不吉の始まり
午後の授業が始まった瞬間から、妙な気配は感じ取っていた。まず問題はないと思っていたが、その気配がどうにも嫌な予感を呼ぶので、その探索をするために、途中で授業を抜け出して俺は稲美の教室に来ていた。
と言っても、急に入れば驚かれるわ、怒鳴られるわで面倒なので、それとなく稲美の教室の前を通ると稲美はそれに気がつき廊下へと出てきてくれた。
「どうしたの?」
「ああ、ちょっとこいつらを面倒見て欲しくてな」
「こいつらって……。なんで緋炎の魔女や颯希ちゃんを? それくらい響木が……ってもしかして!」
「あー、違う違う。ちょっと確認してくるだけだ。面倒そうだったらすぐに帰ってくるさ」
「本当に? 前もそんなこと言って地形をぐちゃぐちゃにしたことあったよね?」
「あー。今回は大丈夫だと思うぞ? 多分」
稲美は疑惑の視線を俺にぶつけ、俺はそれを冷や汗を流しながらどうにか誤魔化す。昔、俺が眷属を暴走させて地形を変形させてしまったことがあったが、それは昔の話だ。今の俺は……十回に一回程やらかすことはあるものの何とか制御は出来ている。だから大丈夫だ。うん。
やがて、稲美は息を吐いて仕方ないと言い出した。そして、寝ている颯希を起こさないように抱き上げ、魔女を連れて教室へと戻っていった。
さて、俺を縛るものは完全になくなった。と言っても、本気を出せば世界への影響が激しくあるので本気も容易に出すことはできないが。それでも、俺が自由に戦うことができる準備は整った。できることなら、戦うことは避けたいのだが、どうもそういうわけには行かないみたいだ。
俺は靴に履き替え、教師にバレないように校外へ脱出。そのまま人気の少ない場所へと移動する。ついてきているのは戦力の九割。監視役や観察役が存在するのか、それとも颯希を監視しているのかは分からないが、九割が消えれば考えも変わるだろう。
やがて、日中は誰も使わない空き地へとたどり着き、その中央で俺は叫んだ。
「そろそろ出てこいよ! 隠れんぼは終わりだぜ?」
俺の言葉に従うように、忍者のような格好の人形の何かが出てきた。ここで人間と評さないのは、彼のものが百パーセント人間であると確証がないからだ。名のある魔女や、強力な魔力を有しているものならば人形のゴーレムを容易く作り上げられるため、こう言った判別は難しい。
さて、と俺は拳を手に打ち付けた。面倒な奴らだが、人間かどうかの判断は大切だ。壊していいのか、そうじゃないのかの基準があれば戦い方は変化するからな。
「お前さんたち、人間か?」
「……」
「だんまりか? それとも、喋れないのか?」
「……貴様、何者だ。なぜ、対象の近くに存在する? 対象の仲間、なのか?」
「対象? それはいったい誰のことだ? すまないが、俺には身に覚えがないな」
すっとぼけるが、流石にそれでは対象という言葉の指すものを教えてはくれなかった。その代わりに、敵はこれ以上の話は必要ないと口を噤み、武器である刀やクナイを手に持つ。どうやら、忍者らしいがどれだけの強さなのかもわからないし、何よりこの数だ。
闇に隠れた忍者はその数で闇を広げる。そう言う言葉が似合いそうなくらい、たくさんの忍者が影に隠れ、闇を作り上げていた。
さてさて。どうするかな。この数、敵の強さもわからない状況で俺が出さなきゃいけない合格点ギリギリの答えは……。
「最初に聞いておく。殺る気、なんだな?」
「……」
「沈黙はイエスか? それともノーか? この期に及んで悩んでますなんて言わせねぇぞ。俺は、そんなに気が長いほうじゃないんでな」
「……」
武器を構えたまま沈黙を続ける忍者。俺はそんな忍者にため息をつき、地面を微かに蹴った。すると、地面が大きく揺さぶる。見れば、俺の右手の甲に緋炎の魔法陣が強い輝きを放ちながら俺と魔女との間につながった魔力回路が開かれていた。
俺は、つい二年前まで普通の人間だった。それが魔女と契約しただけで魔女の眷属を呼び出せるわけがない。通常、眷属を召喚するには召喚するだけの魔力が必要だ。俺はその魔力がほとんどない状態なのに、どうして眷属を召喚するか。簡単だ。魔力がないなら、魔力のあるやつに提供してもらえばいい。俺の場合、それが魔女だったというわけだ。
そういうわけで、俺は魔女の魔力を食らって今日まで生きてきたのだが、そのせいで魔女の体は不完全な状態で目覚めてしまった。そこだけは反省の余地があるとは思っている。思っているだけで反省はしないが。
俺は緋く輝く魔法陣をかざして、
「緋炎のゲートをノック。緋炎の名において命ずる。これは勅命だ。打ち砕け、一番目の眷属、万物破壊の鬼熊!!」
