幼馴染みの茄子料理!
美味しいよ、と少年は笑った。
ある夏の終わり、心の底からそういわせてやりたいと思った。
よくある話だ。
母が生きていたころ、一度、料理を手伝ったことがある。
料理上手が自慢の母だったけれど、娘である彼女はそうでもなかった。
しかも初めての料理だったから、加減がわからず、さんざんな代物を作ってしまった。
辛くて、しょっぱくて、父も母も苦笑いしていたのを覚えている。けれどその日、夕飯に招かれていた友達は違った。
辛いものは苦手のくせに、その日は、ご飯をお代わりしてまで下手くそな料理を完食していった。
今にして思えば、昔から気遣いばかりする奴だったのである。
あれから何年も経って、色々あった。
少女の母親は病でなくなったし、少年は大けがをして、色々とえらいことになってしまった。
しかし変わらないものもある。たとえば、幼馴染みの性格などその最たるものだった。
彼は今に至るまで、無駄に気遣いが多くて、無駄に格好つけたがる奴なのだ。そして腹が立つことに、彼女は、そいつに庇われっぱなしなのである。
だから、料理しようと思った。そのためには、命がけで食材を調達する必要があった。
思考の飛躍だった。
◆
じーじーみんみんみんみん、じーじーみんみんみんみん。
延々と鳴くばかりの蝉の声が、ひどく気に障る。
風通りのいい座敷にて、年若い少年――クラマは、一人の壮年男と向かい合っていた。
幼馴染みの父親である。
はてさて、今日はあのじゃじゃ馬が静かなことよ、と思っていたところ、彼女の父親から家に呼びつけられたのである。
何用ですか、と目で問いかける。
作務衣を身にまとい、ひげ面の男は第一声を放った。
「娘が家出した」
「ほほう」
一〇代の少年少女のお約束だ、と感心する。
だが、追い打ちがいけなかった。
「暴れ人食い茄子の出没するあたりにな」
その一言に、クラマは目を向いてうなり声を上げた。
「なんという無謀……!」
暴れ人食い茄子とは、凶暴化した人食い茄子である。ヒグマすら集団で襲って喰らう、地上最強の陸生植物だ。
すべての始まりは、国難を救うための研究だった。
詳細は省くが、かつての文明絶頂期――エコロジーを目指し開発されていた、生物工学の応用物。
しかし、なんやかんやあってプロジェクトは迷走、予算不足も相まって、他のプロジェクトと統合されてしまったのである。
正気の沙汰ではない。
少子化対策、食糧問題の解決、老人介護用クローン奴隷。
まったく用途の違う問題が、生物工学を使っていると言うだけでひとくくりにされ――事故が発生した。
自己複製機能を持った人工子宮、可食部位の多い新種の野菜、クローン奴隷が組み合わさった生命体へ進化したのである。
すなわち人食い茄子である。
何故、よりによって茄子だったのかは定かではない。
「ともあれ、あれも容易くくたばりはすまい。暴漢の一〇人ぐらいなら撲殺できる娘に育てたつもりだ」
「自衛の域を超えた虐殺のような……」
「悪党が悪い」
「なるほど」
奥深いフレーズだった。
「案ずるな。あれは無闇な殺生はしない――仏教徒だからな」
「前後の文脈に不安を覚えますが、そういうものですか」
「うむ」
「ほほう」
一向一揆並みに汎用性の高い仏法なのだろう。深く考えてはいけない。
白々しいやりとりの末、少年はのっそりと立ち上がった。
異形にして異相であった。
七尺(二一〇センチ)へ届きそうな背丈に加え、丸太のように太い手足の表皮は、艶のないカーボンの質感。
極めつけは、昆虫じみた複眼が光る鉄兜のような頭。
何を隠そう、クラマ少年はサムライなのである。色々あったので、今では立派なサイボーグだった。
さあ、幼馴染みを追跡すべく出立せんとしたそのとき。
「これを食っていけ」
年配の人間特有の行為。若人へ食を勧める謎の習慣だった。
「茄子の漬け物だ」
「……茄子退治に出かける前に?」
「気にするな」
よくない。何も、よくない。クラマははらはらと涙を流し――感情表現豊かな義体なのだ――茄子を食った。
しょっぱかった。
◆
無謀にして理不尽。
ナツミという少女を、一言で言い表すならこういう表現がぴったりである。
母親譲りのくりくりと大きな瞳、すっきりした鼻梁は美人に育つと感じさせるものだが、への字に曲がった口元がすべてをぶち壊している。
尤も世の男性諸氏の望むすまし面など、はなっから馬鹿にしているようなじゃじゃ馬なので、本人は歯牙にもかけていない。
緑深いこの地、再開発居住区の友人達は皆、こう言う。
曰く、傍若無人。
閑話休題。
ともあれ少女は今、絶賛、生命の危機だった。全力疾走し続けることを強いられる程度に。
長袖長ズボン、野暮ったいアウトドア系の格好をしたナツミの背後、二〇メートルほどに、異様な生き物がいたと思っていただきたい。
「どうしてこうなった――!?」
遠目には、着ぐるみを着た人型に見えたのだ。それが暴れ人食い茄子だとわかったときには、すべてが手遅れだった。
大人の掌ほどもある、艶のある茄子だった。
迫り来る茄子の群体。紫色の美味しそうな果実が、みっしりと群生している――プロレスラー並みの巨漢の胴体に。
数百個の茄子を生やし、毛皮の代わりに茄子の枝葉で覆われた哺乳類の足が、山地の過酷な斜面を蹴り上げている。
げしょげしょ、と奇っ怪な鳴き声をあげ、ナツミを追跡する怪人の数は四匹。
美味しそうな見た目と裏腹に、人食い茄子の本体は頑強である。ライフル弾では貫通できないほど表皮が硬い。
無手のナツミが戦って勝てる相手ではなかった。野生の山賊なら皆殺しに出来るのに。
死地であった。
ナツミは笑えばいいのか、泣けばいいのかわからない状況で、獰猛な笑みをもらした。
ショートヘアの頭髪が、頬の汗を吸って肌に張り付く。夏の盛りを過ぎたとはいえ、今年の風は馬鹿に暑い。
「このピンチ、乗り切って勝つ!」
特に根拠のない自信が湧いてくる。やれる、やれるはずだ!
