忘却の過去
とりあえず、俺は魔女と別れて自室に戻り、ベッドはサツキに占領されているため魔女が使っていた敷布団に寝転んだ。当然、サツキが逃げるわけがないと分かってはいた。よって、心配はしていなかったが、どうも自由主義で自由奔放な俺の性格上、それを阻害するものは出来るだけ排除しておきたいという念が強くて、最終的にはこんな小さな女の子ですら信じられないでいた。
本当に、俺はこんな俺が嫌いだ。自由主義や平和主義を掲げつつ、そのくせ結局は他人を縛り付ける、力で全てを解決させる。こんな俺が、俺は大嫌いだ。
しかしながら、そんな俺に成長してしまったので諦めざるを得ないのだが……と、こんな話はやめておこう。ただでさえ面倒事に巻き込まれて滅入っているのだ、これ以上自分をいじめても疲れるだけだし、なにより惨めになる。
俺は徐に自分の右手を見つめた。少し力を込めると、そこには緋炎の魔法陣。丹精で、燃え盛るような緋い文様の刺繍は俺の右手を中2臭く彩っている。この魔法陣には七つの眷属が封じられている。元々は緋炎の魔女の眷属だったみたいだが、魔女は何を考えたのか俺を眷属にする代わりに俺にこの七つの眷属を明け渡してきた。
思い出せば、俺の生活が一変したのはあの時からだ。俺が緋炎の魔女の眷属になると言ったその瞬間から、俺の人生はそれまでの全てを否定された。世界に蔓延る魔を魅せられ、緋炎の魔女を狙う輩のとばっちりを受けた。そういう人生の荒波に揉まれて、俺は二年の間、緋炎の魔女を守り続けた。
最初はただの成り行きだった。飛んできた火の粉を払っただけだった。でも、だんだん思ってきたんだ。たくさんの人に狙われる緋炎の魔女の味方は、一体どれくらいいるのだろうと。そこで知った。緋炎の魔女は……いいや、魔女と呼ばれる者たちは、常に一人なのだと。仲間など、存在しないのだと。
初めにも言ったが、俺は自由主義者だ。そのくせ、平和主義者でもある。だから、他人の自由を、平和を望む。その中に、いや、俺の選択肢の中に緋炎の魔女はいつの間にか存在していた。きっと、誰もが願おうとも彼女を自由にさせることはできないだろう。しかし、俺ならば、緋炎の魔女の眷属の俺ならば、できるのではないか? 彼女を、一人という小さな世界から自由にすることが、俺ならばできるのではないか。そう思ったのだ。
「はあ……」
見つめていた右手を下ろして、俺は小さくため息をついた。
昔を思い出すのはいい。そんなことに意味はないのだから。結局、俺は魔女に何もできなかったと再認識することに、砂漠の砂ほどの価値もないのだから。
そう、俺は魔女を自由になんてできなかった。長い眠りから覚ますことも、彼女の仲間を作り上げることもできなかった。なぜなら、魔女というものの本質を知らなかったから。魔女とは、研究者だ。そして、研究を極めた者だ。永遠という命の中で、解き明かした自身の問を永遠に問い続けるものなのだ。例えるならば、彼女は罪人。世界の真理を知った罪を犯した、重罪人だ。
そんな彼女を自由にできるのは、神様か――――
――――世界から超越した何者かだけだろう。
残念ながら、俺はそこまで強くない。ただ腕っ節が立つだけの、高校生なんだ。
天井を見上げながら、俺がそんなことを考えていると、ベッドで寝ているはずのサツキが眠そうな目を擦りながらベッドから起き上がった。
「どした?」
俺も起き上がって、サツキに問いかけると、サツキは少しだけ身震いすると、
「おしっこ」
「…………」
これは想定外だ。というか、おしっこって……と、とりあえずトイレ行こうか。
黙って、俺はサツキをトイレまで連れて行く。そして、扉の前で待っていると、やがてサツキがトイレから出てきて、そのまま戻ろうとするのを静止して、手を洗わせた。
ったく、寝ぼけるのもいいかげんにしろよ。俺はお守りをしているわけじゃないんだぞ? いや、サツキの年齢的に多分お守りをされるくらいであろうが、俺は主夫ではない。
だが、そんな俺の考えとは裏腹に、サツキはびしょびしょの手をこちらに向けて、
「だっこぉ」
「……まず手を拭け。そうしたら――」
「ふいてぇ」
「…………どうしよ。すっごいめんどいんだけど」
と言いつつ、俺はサツキの手を綺麗に拭いていく。それから、約束通り抱っこをしてやると、ギュッと抱きついてサツキは再びぐっすりと眠ってしまう。
本当におしっこに起きただけなのかよ。ったく。
頭を抱えたい衝動に駆られたが、両手で抱っこしているためそれも叶わず、俺は静かに自室に戻った。
「でだ。なんで、あんたが俺の部屋にいる?」
「眷属が女子に手を出すところが見たくてのぅ。ついついだよ」
「……はあ。俺は幼女に興味はないし、幼女化したあんたにも興味はないんだがな」
「それは、大人っぽい妾が好きと言うことかのぅ?」
「ああ、そうだが?」
「……お、お主は恥じらいというものを知れ! 白昼堂々とそんなことを言う奴がどこにおる!」
