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伊藤さんと善鬼ちゃん  作者: 寛村シイ夫
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7章 小金ヶ原の決闘

「何じゃあ‥‥これは」

 彼女は、突然‥‥いや。ようやく現れた。

「待ちかねたわよ、善鬼。せっかくの前座も全て幕が降りてしまったわ」

 炎にあぶられるように赤く染まる伊藤さんの笑顔。‥‥いや、赤いのは返り血か。

 熱風が伊藤さんの艶やかな漆黒の長髪を、セーラー服をゆらゆらと舞い上げる。

「‥‥何事なんじゃ、お師さん。久しぶりじゃというのに、再会を喜ぶ気も削がれてしもうた」

「ふふふふ‥‥そうね。ちょっと騒がしすぎるかしら。騒ぐ人は全部片付けたというのにね。おかしい」

 炎に燃え舞い上がる陣幕が、崩れ始めた神槍白塔をますます赤く照らし染める。崩れ落ちる外壁が低い唸りを上げ、燃え盛る炎がぱちぱちと騒ぎ立てる。もはや塔の崩壊はもちろん炎を消すことすら人の手では敵わない行為になっていた。

「せっかくだから、ね。あまりにも天気がよくてつまらないから‥‥少しでも盛り上げたかったのよ。二人の決戦を」

「‥‥二人の?」

「そ。あなたと、典膳の、ね」

 神槍白塔の巨大な瓦礫が地面に落ち、どうんと轟音を放つ。それはそのまま、僕の心臓の鼓動だ。

 ‥‥とうとう、この時が来た。

「‥‥何を言うておる、お師さん。それともなんじゃ、典膳が他の拳士ぜんぶやっつけてしもうたのか?」

「御前仕合はもう無いわ。塔も帝も居ないんだもの。あるのは私たちだけの世界」

「‥‥そうらしいの」

「善鬼。よくぞ鬼になったわね。うれしいわ。本当にうれしいわ‥‥。

 これで、私は遠慮なくあなたを殺せるの」

「‥‥お師さん?」

「小野善鬼、神子上典膳。二人に言い渡します」

「はい」

「‥‥‥‥」

「二人には今ここで果し合いを行ってもらいます。

 ‥‥いいこと二人とも。拳士としての、真剣勝負よ」

「‥‥はい」

「‥‥‥‥。何を言う、お師さん。‥‥なんでじゃ。ワシは典膳を殺しとうない」

「あら、なんであなたが勝つと決まってるのかしら。あなたが居ない間私は典膳に技を教えたのよ」

「じゃあなおさら!なんで戦わねばならんのじゃ!ワシと典膳は兄弟弟子ではないか!」

「だからよ」

「‥‥‥‥」

「私は父を倒し、一刀流を私のものにした。一刀流を継ぐのは一人だけで十分なのよ。他の者には一刀流を名乗らせない」

 ‥‥‥‥。一刀流とは‥‥。

 かつて僕が学んできた一刀流とは‥‥。伊藤さんにとっての一刀流とは‥‥。

「さ、もう問答は無用よ。典膳には私の全ての技を教えたわ。――善鬼。あなたに倒せるかしら」

「‥‥‥‥。――お師が言うたんじゃ‥‥。‥‥拳は教わるものじゃない、と」