ナツミは無鉄砲な女である。しかも、自分では思慮深い英断だと勘違いしているド天然だった。
この真剣な決意から二秒後――木の根っこに躓いてナツミはすっ転んだ。
「やばっ」
人生終了まで間近だった。立ち上がっても間に合わないほど、追っ手との距離は詰まっていた。
どうする。駄目元で戦ってみるか。こちらの考えを見透かすように、人食い茄子の頭頂部、ヘタの部分から鋭い牙が露出した。
一本一本が出刃包丁よりも長く、尖っている。どうしよう、勝てる気がしない。
結論から言えば、ナツミを救ったのは腐れ縁であった。
木立の揺れる音――不自然な木々のしなり――指向性スピーカー特有の耳元で囁くような声。
「よし、そこの馬鹿。動くなよ」
すぐさま、考えより先にぴたりと動きを止めた。
こういうとき、誰よりも頼りになる顔見知りを、少女は知っていた。暴れ人食い茄子の群れが、ナツミへ殺到するまで四秒もいるまい。
恐れる必要はなかった。
そう、救い主は頭上からやってくるのだ。
「推参」
落下してきたのは、見慣れた幼馴染みだった。クラマだ。
その真下にいた人食い茄子の躰がひしゃげ、鈴なりになった茄子が飛散。ピンク色の臓物を土にぶちまけた。
まず一匹。膝関節を柔らかく使い、着地の衝撃を逃し、その体幹は毛ほどもぶれていない。
するりと抜刀。構えるまで刹那もない。
後続の人食い茄子が、警戒音をあげるより先に太刀を振り下ろす。
袈裟斬りに一刀両断され、紫色の体液を飛ばしながら怪物の上半身が千切れた。これで二匹目。
続いて、振り下ろしきった太刀を、返す刃で逆袈裟に切り上げる。
その軌道が迫る先は、勢いそのままに横へ飛ぼうとしていた三匹目。恐るべき反射神経を発揮し、回避運動に移った異形を、股ぐらから右胸まで斜めに断ち切った。
直径五〇センチはある巨大な口腔から、野太い悲鳴を上げる人食い茄子。
すでに致命傷だ。
最後の四匹目は、この時点で柔らかく美味そうな獲物を諦めた。突然の襲撃者は強大であり、群れを集めねば対抗できない。
くるりと方向転換、クラマから逃げようとしたが――サイボーグ戦士の目には止まって見えた。
ずぶっ。
人食い茄子の胸元から、真っ黒な太刀の切っ先が生えた。
太い手足で暴れるよりも早く、刃が引き抜かれる――くわっと口を開き、振り返った人食い茄子。
その眼に映ったのは、おのれを真っ二つに切り開く一閃。
断末魔すらなかった。
時間にして二秒にも満たない攻防であった。
油断なく周囲を見回し、一〇秒、二〇秒、三〇秒。じっと周囲を探っていたクラマが、ようやく一息ついてこちらを見た。
「大丈夫か、ナツミ」
「あ、うん」
昆虫じみた機械の複眼。そこに浮かぶオレンジ色の光は、心配を表す色だ。
長い付き合いだから、わずかな仕草でもクラマの内心は察せられる。けれどこういう細かいところで、気遣いが出来る少年がクラマだった。
得体のしれない体液で汚れた刃を拭い、納刀する。ろくに手元も見ずに出来るのだから、我が幼馴染みながら大したものだと思う。
「えーっと、まず、あたしが悪いにしてもさ、一番悪いのは人食い茄子を作った科学技術じゃん?」
「文明批判しても、お前の落ち度は解決しないだろ。一人で出かけるか、こんな物騒なところ」
「くっ……」
この野郎、女子が自分から非を認めるなんてレアイベントを鑑みろよ――辛うじてキレかける心を鎮めた。
そもそも今回、こんなに危ないヤマを踏んだのは、クラマの誕生日が近いからなのである。
ぐっと堪えて、にやりと笑う。
「うんまあ、子の話は置いといて。今日のお礼はきっとするよ、クラマを唸らせる料理とかで!」
だがしかし、クラマの反応は――
「いや、無理だろ」
即答だった。正論だった。こういうときだけ、致命的に空気を読めない男だった。
それを可愛げと受け止めるには、ナツミは未熟すぎた。畢竟、〇・一秒たりとも考えずにナツミは叫ぶ。
「見てろよこのメカ! ばーか!」
