魔女の存在だ。
魔女はいない。
魔女などというものは存在しない。
かつて、ヨーロッパを巻き込んだ魔女狩りにおいて処罰された多くの女性や、男たちはそのほとんどが思想犯であり、政治犯であり、そしてただの民間の医師たちだった。もしくは病気であるとか、憎悪を向けられているとか大した理由ではない。
魔女などいるわけがない。それが現在における魔女に対する認識だ。
科学が発達した現代社会で「魔女」などという存在も疑わしいものを信じるわけにもいかないのだ。
「彼女の占いはよく当たる、か」
広い農地を持つヴェチェイ・カタリンは、その農地を他人に貸して収入を得て暮らしている。ただし、百歳にもなろうかというのに屋敷にはひとりの使用人も出入りしておらず、ほとんどひとりで切り盛りしているというのだ。
なんとも不可解だ。
「ヴェチェイさんの占いは良く当たるって有名なんですよ。ただ、ものすごく気難しい人だからそうそう滅多に占いなんてしてくれないし、どうせ当たらないって一蹴されるんですけどね」
たかが占い程度で真実が解き明かされるなら、警察も科学も必要などないではないか。オカルトなどというくだらない代物で解き明かせないから、世界的に科学が発達したのであって、それ以外のなにものでもない。
それがヴェチェイ・カタリンの言い分らしい。
それについてはコヴァーチは全くだと、内心で相づちを打った。
そもそも彼女がのんきな老後生活を送ることができるのは、占いで名声を博しているためではない。広大な農地を持っている地主という社会的な地位のためだ。
ただし、ヴェチェイ・カタリンの父親が、かの有名な魔術師――イギリスのアレイスター・クロウリーに師事したという事実さえなければ。
内心になにかが引っかかるものを感じたが、そこで思考を止めたコヴァーチはひとつため息をついてから自分の車に乗り込んだ。
中古で買ったセダンでいい加減、相当な年季が入っている。
そんな彼女の言い分はともかく、密かにささやかれる評価はヨーロッパ屈指の魔女である。父親のほうは戦前から戦中の混乱で、ありとあらゆる政治的な組織に追われ、結果的に命を縮めた。それから、彼女の世間的な本性は社会的な混乱を前にして姿を消した。
そうしなければ生きていくことなどできなかった。
ソビエト連邦とハンガリー政府の鉄のカーテンの下、そうしなければ怪しげな人間など生きていくことができなかった。
そう考えれば、まるで野生動物のように日差しの当たる世間から身を隠さなければならなかったヴェチェイ・カタリンの生き方も理解できないわけではなかった。
ハンガリー第三共和国は今でこそ西側諸国の一員として世界に認められている。しかし、それはごくつい最近のことなのだ。鉄のカーテンが取り払われておおよそ三十年弱。社会の中心を構成する新たな世代は未だに育っていない。
そういった意味で、ヴェチェイ・カタリンはコヴァーチ・エルネーとは違い旧世代の人間なのだ。