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伊藤さんと善鬼ちゃん  作者: 寛村シイ夫
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序章 塔のある街

挿絵(By みてみん)

序章 塔のある街




「ヒマじゃのう。ヒマじゃのう。どっかに殺人鬼でも落ちとらんかのう」

「‥‥第一声がそれかよ」

「言うてもあれから道場破りも来んではないか」

「いや、あれからって言ってもたった三日だろ。善鬼(ぜんき)ちゃんうれしそうに蹴り倒したばっかじゃないか。‥‥大体暇つぶしがケンカってのはどうなんだ」

 ‥‥善鬼(ぜんき)ちゃんはいつものように人の話も聞かずに好きなことを言う。こっちは仕事してるというのに。

挿絵(By みてみん)

 机に向かって書類に筆を走らせている僕の横で、善鬼ちゃんはだらけ切ったネコのように火鉢を抱え込むようにして床にダレている。――畳敷きじゃない、洋間の板張りにだ。スカートだというのに。

 その善鬼という厳めしい名前の善の部分にはそぐわないこのふてぶてしい態度。鬼の部分にはぴったりの仏頂面。部屋の中でもいつものマフラーを巻いたままの、そんな妙な格好でだらんと床にのびている小柄な少女。思わず疲れたようなため息をこぼしつつ、僕は墨入れの墨に筆先をちょんちょんと染めて書類仕事を進める。

「あ~~、お師さんは相手してくれんし‥‥。ヒマじゃのう」

「善鬼ちゃん‥‥。伊藤さんを暇つぶしの相手みたいに言うなよ、マジで」

「やかましいわ。典膳(てんぜん)、いいから何か芸でもしてみい」

「そんなに暇なら道場行って稽古してこいよ。僕が居なくてもやり様はあるだろ?‥‥大体お前は普段稽古する時は真面目にやるのにサボる時極端すぎんだよ」

「何事もメリハリが大事ということじゃな。勉強になったの、典膳(てんぜん)

「なんか違うだろそれ。――あとそれ、火鉢を占領するな。今日は寒いんだから」

 その僕の言葉に応えるように窓ガラスがガタガタと音を立てた。僕の家はこの町ではまだ少ない二階建ての洋館だ。煉瓦壁の家なので外の風は入ってこないがどうしても家の中でも空気は冷える。最近は煉瓦も国産されるようになり、多少の無理をすれば煉瓦造りの家が建てられたわけだけどやはり何事も一長一短がある。

「しかし本当にヒマじゃ。‥‥お鈴のうちにでも遊びに行くか」

 お鈴って、沙鈴か‥‥。学舎で僕らと同級の女の子で、たしか善鬼ちゃんと同じ15歳だったか‥‥。そういや善鬼ちゃん、最近よく彼女と一緒にいる姿を見るな。

「よし、遊びに行く。ほれ、典膳も用意せい」

「‥‥は?なんでだよ。つかだから僕は仕事してんだってば」

「典膳は年はナンボじゃ。たしか18か」

「そんなもんだ」

「なのに女友達のひとりもおらんヌシのために女子と遊ぶ機会を作ってやろうというこのワシ様の心遣いがわからんのか」

「‥‥ウソくさいなぁ」

「お鈴はヌシなんぞにはやらんがな」

「ほら見ろウソじゃないか」

 沙鈴は四半分、南蛮人の血が入っている。イングランド人の祖父の血が色濃く出ているらしく、金髪に碧眼という南蛮人のような見た目をした少女だ。僕の拳術道場にも通っているから僕もよく知っている。体の弱さを押して一所懸命稽古している真面目な女の子だから印象深い。

 ――道場破りとして善鬼ちゃんが僕の拳術道場に現れたのは今から半月ほど前だ。来たばかりの頃、さすがは元道場破りだけあって誰彼構わず睨みつけていた善鬼ちゃんも最近は一気に大人しくなった。‥‥これでも、だ。あるいは沙鈴と友達になったのがいい影響を与えてるのかもしれない。ふらりと流れてきた拳術修行だけのやんちゃの固まりみたいな野獣と、町一番の舶来雑貨屋の病弱な看板娘。見事に正反対の二人だからこその影響が。

