殺鬼の異能
真っ暗な視界から光が差し込んだ。どうやらサツキを抱っこしたまま寝入ってしまったようだ。俺は完全にもたれていた背中を起こすと、違和感があることに気がついた。
ん? と声を出しながら下を見ると、サツキが上を見上げながら可愛らしい顔でこちらを見上げていた。どうやらサツキも目を覚ましたらしく、俺の起床(起席と言ったほうが正解か?)も相まって完全に目を覚ましたみたいだった。
だが、よくよく考えたら俺はサツキとちゃんと話をした記憶がない。正確には起きたてのサツキと少しだけ話をしたレベルで、このような向き合っての場合で話をしたことはないのだ。
「おはよ。良く眠れ……たよな。流石に五時になっているとは、流石に俺も寝すぎたな」
昼寝程度で寝ようかと考えてはいたものの、まさか正午から五時まで寝ていたとは思わなかった。稲美も起こしてくれれば良かったのに。とは思うのだが、大方、俺とサツキの寝姿を見て起こせなかったのだろう。現に、机にそっと置き手紙が置いてある。
眠い頭を必死に働かせて、置き手紙の内容を読み上げる。
どうやら、買い物に言ったらしい。丁寧に時間まで書かれているところを見るにあいつの性格がよくわかる。手紙に書かれていた時間は俺が起床した十分前。手紙の内容が正しければあと四十分は帰ってこないだろう。さて、と俺は多分、二人きりになったので今のうちに聞き出せることを聞き出そうとサツキの方を見た。
「お前さん、どうしてあんな大人に追われてるんだよ。いいや、どうせわからないとは思うけど、ひとつだけ聞かせてくれ。お前さん、悲しい運命を背負ってるのか?」
「? わからないよ、そんなの……」
「ははっ、そうだよな。ごめんな、変なことを聞いた。うーん。稲美が帰ってくるまで結構な時間がある。どうする? もうひと眠りしてもいいぞ? って、眠れないよな」
ははっ、と笑って俺はサツキの頭を撫でた。意外とそれに抵抗を見せないので気に入ってるのだろうか、と思うが、そのあとですぐに俺に恐怖しているだけだと気がついた。
考えれば確かにそうだ。俺がこいつと同じ歳の場合。起きたら目の前にはよく知らないオトナがいれば、そりゃあ怖いわな。そんなことも気がつかずに俺は抱っこをしていたのか。
どうしたものか、と俺が考えていると、サツキが、
「お兄ちゃん。サツキのこと、いじめるの?」
「ん? そんなことするわけ無いだろ。お前さんをいじめても、誰も喜ばねぇよ。それに、俺はいじめが大嫌いなんだ。特に理由も無く、自分よりも弱い奴をいじめて優越感に浸る。そんな虚無がこれ以上に無く嫌いなんだ……お前さんにはちと難しい話だったな」
途中から首を傾げていたサツキを見て、俺は再び笑った。
サツキは可愛らしい女の子だ。歳はよくわからないが、多分小学生か中学一年生に成り立てくらいの年齢だとは思うのだが、どうもちんちくりんなため判断し難い。それでも、コイツが悪い奴だとは思えない。
だから、俺はさっきこう問いたのだ。『お前さん、悲しい運命を背負ってるのか?』と。
サツキの目は、初めて出会った時の魔女のそれと同じだった。ただし、凛々しかった魔女の視線の輝きは感じられなかったが。
この目を俺はよく知っていた。何事にもまずは自分の価値観を通して全てを見つめる俺とは正反対の、何もかもを世界という不確かな基準を通して見ているいわゆる正しくはない視線。自分というものを排除して、世界というものを基準とする、敗者の目だ。
なぜ、サツキがそんな目をしているのか、など興味はない。ただ、その目は俺の嫌いな目であった。後ろ向きなそんな目を、俺は大嫌いだった。
「んっ、何?」
「こんなに小さいのによ。お前さんはひどく辛そうだなって、そう思っただけだよ」
強めになでると、それが少し気に障ったのかサツキが初めて嫌だと反抗してきた。それでも、俺は頭を撫でるのはやめなかった。嫌だと手を出すサツキの口元が、少しだけ笑っていたから。
やっぱさ。俺は思うんだよ。笑っているのが、一番なんじゃないかってさ。こんな小さいやつでも、俺よりデカイやつでも、笑っているのが一番だろ? 悲しい思いをするのは、道を間違えたやつだけで十分だ。
やがて、俺が頭を撫でるのをやめると、サツキが少し怒ったようにこちらを睨んでくる。ごめんよと苦笑いしながら謝った俺に、若干の不快感が襲う。そして、次の瞬間、俺は吐血した。
「かっ」
吐血する時に、咄嗟に俺は口元を手で覆った。サツキに俺の血が直接かかるのを避けるためだ。こんな子供に血を見せるのはあまりよろしくないのも理由だが、なにより驚いた顔を見せるサツキにそれ以上の衝撃はあまりよろしくないと思ったのだ。