瞬間、爆発的な魔力を元に魔法陣が生成され、一匹の眷属が召喚される。大きな黒い毛並みをした熊の眷属は咆哮を上げて威嚇する。
しかし、忍者たちは眷属を見てもびくともしない。どうやらこう言ったものとはやり慣れているらしい。だが、それだけだ。やり慣れているというだけで、百パーセント倒せるというわけではない。それは相手の集中力からしてもわかる。
一発目の威嚇は失敗だ。ならば、あとは戦うしかないだろう。奇襲は疎か、真正面からの攻撃しかできないのだが、そこは了承頂きたい。
俺は右手を忍者たちに向け、カタストロフィ・アルクーザにやれと命令する。すると、カタストロフィ・アルクーザは巨躯な体とは思えぬ俊敏な動きで素早い忍者たちを蹴散らしていく。しかし、数忍者たちも数の暴力でなんとか突破口を掴みつつあるのか、時間が経つにつれてカタストロフィ・アルクーザにダメージが蓄積していく。
半分に減らすのにここまで手間取るとはな。魔力の消費が激しいが、もう一匹出すしかないのか。
膨大な魔力を持つとされる魔女でも、眷属を召喚するのに必要な魔力量は著しい。一匹でも相当な魔力を持っていかれるのに、二匹目と言うと流石に無理がある。だが、緋炎の魔女はそこらの魔女とは名前も魔力保有量もまるで違う。七匹の眷属を出してもなお、魔力を残すのだから大したものだ。
とは言うものの、それは最盛期の時の話だ。今の魔女の保有量では二匹出すのが精一杯。今頃、魔力の使いすぎだと愚痴っているのだろうが、俺にはそんなことを聞いている暇は生憎ない。
すぐに、俺は右手を突き出し、
「緋炎のゲートをノック。緋炎の名において命ずる。これは勅命だ。煌り輝け、二番目の眷属、罪神雷撃の山羊!!」
再びの爆発的な魔力が交じり合い魔法陣を生成、そこから現れたのは雷を身にまとう青白く輝く山羊だった。これには忍者たちも驚きを隠せず、一瞬だが行動が止まった。その瞬間をカタストロフィ・アルクーザは見逃さず、一人でも多くの忍者を屠るように右前足を凪った。それにやられて多くの忍者が気絶、もしくは致命傷を受け、身動きができなくなった。
だが、それでもほとんどの数が残っている。この数をカタストロフィ・アルクーザでやるのは非常に難しい。だが、アマルティア・エイゴケロスならば、それも可能になる。
アマルティア・エイゴケロスは俺の意図を感じ取ったのか、それとも呼ばれた理由を知っていたのか、それの予備動作をし始めた。
RUUUUUUUUUU!!!!!!
雄叫びと共に雷雲が呼び出され、空は青空から真っ黒なモノへと変化する。そこには神を屠るとされる罪の雷撃が八つ裂きにするのは今かと待ち望み、俺の合図で打ち放たれるところまで行っている。
残った忍者たちは俺をいち早く倒すために動いたが、それよりも早く俺の残酷かつ卑劣な右手は下ろされた。すると、空を覆っていた黒い雷雲から青白い雷雲が俺を中心に何発も打ち放たれていく。それに激突した忍者は有無を言わさずに消滅、もしくは真っ黒な遺体となって沈黙した。
――はずだった。
さくっと、俺の体を何かが貫いた。そんな感触のあとに、俺は激しい痛みが脳を支配する。
「がっ!」
口からは血が流れ、全身の力が抜けていくのがわかった。
見れば、心臓をクナイが穿った跡がある。つまり、俺はあの雷の中で忍者に攻撃されたことになる。どうしてそんなことができたのか、それを知るために俺は視界を巡らした。
すると、あれほどの激しい雷撃の後だというのに、数人の忍者が何事もなかったかのように立ち上がった。いいや、あれは忍者ではない。忍者と同じ格好をしたゴーレムだ。
ゴーレムは、核となる部分を完全に破壊しない限り再生し続ける。それはどういった状況でも変わらないことであり、今回もまたそれによって復活したのだ。
つまりあれか、俺は嵌められたってことか。畜生、まさかこんな当たり前なことに引っかかるなんてな。
考えてみれば当たり前なのだ。人間の中にゴーレムを紛れ込ませる。そうすれば相手はなぜ全滅できないのだと考える他ないだろう。そして、その考える時間が命取りとなる。そういう相手を何度かしてきたというのに俺はすっかり忘れてしまっていたのか。ああ、なんて単純な罠だったんだ。
舌打ちをしたい気分だったが、如何せん眠くて、視界がぼやけてくる。必死に目を開けていると、残りの一割の敵軍が集まり、状況を判断。すぐさま俺の息の根を止めるためにクナイをもって近づいてきた。
全身が冷たくなってきた俺に、できることは何もない。ただ、クナイをもってこちらに向かってくる忍者を見ていること以外には。
やがて、クナイは俺の首元に持って行かれ、ビチビチと嫌な音を上げながら激しすぎる痛みの中で俺の頭は切り落とされた。
今日、俺という存在は一度、死んだ。