「そうだな、まぁいい。ちょうど上瑠守屋に行って伊藤さんの髪留めを選ぼうと思ってたんだ。一緒に行くよ」

「何、ヌシだけお師さんに贈り物か!ズルいぞ、ワシもそうやって点数を稼ぎたいわ!太鼓持ちめ!!」

「‥‥失礼なこと言うなぁ。大体善鬼ちゃん、あの人に束脩も納めてないだろう。普通弟子入りする時は束脩っていう贈り物を差し出すもんなんだよ。あと月謝もな。もっと言えば家賃もだ。僕んちに居候するだけしやがって」

「まぁどうでもいいわ。ハラが減ったしそろそろメシがてら出かけるか。ちょうどいい時間じゃしの」

「すげえ露骨にすり替えやがったよコイツ。いいけど‥‥」

 ぴょんっと飛び起き、いつものブレザーを羽織ると一人ずかずかと出て行く。‥‥しょうがない、書き物は帰ってからにしよう。明日までに仕上げれば間に合う仕事だし。


 僕の家は出てすぐ隣に拳術道場を別棟として建てている。そこが僕の何より大切な城、一刀流拳術道場の小田原支部道場。建ててまだ二年と、実に新しい道場だがかなり繁盛していると思う。それは僕の力というよりは別の看板のおかげだけど‥‥。

 道場経営は門下生の面倒を見るだけではいけない。なんだかんだで溜まっていた事務作業を一気に片付けるつもりで今日は稽古全般を師範代に任せていたんだけど‥‥。とりあえず僕は出がけに道場をのぞき、師範代にちょっと町まで出かけてくることを告げてくる。門の前ではまだかまだかとちっこいマフラーっ子が仁王立ちで僕を睨んでいた。それなら一人で行けよと。

 やや高台にある僕のうちから坂道を下り、町の方へと向かう。小さい手を振るようにてっくてっく歩く善鬼ちゃん。近所の町人が僕らに会釈をくれる。この辺りにはまだまだ昔ながらの平屋の藁葺きが多い。もうちょっと下って町に出れば南蛮風の木造洋館や石造りの館もちらほらと建っている。この数十年で南蛮との貿易が、文化交流がいよいよ盛んになってきた。今から行く上瑠守屋はその象徴と言えるだろう。

「ワシもお師さんになんか買うぞ!そくしゅうじゃ!」

「お、よく覚えてたな。‥‥もちろん代金は僕持ちなんだろうけどな」

「お師さんには扇子とか似合いそうじゃのう。かっこいいやつ」

 僕のぼやきはもちろん気にもせず、善鬼ちゃんはあげる相手を想像してだろうか実にうきうきとしている。

「そうだね。似合うだろうけど、伊藤さんもういいやつ持ってるよ。前に京都で買ったって言ってた。扇ぐとお香の香りが漂う洒落たやつだったな」

「む。ワシは見たことないぞ。なぜ身に付けとらん」

「‥‥だって今冬だし」

「そうか、冬か」

「バカか。

 ‥‥いってえ!また蹴りやがったこの野郎!」

「冬でもほれ、なんか、使うじゃろうが!扇子!アホ膳!」

「使わないから持たないんだよ!アホはおま‥‥蹴るな!」

「オホホって笑う時とか!茶が熱い時とか!典膳が屁をこいた時とか!使うじゃろが!色々!」

 ‥‥グーに握った両手をぶんぶん振り回しながらアホがアホなことを叫ぶ。すれ違う町人がくすくすと笑っている。僕はともかく善鬼ちゃんの顔もすっかり町の名物として町人たちに覚えられていると見える‥‥。

 そんなアホの相手をしながら歩くうちにようやく町の表通りへと出、やがて沙鈴の家である上瑠守屋が近づいた。彼女の家は大通り沿いに建つ大店だ。僕もたまに買い物へと訪れることがあるので場所はよく知っている。その上瑠守屋の前に、今日は何故か一人の男が立っているのが見える。‥‥店の者とはとても思えない、薄汚れた偉丈夫だった。

 睨みを利かすように腕組みしている男をいぶかしみながら店の中をちらと覗く。厳しい男数人が着物姿の娘を取り囲んでいる。また、その男達の周りをおろおろとしている番頭と丁稚。‥‥なるほど。