 うつむく善鬼ちゃんのつぶやきは、きっと伊藤さんの耳には届いていなかった。

 いつも、こんな小柄な彼女のどこからあれほどの破壊力が出るのか不思議でならなかった。でも今の彼女は‥‥その見た目通りの、ちっぽけな、か弱い少女そのものだった。

「‥‥‥‥」

 とぼとぼと歩き伊藤さんから、僕から離れていく善鬼ちゃん。‥‥僕は‥‥今から、彼女と戦うんだ。

 ぽん、と僕の肩に手が置かれる。敵だけを見ていた僕はびくりと跳び上がってしまう。

「同情してどうするの。善鬼はあなたを敵にすら見ていないのよ」

 僕は横目でしか伊藤さんを見ることが出来ない。伊藤さんはいつもの優しい顔で僕に微笑みかける。ずっと、この三年ずっと僕が追いつづけた笑顔で僕に微笑みかけてくれる。

「大丈夫、勝ちなさい」

「‥‥はい」

 ‥‥この二人は、本当に僕とは違うんだ‥‥。

 わかってる。伊藤さんはもちろん、善鬼ちゃんにだって永久に届かない。

 一刀流とは‥‥。

 伊藤さんにとっての一刀流とは。

 僕にとっての一刀流とは。

 何故今になって、この時になってまでひっかかる。気にかかる。――いや、今だからこそ。少なからず伊藤さんに認められ、伊藤さんの本当の弟子と勝負をさせられる今だからこそ、その答えが出せるんだ。きっと僕は勝てない。きっと伊藤さんはそのことを知っている。それでも強くなれと言う。それでも善鬼に勝てと言う。

 ――でも。

 善鬼ちゃんに勝てないと思う僕がいる。強さに迷い、道に迷い続けた僕がいる。

 ――それでも。

 それでも、僕は挑む。挑まなきゃいけない。――伊藤さんの命令だから?一刀流を手に入れるために?

「‥‥ちがう。挑みたいんだ。

 ――やっと会えた、僕もこの日を待っていたんだ。ずっと待っていた善鬼ちゃんにだからこそ、挑みたいんだ。それが――僕だったんだ」

「‥‥!」

 伊藤さんと再会し、伊藤さんと話し、伊藤さんに背を向けた善鬼ちゃんが――僕を見た。目を大きく開き、への字口で、僕を見た。善鬼ちゃんが旅立ったあの日以来、初めて目が合った。

 ‥‥そうか。彼女が僕を見たんじゃない。僕が、逸らしていた視線を正したんだ。――真っ直ぐ前を見ることが出来たんだ。僕は、この親友と、最高の好敵手と戦いたい。彼女達の見る強さを、僕は知りたい。

「そうだよ。僕は、ここにいる」

「‥‥典膳」

「小田原無双、神子上典膳!

 僕はもう迷わない。小野善鬼。君を倒し、君を超えて――僕は、一刀流を継ぐ。伊藤さんを、僕のものにする」

「‥‥‥典膳‥‥。

 その覚悟、もっと早うに身に付けてくれておったら――。ワシらは戦う必要もなかったかもしれんのにの‥‥」

「泣き言か?道場破り」

「‥‥‥‥」

 今になって解かった。僕たちは本当の所、戦うことでしか自分を表現できないんだ。気持ちを伝えることはできないんだ。だから僕は、僕の精一杯の気持ちを込めて彼女に挑む。僕を縛る固執こそ、僕そのものだったんだ。