「確かに俺の今の躰はメカだが、それとお前の料理の腕は関係ないだろ……やめろよせ、間接は蹴るな」
「さいあくだ!」
帰宅後、父親からお説教を喰らったのはいうまでもない。
二時間にわたる死闘だったという。
翌日の昼、クラマは幼馴染みから家へ呼びつけられた。
最早、この程度の横暴は慣れっこであった。昨日の言動から察するに、何らかの料理。しかしナツミは、お世辞にも腕がいい方ではない。
ふと、音がした。
続いて嗅覚センサーを刺激する匂い――香ばしいニンニク、ショウガ、ネギの香り。
油脂の弾ける音に、人工臓器と入れ替えられた内臓が反応する。おかしい、今日は馬鹿に美味そうではないか。
無言で居間に座り込む。幼馴染みの父親がいたので、軽く目礼。昨日の今日のことだけに、話すことも特になかった。
「よしきた、喰らえ!」
お盆を持って現れたナツミは、いつも通りうるさかった。
もう少し賢く成長できなかったのか――おのれの言動に問題がなかったか、全力で思索を始めるクラマ。
だが、良い匂いだった。つい目線が料理へ向いた。
ほかほかと湯気を立てる料理に、覚えがあった。あれはそう、この躰になる前、クラマが無邪気な子供だったころのこと。
母親の手伝いをしたものの、失敗してべそを掻いてた幼馴染み。
その姿が見ていられなくて、不出来なそれにぱくついたことがあった。
なるほど、好物と誤解されているのだろうか。
香辛料の溶け出した赤い油と、よく炒められた挽肉、みじん切りになったニンニクショウガ――その狭間に居座る大きな茄子。
麻婆茄子。
もし自分に生身の粘膜が残っていたら、つばを飲み込んだことだろう。
正直に言おう、お世辞抜きで美味そうだった。記憶にある失敗作など比較にならない出来映えだった。
「もしや、昨日の無茶はこれか」
「そゆこと」
胸を張るナツミのエプロンには、飛び跳ねた油の飛沫が付着していた。余程、集中していたと見えて、本人は気付いていない。
ナツミがわざわざ買い出しに出かけたのは、中華料理のために調味料を必要としていたからだろう。
暴れ人食い茄子のせいで、地元の商店では調達できなかったものだ。
「……いただきます」
勧められるまま、蓮華で小皿に取り分ける。箸で茄子をつまむ――挽肉とごま油に包まれ、柔らかく蕩けた果肉が震える。
口元を覆うカバーを格納し、口腔を露出させて茄子を放り込む。
まず、甘じょっぱい中華味噌の味が口いっぱいに広がった。続けて挽肉の旨みが、噛みつぶされた茄子の甘みと共にやって来る。
こくのある味だった。唐辛子の辛みは抑え気味、代わりに砂糖で味の奥行きを出しているのだ。
美味かった。どうしようもなく美味かった。
「……ど、どう?」
無言で咀嚼するクラマに対し、ナツミはやや緊張した表情で尋ねた。
答えなど決まっているではないか。
「腕を上げたな、ナツミ。大昔に食ったのより、ずっと、ずっと、本当に美味い」
ナツミの顔が、ぱあっと嬉しそうに華やいだ。
こういう笑顔が好きだから、何かんだいって、クラマは彼女のことが嫌いになれない。
感慨深げに二杯目を口に入れる。やはり美味い。サイボーグの少年が満足げにそれを飲み込んだ瞬間――すべてが台無しになった。
「よかったー、具の茄子さ、人食い茄子のを使ったんだよね! 一応、味見はしたけど大丈夫だったんだ!」
説明しよう。
暴れ人食い茄子はバイオ工学の産物であり、ヒト遺伝子を使って作られた野生動物である。
つまりそういうことである。そういえば同じ部屋にいるナツミの父は、一口も手をつけていない。
クラマはお通夜のような表情――複眼から紫色の薄幸を放ち、辛そうにうなだれた。
「…………今の俺の気持ちが、お前にわかるなら、この世界はきっと平和だ」
「幸せってこと?」
ナツミはガッツポーズをしてはしゃいでいた。
クラマは無言で天井を仰いだ。
ままよ、と溜息。
「怒ってもいいよな、俺」
当分、二人の関係は変わりそうになかった。
奇をてらいましたが最終的に王道を目指しました(ブレブレ)