「なんじゃ、何やっとるお鈴。モテモテか?」

 明らかに無頼漢が店を強請っている店内へと善鬼ちゃんはずんずん入ろうとする。入り口で見張りとしてだろう立っていた男がきょとんとする。‥‥正直、僕もだ。無視された見張り役はもちろんその役割を果たそうと慌てて善鬼ちゃんに怒鳴った。

「おい、何普通に入ろうとしてんだよ!今日はもう店じまいだ、帰れこのガキ!」

「ガキと言うたかッ!!」

 電光石火だった。あまりにも間髪を入れない善鬼ちゃんの飛び蹴り上げが男のアゴをかち上げた。

 ぎゃあ、と悲鳴を上げて地面に膝をドスンと押し付けた男は、アゴを包み込んだ両手の指から血をどろりと溢れさせる。無闇に悲鳴なんて上げるから血が出るんだ。何にせよ一撃で男のアゴの骨が砕けたのは間違いない。

「やかましいわ」

 跪いたことで丁度目の前に来た男の耳を善鬼ちゃんはむんずと摘まみあげ、ねじるようにして後ろに引きずり倒す。面白いように男はその方向へと転がり倒れ、店の前を空けてくれる。

「‥‥お前、ちょっとムチャクチャだぞ。いきなり手を出すな。――足もな」

 善鬼ちゃんに言いながらも僕は店の中へと踏み込んだ。‥‥やはり強請りの場面で間違いはなさそうだ。どう見ても店の者ではない、汚れた着物の武者修行者らしい拳術家が三人、面食らった顔で僕らを凝視していた。そのうちの一人に腕を掴まれた店の看板娘が青い瞳ですがるように僕を見る。

神子上(みこがみ)先輩っ!善鬼っ!」

「遊びに来たぞ、お鈴」

 善鬼ちゃんがにかっと笑って手をひらひらと振る。離れていてもぶるぶると震えているのが解る彼女のすがる視線に、大したことはないと言って聞かせるようないつもの善鬼ちゃんの顔。

「あ、あと買い物にも来たんじゃった」

 挑発の名人らしく善鬼ちゃんがすっとぼけたことを言う。だからいちいち油を注ぐなと言うのに。

 仲間をやられ、小娘にしか見えない善鬼ちゃんの言葉にあからさまに怒り出す男たちだったが――。

「‥‥神子上(みこがみ)?お前、神子上(みこがみ)典膳(てんぜん)か?!一刀流の神子上典膳か!!」

 沙鈴の細い腕を掴んでいる男が、目を丸くして僕を見る。後の二人も仲間のその声にはっとした表情になった。やっぱりただのゴロツキじゃなく拳術家かもしれない。男達は僕の名前を知っていた。

「何故撲がお前達みたいな無頼漢に名乗らなきゃいけない」

「くそっ‥‥、まぁいい、お前に用があって小田原に来たんだ!神子上典膳、俺達と勝負しろ!!」

「だから勝負したければ娘を放して堂々と道場に来い。一刀流を舐めるな、道端でお前達の相手してやるほど安い看板じゃないんだ」

「おう、その通りじゃ」

 ‥‥ついさっき道端で暴れてた善鬼ちゃんが胸を張って言いやがる。

 軒先には悲鳴と血を撒き散らす男。店の中では人質をとって声を荒げるばかりの男たち。いつしか店の周りには野次馬の人垣が出来上がっている。善鬼ちゃんにやられて僕に言い負かされる無頼漢に、町の人たちはいい見世物だと声に出して笑い声を上げている。

「くそっ‥‥!!」

 着物を血で染めた仲間を引きずるようにして四人組みはあわてて退散していく。何か言いたげだけど、典型的な逃げ台詞を出して笑われるのを恐れたのか黙って走り去った。店の外に出て、連中が逃げ去ったのを確認する僕の横で善鬼ちゃんがつぶやく。

「しかし殴るのも駄目、名乗るのも嫌、一騎打ちもせんとな。なんとワガママな男じゃ典膳は」

「‥‥え?今の対応でも撲が駄目出しされるのか?」

 本当にムチャクチャなことしか言わない善鬼ちゃんに苦笑いを、僕らに向けて拍手する町人たちには照れ笑いを浮かべて僕は再び店ののれんをくぐった。ただちょっと買い物に来てなんでこんなことに。