「‥‥典膳。是非もない話。ワシは本気を出さねばならん」

「僕もそのつもりだ、善鬼」

「‥‥ならば何故構えん」

「何を言ってるんだよ、善鬼ちゃん。これこそが一刀流の構えだ。君は誰よりよく知ってるはずだ」

 無意識だった。僕は無意識で、その構えならざる構えをとっていた。

 それは、宗家だけが成した構え。

 それは、鹿島の地で善鬼ちゃんが見せた夢想拳を放つ前の姿勢。

 全身の力を抜いた真の自然体。ほんの半歩だけの踏み込み。ゆるりと垂らした両の腕。‥‥そう、伊藤さんのあの構えだった。

 ――そうだ。ギリギリで僕は、二人の背中に届いた。

 僕にもあの山の頂上が見える気がした。伊藤さんだけが立つ、強さという山の頂が。善鬼ちゃんが今まさに登りきろうとしているあの山の頂が。

「そう、じゃの」

 表情は――わからない。無表情、と言えばいいのか。体だけではなくその表情までも自然体に――善鬼ちゃんは、僕の前に立っている。

 まるで示し合わせたように僕と同じ構えで。伊藤さんと同じ構えで。

「‥‥最後じゃ。

 ワシは小野善鬼。一刀流、小野善鬼。

 地獄できっと待っとれよ。ヌシとはいずれまた会いたいからの」

 ――覚悟を決めた瞬間から、塔の崩壊は消えていた。続いていた。無音だった。地鳴りを起こし続けていた。

 自然立ちのまま――善鬼ちゃんは動かない。僕も動かない。お互いが夢想拳を身につけた今、立ち姿は隙ではなく、先手は得にはならず、そして奥義は奥義でなくなる。

 でも僕らは、睨み合ったままにはなりそうになかった。

 僕らの上に、気配を感じる。‥‥上の気配を読めば、巨大な塔の頂上がゆっくりと迫ってきていた。ゴゴゴゴゴと、ゆっくりゆっくり‥‥。いや、あまりにも大きすぎてゆっくりに感じるだけだ。すぐにもここへ落ちてくる。通常の仕合よりはるかに広く取っていた僕らの間合い。その僕らの真上へと落ちてくる白塔の頭頂部。

 ――良し。

 巨大な槍の穂先に左半身を隠された善鬼ちゃんに、僕が宣言する。

「ショウタイムだ、善鬼ちゃん」

 ズズズズン‥‥と、大地が震えた。武神の槍が、再び大地を貫く。誰にも止められない。ゆっくりと、ずぶずぶと深くへと突き刺さっていく。

 すかさず左へと周る。こんな時は彼女は右へと回り込むクセがある。これで、飛び込み技を持つ善鬼ちゃんの間合いは潰れて体格的に僕が有利となる中間間合いとなる。

 飛び出して来た善鬼ちゃんの出会い頭に、僕は左の連撃を放つ。この間なら彼女の足も届かない。完全な出鼻のため、善鬼ちゃんが姿勢を崩し後ろに倒れ‥‥るが、とんぼ返りでしのぐ。猫背になってしまっている彼女に、追い討ちざまに上段蹴りを打つ目線を放ちながらの払捨脚。二重の詭――虚をつく攻撃――に、善鬼ちゃんもかわし切れず膝で受ける。それで十分だ。

 そのままの間合いで、僕は全力の右拳を打ち込む。足を封じた彼女にこれはかわせない。

 ――鬼の子の目がぎらりと光った。

 体重差のある払捨脚を受けるために全身の重心を使っていたはずの善鬼ちゃんは、それでも僕の右手を‥‥絡め取り、躊躇なく肘を砕く。僕は、自分の骨が折れる音を初めて耳にした。いや、その音は耳で聞く音ではなく体で感じる音だった。右ひじの振動は、右のあばらをゆさぶることを知った。

 ――激痛だが、これも想定内だった。

 だが、僕は悲鳴を上げた。完全な敗北だ。

 膝から崩れ落ち‥‥、その動きでそのまま流れるように親指一本拳を放った。

 ――払捨脚での姿勢の崩し。右腕を犠牲にしての上半身の固定。そして何より勝ったと思う敵の心の虚。それは、完全なまでの隙。――これも、妙拳だ。まさに必殺の、千文字だった。

 それなのに‥‥。

「典膳‥‥!」

 ‥‥善鬼ちゃんの、悲痛な声。

 それなのに、善鬼ちゃんの拳が僕の胸へと突き刺さっていた。本当に、拳ひとつ分、善鬼ちゃんの右拳が突き刺さっていた。それを見ても‥‥僕は驚けない。

 「‥‥‥夢想拳‥‥か」

 僕は‥‥口からこぼれ落とすようにつぶやく。

 実戦の最中に、本当の絶対絶命時にこそ出る技‥‥。それは、修羅の道で身につけた彼女の技‥‥。

 状況が、彼女に完全な勝利を確信させてもなお隙のない心‥‥。それは‥‥箱庭の僕には持てない心だった‥‥。


(つづく)


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