しかしなぜ、と俺は少しは安定してきた頭で必死に考えた。俺がしてきたことを最初から思い出す。そして、俺はサツキと目を合わせたこと以外にしたことがないと気がついて、再びの疑問に体を震わせた。
サツキは目の前で俺が苦しそうに顔を歪めているのを見て、
「大丈夫?」
と、今にも泣きそうな目でこちらを見てくる。俺は、その目に目を合わせてああ、大丈夫だと返事をした。その時だ。俺が、それを見たのは。
サツキの目の奥。魔術領域と呼ばれる魔力を貯蔵しておくための泉的な役割を果たす場所に、何かがいた。いや、何かではない。何十にも縛られた狼。獰猛な牙を光らせ、縛られているのにも関わらずその殺意は見るものを全て失神させようとするほどのモノを放ち続ける化け物。
そして、俺は回るようになった頭で思い出した。魔女が、サツキの中に何がいると言ったのかを。確か、サツキの中には神仏滅殺の神狼がいると言った。それは、神を殺す獣の名前だ。じゃあ、なぜそいつに睨まれて俺は吐血したのか。
その答えは、またしても魔女の言葉に存在した。
俺は、いや、俺の存在は俺の言葉によって完成する。つまり、俺が俺は吸血鬼だと言えばそれはそう適応されるということだ。そして、俺は今、吸血鬼になっている。変えられるのかは定かではないが、とにかく俺は吸血鬼になっているらしい。
それがどうしたと言われれば、こう答えるしかない。神には、鬼神なるものがいるのだと。鬼神とは、字のごとく鬼の神である。ならば、鬼の貴族である俺は、それに準ずるものであるはずだ。だから、俺は攻撃を受けた。
ここまで気がついて、俺はやっとのことで、サツキの本当の名前を知った。
「そうか。そうだったのか。なあ、サツキ。お前さんの本当の名前は、殺鬼。鬼殺しだったんだな」
「……? わかん、ないよ。全然、わかんない」
殺鬼。この世に現れる悪を鬼として捉え、それらを蹴散らす者たちのことだ。過激なやつならば、罪人を鬼に捉えて蹴散らすやつも昔いた。そして、サツキは、殺鬼だったのだ。
こりゃ……と、俺は早々に頭を抱えた。サツキが、まさかここまで面倒な力を持っているとは思わなかったのだ。ここまで、可哀想な運命を背負っているとは思わなかったのだ。
「いいんだ。ああ、いいともさ。お前さんが鬼殺しだろうが、神殺しだろうが、んなことに意味はない。お前さんが望めば、未来は変えられるかもしれないからな」
などと言って、俺は誤魔化した。この歳で、自分は将来鬼と戦うのだと言い聞かされるよりはマシだろうと思ったからだ。
今、家には俺とサツキ以外に人はいない。ならば、と。俺はこのことを隠し、尚且つ、新しい未来を与えられないかと考えた。
俺は神様じゃない。神様に匹敵するとも思っちゃいない。だけどな、こんな理不尽は、流石に可哀想だろうがよ。そんな理不尽はテメェが背負えよ、神様が。
「いいか、サツキ。よく聞け。俺はお前さんの仲間だ。だから、お前さんを守る義務がある。お前さんを幸せにする責任がある。だからよ、お前さんに新しい名前をやる。佐久間颯希。お前さんが未来を生きていくのに、絶対に必要になるものだ。覚えとけ」
と言って、俺は颯希の頭を撫でた。颯希は今度は最初から嬉しそうに笑って、俺の頭を触らせてくれた。柔らかい肌や髪の毛がこいつの性格を真似ているようで、少し可笑しかった。
ちなみに、苗字が佐久間なのは養子縁組は無理でも、家族になるのは簡単だからだ。同じ苗字にしておけば、何かと便利な時もある。まあ、考えるのが面倒だったというのもあるが。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんはなんで、颯希のことをやさしくしてくれるの?」
「お前さんに似たやつを知っているからさ。俺は、そいつを助けられなかった。だから、お前さんを助けたいのさ。きっと、あの時の俺を、超えたいんだろうな、俺ぁ」
「お兄ちゃん、悲しそうな顔、してるよ?」
「ははっ。辛気臭い話はやめだ。颯希、飯にしよう。ちょうど、稲美たちが帰ってきた」
無理矢理話を終わらせると、俺は颯希を抱っこしたまま立ち上がる。急に立ち上がったせいで颯希は少しだけ怖かったのだろう、ギュッと少し力を込めて俺に抱きついてきた。
やがて、安全を確認すると颯希は俺の顔をよく見てから、笑顔で再び俺に抱きついて、
「へへっ。お兄ちゃん!」
俺の頬に頬を当ててこすりつけるのであった。
俺はというと、そんな颯希に少しだけ失笑しつつ、可愛らしいなと思いながら、稲美たちの帰りを迎えに行った。