「シャーリーン!大丈夫か?!怪我はないか?!」

 店の奥に居たのだろう、丁稚らと共にあわてて転がり出てきた主人が忙しく首を回しながら沙鈴に声を掛ける。

「はい、父様。あの、ちょうど神子上先輩が来てくれて‥‥。何もされる前に追い返して下さいました」

「それはそれは‥‥。神子上先生、本当にありがとうございました」

 ぺこぺこと頭を下げる番頭や丁稚らと並んで、主人も安堵感を隠しきれずに僕に頭を下げる。

「いや、僕は何もしてないですよ」

「本当に何もしとらんわな、典膳は」

「うるさいな、お前はやりすぎなんだよ」

 固くなっていた頬も緩み、赤みが戻った沙鈴が口に手をやってくすくすと笑う。

 色鮮やかな着物の上から南蛮式の真っ白な前掛け――エプロンと言う――を付けたいつもの姿。小金のような彼女の金髪は、店の中にあってもやはり絹糸のようにきらきらと輝いている。ことに上瑠守屋のような舶来商にとっては紛れもなく三国一の看板娘だろう。やっぱりあんな怯えた顔は似合わない。

「デレっとしとるのう、デレ膳は」

「だからうるさいってお前は」


「‥‥女の子の部屋に入るのって初めてだ」

「あまり見ないで下さい、先輩。恥ずかしいです」

「初めてじゃと?デレ膳、ヌシはお師さんの部屋に入ったことがあろう」

「‥‥伊藤さんを女の子呼ばわりするのはこの世でお前ぐらいだよ」

「じゃあ、ワシの部屋にも入っとるだろうが」

「はぁ?はははは、だって善鬼ちゃんは」

「黙れ典膳、蹴ってやるからどれがヌシの足か教えろ」

「‥‥そうだな、掘りゴタツの中だと間違えて沙鈴の足蹴りそうだもんな」

 沙鈴と三人、僕らは彼女の部屋へと移動してコタツにあたりながらお茶をすすっている。僕は買い物を済ませたらさっさと戻るつもりだったのに何故かこんなことになっている。

「でも本当に助かりました、先輩。さすがお強いんですね」

「いや、ホントに僕は何もしてないじゃないか」

「あの男たち、神子上先輩の名前だけで逃げたじゃないですか」

「‥‥ワシは典膳よりも強いぞ」

 対抗意識丸出しで口を尖らせる善鬼ちゃん。それを見て困ったように沙鈴が小首をかしげる。

「うん‥‥。善鬼が強いのは知ってるけど‥‥。でもやっぱり神子上先輩には敵わないでしょ?だって神子上先輩って、誰にも‥‥」

「アホウ!ワシはお師さんの弟子ぞ、お師さんの!典膳ごとき一発で毒殺じゃわ!」

「そうやってムキになるところがかわいいなぁ、善鬼は」

 ころころと彼女らしい笑い声をあげ、沙鈴が善鬼のクセ毛をつまむ。ヒゲをひっぱられた猫みたいに頭をぶんぶん振りまわす善鬼ちゃんを沙鈴はニコニコと見つめている。

「‥‥やめんかお鈴!かわいくなぞない!」

「ああそうだな、かわいくないな」

「なんじゃと典膳?!」

「ああもう、お前めんどくさいよ」

「ヌシなぞおでことか爆発しろ!」

「しねえよ」

 また沙鈴がおかしそうに笑う。その笑顔はいかにも女の子といった態で本当にかわいい。どっかの野生児とは大違いだ。

 この町において善鬼ちゃんは特別な存在だ。いや、この町に限らないことだろう。拳術至上主義のこの世の中で、多くの拳術家が往来を行き来する世の中においてもなおずば抜けた能力を持つのが、このちっぽけな少女だから。――これまでただ一度しか負けたことのなかった僕を負かした程の拳士だから。