顔を真っ赤にして怒っているのは緋炎の魔女だった。どういうわけか魔女が俺の部屋に来ているのだが、神出鬼没なこの人のことだ、また冷やかしに来たのだろう。
俺は抱きついたまま離れようとしないサツキを抱いたまま、椅子に座り、逆にベッドに座っている魔女と暇つぶしで話すことにした。
「あんたには色々聞きたいことがあるんだが、質問とかいいか?」
「よかろう。二年ぶりの話だ、なんでも質問するがいい」
「じゃあ、ひとつだけ。あんたが幼女化したのは俺があんたの魔力を食ったからだな?」
「……? そうだが、そんなことでいいのか?」
「何がだ? 俺が最初から気になっていたのはそれだけだけど?」
「もっとあるだろう? 妾がなぜ、お主の家を壊し、家族を殺したのか、色々」
ああ、そんなことか。
俺は嘆息混じりに魔女に言う。
「んなこと知るか。知りたいとも思わねぇよ。あんたは魔女だ。己の研究を極め、問い続ける探究者だ。そんな奴に、んなこと質問しても意味が有るのか?」
一息、
「あんたが寝ている間、俺はいろいろなやつと戦った。家族を人質にされていたやつ。あんたの首を欲しがったやつ。ただあんたを殺しに来たやつ。みんないろいろな理由をもって立ち向かってきた。そいつらになぜ戦うと問いて、そいつらが出した答えに何の意味が有る? それと同じさ」
何せ、と俺は言って、
「答えのないものに答えを見出して、無理矢理可視化できる答えに変形したまがい物の答えしか出せないあんたやそいつらに、俺が知りたい本当の意味なんてものは存在しないんだからな」
可愛らしい顔で眠っているサツキの髪を整えて、可愛らしい顔がよく見えるようにしてから優しく撫でながら、俺は魔女を見た。
そして、
「だから言うよ。俺はあんたが俺の全てを奪ったことに微塵の興味もない。逆に、俺はあんたのおかげで全ての呪縛から自由になったことになる。自由主義の俺としてはこれ以上に無く素晴らしいことだ。でもな、あんたの気がすまないって言うなら、あんたの答えを俺が代わりに出してやる」
こちらを見て、静観している魔女を俺はただただ見ていた。
二年の間、俺はなぜ全てを失ったのだろうと考え続けた。魔女のことを知ってから今の今までずっと考えていた。そして、答えは出た。俺の大嫌いなまがい物の答えではなく、可視化されていた正真正銘の真理。全てを解き明かすために絶対に必要なピースを。
「運命だったのさ。俺はあの時、あの瞬間に全てを失う運命だった。あんたに出会い、今日まで生き残る運命だった。だから魔女、あんたの行動の全ての答えは、『運命』だったのさ」
俺の言葉を聞いて、魔女は静観をやめた。クスクスと笑って体を震わせている。
何を笑っているんだと言うと、魔女ははしたなく大声で笑いだした。
「あははは! そうかそうか、運命か! クククッ。よもや、今日まで生きてきて、運命で片付けられるとは思わんかったぞ。だが、そうか、運命か。うむ。そうだな、妾の行動の全ては運命だった。そう考えれば、自然だろうのぅ」
「だろ? 難しいことは抜きにしようぜ。世界は広い。知識は深い。それでいいじゃないか。知らなくたっていいって言葉があるくらいだ。あんたがどれだけ遊んでいようが、どれだけ寝ていようが、どれだけダラけていようが、どうせ誰も何も言わねぇよ。誰も何も言っちゃいけねぇよ。あんたはあんただ。昔も今も、未来永劫それだけは変わらないんだぜ?」
とてつもなく楽観的だ。とてつもなく他人任せだ。俺が言っていることは、お前がいなくてもどうせ世界は回るんだ。だから、サボれ、と言っているようなものだ。
それでも、いつまでもずっと研究をし続け、答えの出したはずの問を問い続ける魔女にはいい薬だろう。この言葉は、魔女にとってはとてつもなく快楽だろう。何せ、仕事をするなと言っているのだから。
魔女は俺の出した答えを全て聞き届け、肩を竦めるとこう言った。
「お主は楽観的すぎる。自由すぎるよ。でもまあ、そうだな。妾は未来永劫、過去も含めていつまでも妾なのだ。考えてみればそうだった。いつからそのことを忘れていたのだろうな?」
「さあ? あんたは生きすぎて頭が老化してたんじゃないか? せっかく幼女になったんだから少しは若返らせろよ」
「ははっ。そうだな。それも悪くない。だが、主をババア呼ばわりするのはいけないぞ? お仕置きだ」
言って、魔女は身動きのできない俺の頭を叩こうとして手を振り上げる。力が弱いとはいえ、突発的に目を瞑ってしまった俺に訪れたのは柔らかい感触だった。
目を開けると、それがおでこにされたキスだとわかった。魔女は俺のおでこから唇を離すと大人っぽいウインクをして、静かに部屋から出て行った。
ったく、最後の最後までよくわからないやつだぜ、俺のお主人様は。
苦笑いを見せつつ、俺は椅子の背もたれに大きく背中を任せ、俺の腕の中で眠っているサツキを抱き直した。そのせいで少しだけ寝づらそうに唸ったが、やがて気持ちよさそうに笑顔で深く眠ってしまった。そんなサツキの頭を優しく撫でながら、俺は晴れている正午の青空を窓辺から見るのだった。