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伊藤さんと善鬼ちゃん  作者: 寛村シイ夫
32/38

6章 前夜祭 (2/4)

   2

「本当によく晴れてること‥‥。せっかくの今日と言う日が、残念ね」

「え?残念なんですか?」

「それはそうよ、典膳」

 伊藤さんはくるりと振り返り、いたずらっぽく笑う。

「だって雷鳴の響く中の方が決戦らしくはない?」

「‥‥そうですね」

 ここは、帝謁見者の控えの間。御前仕合を明日に控え、帝直々に招かれた伊藤さんの付き人として分不相応にこんな所まで来てしまっている。ここでしばらく待つようにと、案内してくれた但馬守様に言われてはや一時間が過ぎた。

 そんなことなど全く気にならない様子で、伊藤さんはいつになく声を弾ませている。だが場慣れしているというか‥‥緊張感は全く見られない。

 僕がうれしそうですねと言うと伊藤さんが笑う。

「ふふ‥‥そうね、そうだわ。高揚が抑えられない感じね。こういうのを何て言うのかしら、典膳」

「なんでしょう、血沸き肉踊る、でしょうか」

「‥‥ああ、ちょっと違うわね。魂が震える、というのはどうかしら」

「そんなにですか」

「そんなに、ね」

 また、伊藤さんが笑った。正直少し意外だ。どんな大身大名に声をかけられても取り立てられようとしなかった伊藤さんがいくら帝からの直々の謁見申し出とは言え‥‥。

 窓から外を眺める伊藤さんは‥‥本当に子供のように、無邪気に笑っていた。


 程なくして呼び出された御前仕合試合場。その中央に伊藤さんは半座半立ち――蹲踞(そんきょ)の姿勢で右拳を床につき、深く頭を下げた。

「お初にお目にかかります、帝。一刀流宗家・伊藤一刀斎景子。帝のお召しによりまかりこしました」

 ‥‥そのはるか後方で僕は半跏趺坐(はんかふざ)に平伏した状態で控えている。

 僕らが拝礼する正面高座には、見たこともないような整えられ純白に染められた美しいよしずが掛けられている。‥‥このむこうに、帝がおられる。

 右手には大大名ら数人が座し、こちらを睥睨している。

 そして僕らの後ろには、神槍(しんそう)白塔(つくものとう)が聳え立っている。その名の通り、九十九(つくも)の高さを誇る白く気高い塔が立ち誇っている。

 こんな場に、全国の他の一刀流道場主らを差し置き若輩のこの僕が付き従う。‥‥畏れ多いことだとは思う。けど、今の僕は間違いなく一刀斎の直弟子。差し置いているというのなら善鬼ちゃんだけだ。

「大儀である」

 と、御簾の前に控える但馬守が代弁する。平伏している僕には見えないが、帝が何かを話す気配がする。

 本来ならもうひとり、塚原卜伝も招くはずだったと但馬守が代弁する。

 ‥‥塚原卜伝が破れ倒れたことはもちろん誰もが知っている。朝廷の耳に届くのはもちろんの事、枯野を走る火のように国中の誰もに噂は広まっている。

 続く帝の言葉は、流石は一刀斎の弟子とのお褒めの言葉だった。一刀流に対するお咎めは無い。

「しかし、明日のこの場で勝負致すべきでは、あったな」と、但馬守は帝の笑いも代弁するようにからからと笑ってみせた。

 これが――僕らの世界。どんな結果になろうが、強ければ尊敬を勝ち得る。卜伝は強さのみを求める拳は邪道だと言っていた。その卜伝も最後には剛力での決着を求め、善鬼ちゃんに敗れた。敗者の言葉は――誰にも届かない。

 そうしていくらかの話の後、一刀斎の仕合働きを楽しみにしているぞと、但馬守が締めくくりの言葉を代弁する。

「‥‥果たして、明日という日を楽しめるでしょうや。今日という日を私以上に楽しめるでしょうや」

 と、伊藤さん‥‥。何だ、と但馬守が眉をひそめる。これも帝の御心の代わりだろうか。

 ぴんと背筋を伸ばした蹲踞で控えていた伊藤さんがそのまま真っ直ぐに立ち上がる。

 但馬守が、大大名らが、控えの役人らが、そして僕が‥‥。予想外の動きにその場の視線がすべて伊藤さんに浴びせられるのを意にも介さず、伊藤さんは全くの無音でスッスと、神槍白塔へと歩み寄る。

 伊藤さん‥‥突然、何を‥‥。

「‥‥思ってたより、少し冷たいわ」

 試合場のすぐ横に、あの神槍白塔が聳えている。‥‥正確には白塔の横に試合場がある。武神の投げた槍の御許で拳術仕合を執り行うわけだ。周囲全域は朝廷直轄領として厳しく立入りを禁じられているこの塔をこれほどの間近で見るのは、この町で生まれ育った僕でももちろん初めてだ。

 皆が見守る中、伊藤さんは振り返ると笑顔を見せた。

「帝。一刀斎思いまするに、帝こそこの国の歴史そのものであり、人々の中心たる御存在。

 この塔こそ世界の中心にして、拳士たる我々の道しるべでは御座いませんでしょうか」

「‥‥うむ?」

「ふふふ‥‥。下らない、下らない、下らない」


(つづく)

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