 そんな特別な善鬼ちゃんをこれほど普通に女友達のように接している沙鈴は別の意味で大物じゃないのか。‥‥いや、さしずめ猛獣使いだな。

「――でも本当に強いのは強いよ、善鬼ちゃんは。何せあの伊藤一刀斎の唯一の弟子だし」

「お、ヌシにしては珍しい。いいこと言うではないか。もっと褒めろ」

「無理だよ、今ので褒めるとこ全部だし」

「何たる言い草っ?!」

「ふふ‥‥。神子上先輩もこんな話をするんですね。知りませんでした」

「僕も知らなかったよ。このバカに身の丈を合わせてやってるだけだから」

「ここか!」

「痛ってえ!‥‥蹴るなよバカ」

 掘りゴタツの中だというのに目測をつけてまで蹴ってくる野生児。

「お前さ、せっかく沙鈴と仲良くしてるんだからちょっとは彼女を見習えよ。女らしさというか、可憐さというか」

「‥‥‥恥ずかしいですよ、先輩」

「恥ずかしくはないだろう、いいことじゃないか」

「先輩の前だから猫をかぶってるだけです」

 そう言って彼女はまた恥ずかしそうに頬へと手をやる。そんな仕草がいちいち女の子らしく、いつも拳術の稽古ばかりの僕にはなんだか新鮮だ。

「でも私、やっぱり善鬼みたいに強くなりたかったな」

「そうかなぁ。拳術は出来なくても沙鈴はそれ以外全て持ってるじゃないか。

 ――優しい両親も居て美人のお姉さんもいる。大きな家に財産、友達、学力、女らしさ。特に最後の二つは善鬼ちゃんなんてゼロだぞ?ゼロ」

 ――と、言うやいなや僕の首がいきなり締め上げられる。

「ぎゅ‥‥うう‥‥、ま‥て‥‥」

「‥‥‥‥」

「ちょちょちょちょ!!ぜ、善鬼!!善鬼ってば!!」

 無言で、真顔で撲の首を絞める善鬼をあわてて沙鈴が止めに入る。

「げふっ‥‥!!じょ、冗談‥‥だろ、げはっ!」

「いや何、ワシのが典膳より強いという証拠をな。お鈴に見せとこうと思っただけじゃ。別にぜんぜん怒っとらんぞ?」

「怖ぇよお前、無言で首絞めるな」

「‥‥ええぇ?!神子上先輩、この子いつもこんななんですか?!」

「まぁ、わりと‥‥」

「しかしコタツは魔物じゃの。もう帰りたくないわ」

 そんな僕らのやり取りを聞き流し、いつものように突然話題を変える善鬼ちゃん。‥‥行動も言動も全てが自由奔放な善鬼ちゃんにも、なんかもう僕もすっかり慣れてしまった。慣れたくねえよこんなの。

「まぁそうだな、それだけは同意するよ。一度入ると出られないな、コタツ。‥‥もうここに住もうか」

「お、それはいいのう」

「ええ?!」

「いや、冗談だよ。そんな驚かなくても」

「で、ですよね‥‥。すいません」

 今度は耳まで真っ赤になってうつむく。――いや、そこまで焦らなくてもいいけど。

「――典膳に乙女心が解るはず無いでのう」

 不思議そうに沙鈴を眺める僕に向かって善鬼が妙なことを言った。

「お前から乙女心なんて言葉が出るとは思わなかったよ。

 痛ってえ!‥‥お前、言い負けたらいちいち蹴るクセ治せよ!」

「家にも掘りゴタツ欲しいのう。典膳、なんとかせい」

「そんな金無いよ。どうしても欲しければたまには君が稼いでこいよ、居候」

 間に一方的な攻撃が挟まる僕らのやり取りに驚きながらも、沙鈴が笑いながら話題に入ってくる。

「そう言えば善鬼って小田原に来るまで、一人で武者修行してたんでしょ?」

「‥‥まあそんな感じじゃのう」

「生活費はどうしてたの?旅費は?」

「そんなもん、悪そうなヤツやっつけたら持っとるわ」

「それじゃお前が悪いヤツだろうが」

「おっとそうじゃ、さっきの連中から金巻き上げるの忘れとったわ」

「やだもう、善鬼は」

 沙鈴がまた楽しそうに、上品に笑う。‥‥沙鈴は冗談だと思ってるんだろうけど、善鬼ちゃんは多分本気だ。

「いいなぁ、善鬼は。あんなに強くて、行きたいところに行けて。神子上先輩や伊藤一刀斎様と一緒に暮らして‥‥。ウソみたい」

 そう言った彼女の笑顔は少し寂しそうなものになる。――どこで暮らすにしても拳術が強いというだけで特別視される世の中だ。体の弱い彼女の気持ちを察することぐらい僕にだって出来る。

