呪五色断刀式
破滅に向かう男の話。
死者の魂が帰ってくるという時期らしい。とにかく暑い。むかつくほどに暑い。
容赦なく太陽はおれに照りつけていた。今日に限って雲ひとつない夏らしい暑い日だった。
そして息苦しい。呼吸をすると肺のあたりでゼイゼイ音がする。
薬を飲んでしばらくたったが効果が症状に追いついていなかった。
いやな暑さだ。だがこの熱気で息苦しさが幾分か減る。体は冷気を欲していたが呼吸器の粘膜は冷気に敏感でわずかに触れても喘息を誘発したからだ。
さっきから傘を持たずに夕立に遭ったみたいに全身ずぶ濡れ状態だった。汗で、である。
正午であと一時間弱の午前に街路樹すらない街のアスファルトの脇の歩道を歩くということがいかに熱いか知っていたが、避けられない運命だった。おいおい今更運命だって?
運命?
使命?
任務?
勅命?それはない。おれは使える王がいない。誰かにかし付くのはもうたくさんだった。
さらに言えばここを歩いている事自体は強制ではない。おれの自由の選択肢の一つだだ。遠回りで良ければもっと涼し気な木陰のある歩道を歩けばよかったのだ。しかしおれの右手がさっきから焦っているのだ。急がなければならなかった。
強いて言えば今のおれの主はおれの右手だ。
何者も抑え切れない強い欲望を持つこの右手によっておれは支配されていた。
うずく。疼く。筋がつって痙攣を起こしたかのように指が震えていた。
それが欲しているのはポケットの中にある。
だがそれは今ではない。
だがもうすぐだ。もうすぐ。
この通りをまっすぐ十数分ほど歩くだけだ。だがそこまで持つのか少し疑問だが。
正午は迫っている。それまでにたどり着かなければならなかった。
息をすることが重苦しくなってきた。
反呪の影響なのか。それともおれの行動に気付いた者が呪をかけようとしているのか。
そんな奴はいないだろう。気付いた奴はおれより先に黄泉平坂に着いている。
元々体は強くなかった。無理を強いてガタがきたのかもな。しかしまだ待ってくれ。もう少し。
見えてきた。小さな神社。赤目大黒が祀られている神社だ。だが目標はそれではない。
運がいいことに人気が絶えている。やるなら今だろう。
やっとポケットの呪具を手にする時がきた。
すでに三色の呪法を断ってきた呪具。
普通の小刀だがすでに穢されている。穢れで神気を断っている。それが黒の穢手である。それを呪術師につけてもらった。命を削るのを対価に封印の神気を断つのだ。
封印は後一つで解かれる。赤目大黒。白青紫赤それぞれの眼の色の大黒はあるものを封印するためにそのものの四方に配されていた。
中心にあるのは破滅である。
神社の前にきた。実は封印は神殿にはない。鳥居の前にある左右の狐の像。向かって左の左目。
何故かその目だけ赤く染められている。それが封印だ。
おれはその目に刃を突き立てた。
いつもの反呪が電気ショックのような衝撃をおれの体に注ぎ込んできた。
生命エネルギーが削られていく。
目の中から黒い煙のようなものが沸き立って来た。それは空に広がって消えていった。
封印は消えた。
だがおれも気力がゼロになった。その場に倒れこむ。
アパートを追い出されたのが三ヶ月前。すでにその時財布には千円しかなかった。
日常茶飯事のパワハラで自主退職に追い込まれたのが半年前。しかも社保どころか雇用保険にすら入っていなかった。労基では役にも立たない言葉の応酬。埒が明かなかった。
見つからない仕事。厳しい条件。上から目線の面接官。その繰り返しに百二十回ほどで飽きた。
誰が悪い?おれが?おれが悪いのか?
生保を申請に行ったら実家に帰れとたしなめられた。おれはそこが嫌で自活してるんだよ。戻ればまた親父と流血沙汰の喧嘩が始まる。帰れないだろ普通。
怒り。おれの中で方向性の定まらない極めて個人的な怒りがこみ上げてきた。止めどなく。それは巨大な山脈となるような勢いで隆起していった。この気持を誰かと共有できるかといえば出来ないと思う。綺麗事に満ちた冷静さを持つ第三者からすれば利己的な、で結論付けられてもっと冷静に人の立場も理解して、ということは分かっている。だがそれでおれの気持ちは晴れるのか。これはおれの問題だ。
四色目大黒の事はマイタウン観光ガイドで知った。詳しい内容は図書館で。その時点では呪物とは知らなかった。民俗学の本でそれに当たった。
大黒天。元はヒンズー教の神。
ああ、そういうことか。
しかしなぜこんな街に大黒天が?と思い民俗学の本のページをめくった。
黒い破壊者という点が大黒天を想起したのではないだろうか。
お前見たんか。と突っ込みたくなった。
だが史実には残っている。この町の歴史において一世紀ぐらい前の奇妙な天災で町が壊滅していた。原因は不明。
それはこの呪物が本物だと言っているのではと思った。
さらに調べていくうちにその災いは近隣の市町にまで及び死者千人以上。怪我人数千人におよんだという。それはまさに黒い災禍だったという。
今の有識者によってある種のゲリラ豪雨だったのではと解釈されている。あまりに突発的だったので用意もできずに未熟な河川工事などで決壊した川によって幾つかの町村が被害を被ったのだろうと。だがそんな痕跡は見つかっていないのも事実だった。では地震だったのではないか。やはりそれほどの被害を出した痕跡は見つからなかった。しかしそんなことはどうでもいいのだ。解釈がありある意味納得がいけば安心出来る。体裁さえといと乗っていれば真実は闇の中でもいいわけだ。
「封印はどうやったら破れるんです?」
「い、言えぬ。それは一族の」
「その一族を担うしょうたくんが泣いてますよ」
「しょうた!貴様!」
「どうするんです。答えるんですか。答えないんですか」
「それは」
「じゃあまず右から」
「うわあああああ。やめろおおお!」
「泣き叫ぶくらいならさっさとしゃべっちゃいましょうよ」
おれは封印を解く方法を得た。そのために誰が傷つこうが、なにもかも麻痺していて知ったことではなかったのだ。その時はただ先へ突き進みたかった。
今では俺自身が傷を負っていた。多分もうすぐ命を落とすだろう。もうその痛みは感じなくなっていた。もうすぐ何も感じなくなるだろう。
確実に体が重くなっている。歩きづらい。
だが中心はすぐにある。八十メートルもないのに。
そこは公園である。黒留公園という。
子供連れの主婦が体を引きずるように歩くおれに奇異の目を向けているが気にしない。
目標は公園の中央にある銅像。黒い乙女の舞踏と言う名で一メートルほどの台座の上に高さーメートル五十センチほどの銅像が立っていた。謂れも作者もわからない作品だった。
封印の黒は穢れの黒で。おれは穢れた手で乙女に触れた。
そこでおれの意識は消え。生命も尽きた。後はどうなったのか分からない。死者に問うてもしょうがない。
これでおれは納得した。結果を見ていないのだから満足はできない。だがまあいい。達成感が満たしてくれる。だから納得した。
この結果を誰も共感してもらえないだろうがしようがない。おれは誰かの為に生きていたわけではない。
災厄はおれ以外のすべてのものの頭上に振りかかるだろう。
一瞬だけそれを見たがもの凄そうだった。
それは正に絶望と言う名にふさわしい黒いものだった。
ホラーイベントに出遅れたのでここで。体調不良などで今回は出せませんでした。で無理やり絞りだしたネタなので苦しいです。登場人物も。何より息苦しさを感じているのは今の日本も苦しい。