無邪気な瞳
授業が一段落して、俺は教師がいないところでスマホを取り出して、張っておいた罠が作動しているかどうかを確認した。
「ちっ。やっぱりバレたか。全部消されていやがる」
俺はスマホの信号が全てお陀仏にされていることに舌打ちをしてすっと、スマホをポケットにしまった。
俺が張った罠というのは、今朝方家に襲撃をかけてきた兵士たちに密かに居場所を探知する小型機械を取り付け、わざと逃げやすいように軽めに縛り付けておいたのだ。流石に勘付かれるかと思ったのだが、当たり前のように小型機械は消されてしまっていた。この調子では、もう一度襲撃を受ける可能性も……いや、それはないか。
逃げ出した上で小型探査機械が消滅した、ということは兵士たち自体も消された可能性が大きい。どうやら、お相手様は相当な慎重さを持った方らしい。俺としては、こう言った小癪なやつとは戦いたくないものだが、向かってくるというのなら仕方ないだろう。
俺の一連の行動を見て、魔女もそれとなく理解したらしく、腕を組んでふむと息を吐く。
「やはり、ダメだったのだな?」
「ああ。敵さんは相当やり手だぞ。雇ったやつを簡単に消すくらいだからな」
「消されただけで済めば良いがな」
どういうことだ? とは聞かなかった。その先の言葉を、俺は容易に予想できたからだ。
もしも、兵士たちに家族がいた場合。その家族も消されている可能性が大いにある。なぜなら、消された兵士のことを誰か一人でも知っている場合のリスクを負うくらいならば、存在自体を消してしまったほうが簡単だからだ。
昔、そういうこともあったのでわかるのだが、いい気分はしないな。
ここまできて、相手が本気で自分たちを狙ってきているということに理解した俺は、心構えを変える準備をしなくてはいけないだろうと考えた。
「それにしても、相手の強さがわからないというのは本当にやりにくいな。影丸でも探索不可の敵なんて、早々出会えないぞ」
「ならば、結社の情報網を使えばよかろう。二年も時間があったのだ、知らないはずがなかろう?」
「それは……そうなんだけどよ」
結社とは、魔女に取り巻くことで大きく成長した組織のことだ。魔女は結社の力を利用して研究をし、組織は魔女の絶大な力をバックに有力な権力を手に入れていく。そうすることで出来上がった組織は世界にも多数存在する。そして、その中でも緋炎、蒼穹、万緑の各魔女たちの結社は世界に最も影響を与えるとされる巨大組織だ。その情報網、権力、統率力と言ったら、日本の警察もドン引きである。
「俺はあそこをあまり頼りにしたくないんだよ。色々と面倒だろ?」
「何を言っている。使えるものは使う。それがお主のいる世界の原理であろう? 何を嫌がる必要がある?」
いや、別に嫌がってはいない。ただ、少し俺はあそこの空気が苦手なだけだ。
魔女が眠りについてから、最初に出会ったのは緋炎の魔女が頭をする結社の有力者だった。そいつは、魔女の体の提供を求めたが、俺はそれを即座に拒否し、交渉は決裂。そこから結社と一悶着があり、事は収束したのだ。しかし、結社は魔女の眷属を身に収めた俺に興味を示し、色々と探りを入れるようになった。
そこで、魔女とあったことを全て話すと、結社の奴らたちは皆一斉に俺のことを王と呼び、慕うようになってしまった。かくして、縛られることが大嫌いな俺は結社の王として拘束されることになりかけたわけで……。
はあ、と嘆息してから、頼るしかないのか、と呟いて項垂れる。
そんな俺を見て、颯希がどうしたのと聞いてくる。
「お前さんにはまだ難しいことだよ。そんでもってまだ知らなくていいことだ」
「むぅ……教えてくれないの? 颯希にいじわるするの?」
「意地悪ってな……。仕方ない。お前さんが可愛いって話さ」
無理矢理話を変えようとすると、それが行けなかったのか、クラス中がざわめいた。何やら、俺のことについて話しているみたいだがよく聞こえない。
俺は少しだけ首を傾げながらも、颯希の頭を撫でていると、ざわめきは再び大きくなる。
一体どうしたって言うんだ? 俺、何かまずいことでも言ったか?