「――私、伊藤一刀斎様に憧れていたんです。女の身で無敗の拳豪と呼ばれて。‥‥あの塚原卜伝様とも互角の勝負をされて。そんな伊藤一刀斎様の噂を聞いているだけで私、ワクワクしてました。そんな方がこの町にやってきて、そのまま小田原無双の神子上先輩の道場に住まわれて。そんなお二人の道場に私も通えるようになって‥‥。それだけでも本当にうれしくて‥‥。少しでも強くなれたら、って。そう思ってます」

 彼女の言葉は、拳士を目指す若者の間でよく使われる言い回しを思い出させる。

「あの白塔(つくものとう)のように、だな」

「――え?」

「まっすぐな白塔(つくものとう)のような強さを求めて、だよ」

「そんな立派なものじゃないです――。ただ、せめてもうちょっとでも、善鬼みたいに自由に走り回れたら‥‥ってだけです」

「道場生のほとんどがそれだよ。今の自分より少しでも強くなりたい。その姿勢が一番大事だ。いくら強くたってさっきの男達みたいなのはどうしようもない。あの男達は無論君よりはるかに強いだろう。でも上には上がいる。その程度の強さをひけらかす連中なんかより、今の自分を超えることが目標という君の方がよっぽど立派だ。――伊藤さんもきっと同じことを言うよ」

「止めて下さい‥‥恥ずかしいです、先輩」

 本当に恥ずかしそうに、彼女は顔を両手で覆い隠してしまう。

「アホのくせにカッコつけとるのう、典膳は。似合わんのにのう、似合わんのに。全くのう」

「‥‥悪かったな」


「それにしても彼女、あんなに恥ずかしがることないだろうに。どうしたんだ」

「ヌシみたいに恥ばっかかきすぎて恥ずかしいというものを忘れたモンにはわからんか」

「好き放題言うなぁ‥‥。僕お前にそんなに言われるようなこと何かやったか?‥‥あとなんで蹴る」

「やかましいわ、黙って蹴られろ」

「だから痛いって、なんで二回も蹴るんだ」

 気がつけば夕方になっていたので店での買い物は次の機会にし、僕らは帰路についた。‥‥これじゃあ本当に遊びに来ただけじゃないか。

 帰り際、沙鈴の父――上瑠守屋の主人は僕にまとまった金子を持たせようとした。それじゃあ用心棒のようだと断ったが、娘のお月謝ですからどうぞお納め下さい、と言って受け取らされた。なるほど、さすが大店の主人は卒が無い。ありがたく頂戴して店を後にした。

 日が落ちるのも早いこの季節。町の店の軒先にはもう提灯が点り始めていた。中には上瑠守屋のようにランターンという南蛮の高そうなガラス提灯を吊っている店もある。

「結局お師さんのお土産買うヒマが無かったのう、天然」

「そうだなぁ‥‥。今度の部道場の休みにでももう一度見に来よう。

 ‥‥ところで今の、僕を呼んだんだよな?」

「おう」

「典膳って言ったよな?」

「まぁ、大体」

「大体?」

「似たようなもんじゃ。大体合ってる」

「何て言ったんだよ」

「しつこい男じゃのう、天然は」

「今典膳っつった?」

「大体」

 そんな風に僕ら二人はのんびりと歩き、町の外れに出るころには日はとっぷりと暮れていた。月が登り切らずほの暗い夜空。一本の白い塔だけが照らし出されたようにぼんやりと浮かび上がっていた。高台へと登る帰路からはその姿がよく見える。

挿絵(By みてみん)

 ――僕らの町には、塔があった。

 空を、世界をまっぷたつに切るようにそびえ立つ塔があった。

 まっすぐな、さながら刀のようなその塔に魅せられたように僕たちは強さを求める。あの白い塔のように、まっすぐな強さを――。

 この時の僕らは、崩れ落ちるあの塔の前で死闘を繰り広げることになるとは夢にも思っていなかった。塔の断末魔に合わせてどちらかが命を落とすなんて、考えもしなかった――。


「お鈴にも困ったもんじゃ。‥‥ダメ男萌えとかいうやつか。ワシにはわからんわ」

「‥‥何おとこもえだって?」

「やかましいわ天然」

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