4章 それぞれの修行 (5/8)
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善鬼ちゃんが居なくなって一ヶ月が過ぎていた。
学舎の部道場での稽古。いつもなら授業を終えた彼女も交えての練習をしている時間だ。でも、もう善鬼ちゃんは居ない。
「‥‥古藤田、後やっといてくれないか」
「わかりました」
基礎稽古を終え、後の指導を古藤田に任せて僕は道場の隅に下がる。この間までは善鬼ちゃんを相手に技を教えたり、あるいは二人で組手をしたり‥‥。あんなに激しくて容赦なく飛び掛ってくる野生児との組手が、こんなに懐かしい。僕は一人で巻藁打ちを始める。
――そうさ、あいつとも今生の別れじゃあるまいし。一年。ほんの一年の間だけだ。いずれ彼女はここに帰ってくる。そうさ、あいつはもう一刀流の小野善鬼なんだから。
離れていたって目指す所は一つ、同じ場所だ。伊藤さんのように、強く。他の誰にも負けないよう、つよく強く。まずはアイツに、今もきっと道々で戦い経験を重ねてるだろう善鬼ちゃんに負けないようになるだけだ。彼女が修羅の道を行き鍛えるなら、僕は僕の道を行くばかりだ。この、僕の道場で。先人達の遺した技術を学び、それらを練り上げる。時間をかけてじっくり身につける。一つずつ丁寧に、丁寧に‥‥。そう、別の道を進んでも目指す場所は同じなんだから。次に彼女と会った時に笑われないよう、しっかりしなきゃいけない。
「‥‥最近がんばってるわね、典膳」
「あ!‥‥伊藤さん。今日は学舎に来てたんですね」
「まあね。しばらく部道場の子らの相手をしてたんだけど‥‥あなた、気付かないんだもの」
「すいません‥‥。そんなに笑わないで下さいよ」
「だっておかしいわよ。後ろから脅かそうかと思ったぐらいだわ。‥‥いい集中力よ、典膳」
「ありがとうございます。――どうです?久しぶりにここで組手していきませんか?皆にいい刺激になります」
「今日はやめておく。あなたが誰かと組手なさい。見ていてあげるから」
「わかりました」
どんな風の吹き回しなのか。――何にせよ伊藤さんに見てもらえるんだ。ついてる。
僕はまたみんなが稽古している中央の方へと戻り、周りを見回す。それぞれ空間を取りながらまちまちに組手稽古を行っている。
――最近調子が良く腕を伸ばしている笹森に目を留める。その笹森を呼び、僕に攻撃をしてこさせる。そうしながら彼の良い連携攻撃を誉め、しかし打ち終わった後の防御が甘くなるいつもの悪いクセを指摘し直させる。これが僕の、道場生に対する一番の仕事になる。
何度かそれを繰り返して面倒を見たら次の道場生を呼び、また同じように稽古をつけてやる。みんな真剣に話を聞くし、きちんと後に活かすので教え甲斐がある。
三人目に教え終わったあたりで伊藤さんから声がかかった。‥‥つい夢中になって伊藤さんのことを忘れていた。
道場生達も、今僕がやったのと同じように先輩が後輩に技術を教えていく。その様子を眺めることで、僕は道場生全ての力量を大体把握している。――こうして道場というものは回っている。だから伊藤さんも、今の僕を見ているだけで現段階での僕の力量というものがおおよそ掴めているはずだ。
「‥‥うん、良くなったわね。やっぱり善鬼と過ごさせたのがよかったのかしら」
「そうだと思います」
「典膳。これから私があなたを鍛えてあげる」
「‥‥え?」
「毎晩深夜、皆を帰らせた後できっちりあなたを鍛えてあげる」
「‥‥‥‥え?」
「それで日中は私が教えたことをしっかりと反復して理解なさい」
「‥‥はい!それじゃあ‥‥!」
「励みなさい、典膳」
「はい!」
深々と頭を下げ、去って行く伊藤さんを送り‥‥。
おい、僕もとうとう君に‥‥!
ばっと頭を上げて横を――見ようとして、気が付く。‥‥そうだ、善鬼ちゃんは居ないんだった‥‥。
‥‥うれしい気持ちが、少しだけしぼんだ。何年も夢見ていた喜びのはずなのに、彼女が居ないだけで‥‥。いや、とにかく一年後だ。彼女と再会した日に「それでもワシの弟弟子か、情けな膳め」とか言われないためにもがんばろう。
‥‥そんな風に善鬼ちゃんを想像していると、あらためて喜びがこみ上げてきた。伊藤さんにはいつも驚かされる。なんでこんな突然に。僕は今きっと、拳士にあるまじき、みっともないぐらいの笑顔になっている。道場生たちに見られないよう、僕は手ぬぐいで汗を拭いて隠した。