「お主。流石にそれは言いすぎだと思うがのぅ」
「ん? 何がだ?」
「ふむ。理解しておらぬのか。よもやお主にそんな弱点があったとは……」
「……? 何を言っているのかわからないんだが……」
その後も、これはダメだと言って魔女は頭を抱えてしまった。
クラスがざわめく中、俺はどうしてこうなったのかが本当にわからず、困惑するが颯希は頭を撫でられるたびに嬉しそうに笑うのでずっとそのまま撫で続けた。
やがて、時間は進み、昼。いつも通り俺と稲美は昼食を屋上で食べるために落ち合った。
ちなみに、稲美は俺と違うクラスで昼以外は極力合わないようにしている。理由としては面倒だからなのだが、それ以前に合う必要性がほとんどないからだ。昼に会うのに、どうして休み時間になるたびにあわなくちゃいけないんだ? 別に付き合っているわけでもあるまいし。
ということで、俺と稲美は屋上で落ち合い、昼食を開始した。
「今日はいっぱい作ったからね。いっぱい食べてね」
「いっぱい食べなくても颯希や魔女がいればすぐになくなるだろ」
「もう! そういうこと言わないの! これは、そう言いたいっていう女の子のね――」
「美味しいか、颯希。からあげ食べるか?」
「うん!」
「ちょっとぉ! 聞いてよぉ!!」
「騒がしいのぅ。静かに食べられぬのか?」
いつもは二人なのだが、今日は諸事情により魔女と颯希も一緒である。よって、弁当はいつもの二倍近くまで膨れ上がっており、いかに食べ盛りといえど完食するには骨があるほどだった。しかし、俺の膝に座って美味しそうにからあげを食べさせられている颯希が見た目以上に食べるので、それほど苦労はしないだろう。
三十分ほどで完食し、食休みをしていると、稲美から情報提供があった。
「結社の人に聞いてみたんだけど、やっぱり今回の事件は能力者が関わっているみたいだよ?」
「ああ、聞いたよ。影丸でも読み解けないほどの相手らしい。さて、どうするかな」
「無視はできないだろうね。何より、狙っているのがどちらなのかわからないし」
「選択肢は二つじゃないだろ。あるいは俺もその選択肢の中に入っているかもしれない」
「じゃあ……」
ああ、と頷いて俺は己の胸に手を当てた。
俺の中には緋炎の七つの眷属が収まっている。魔女の眷属というだけで危なっかしいのに、それが七匹となるとその力は脅威になる。ゆえに、今回狙われているのは魔女か颯希。あるいは俺の中にいる眷属の力の三つだ。現状、颯希の中にいるやつを狙っていると考えて支障はないだろうが、俺自身も気を付けねばなるまい。
全く、厄介なことになってきたな。
「選択肢を絞る?」
稲美が微かに恐怖したような声で聞いてくる。その意図は俺にも理解できた。選択肢を絞る。その方法は選択肢となっている者を消すという方法ただ一つ。この場で選択肢を減らすことはできる。なぜなら、俺の膝に座っている颯希や俺の横に座って静かに食休みをしている魔女は力を出せないか不調だからだ。俺が全力を出せば、消すことは容易いだろう。
でも、そんなことはしない。魔女を守ると昔決めた俺に、魔女を殺すことはできない。颯希にも俺の苗字を与えてしまったため、殺すのも忍びない。そして、前提として俺は人殺しはしないのだ。
よって、選択肢を絞るという言葉には否定で返しておいた。
「いいや。そんなことはしないよ。こんなチビどもを甚振っても、誰も幸せにならないからな」
「良かった……。でも、珍しいね。響木はもっと冷徹な人だと思ってたのに」
「俺だって、切り捨てられるものなら切り捨てるさ。ただ、命を取るっていうことが俺には許容できないんだよ。それは他人を束縛することだからな」
「そういえば、響木は自称自由主義者だったっけ。他人を縛ることも、自分が縛られることも好まない。なんか響きはいいけど、理想論だよね」
「だからいいんじゃないか。もしもそれが成功すれば理想を叶えられる程の力を俺は持っているってことになるんだから」
俺の発言に稲美は肩を竦めてしまった。どうやら呆れられたらしい。はてさて、どうしたものかな。
温かい日差しとちょうどいい風が眠気を誘ったのか、颯希がおねむだと言い張るように船を漕ぎ始めた。
「おねむか?」
「ううん」
「抱っこしてやるから寝てもいいぞ?」
「やぁ」
「それってドイツ語の了承? それとも日本語の否定?」
「わかんなぁい」
「いいから寝とけ。小さい時は昼寝は必要だぞ?」
「んぅ」
コトっと俺の胸に頭を落とし、可愛らしい寝息とともに寝入ってしまった颯希。俺はそんな颯希の頭を優しく撫でていると、魔女が話し出す。
「とりあえず、決意は固まったのだな?」
「決意、ってもんじゃねぇよ。ただの意地だ。これは俺の意地なんだ。叶わなかった夢の続きなんだよ、これは」
「その夢とやら、妾にも聞かせて欲しいものだな。眷属の夢というのは非常に興味がある」
「あんたを自由にすることだよ、緋炎の魔女」
ふぅっと風が魔女の漆黒の髪をなびかせた。魔女は驚きのため少しの間動かなかった。しかし、やがてクスクスと笑いながらなびいた髪を手で戻しながら、
「妾を自由にする? そうか。はっはっはっは! お主はそういう奴だったな。ふふっ、ああ、面白い」
「そこまで笑うか? 俺は本気なんだがな」
「楽しみにしているよ。ああ、楽しみだとも。生まれてこの方、そんなことを言われたのは初めてだからな。お主から見て、妾は不自由だと?」
「ああ。とても、苦しそうだぜ?」
「楽しい。楽しいのぅ。やはり、妾の目に狂いはなかった。お主は妾の眷属の中で一番の阿呆だっ」
「何とでも言いやがれ。これだけはやめられないからな。不自由な奴は、俺の目の黒いうちは作らせない。例え、それが世界に否定されたやつだったとしてもな」
未だに笑い続ける魔女を見て、俺は肩を竦めた。
気持ちのいい風が、再び髪をなびいたのは、一体どう言う理由があったのだろうか……