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シカバネ  作者: 遠野義陰
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エピローグ

 一週間後。恭也は日本の、自分のマンションにいた。あの事件について何か追究されるのではないかと構えていたが、待てど暮らせど偉そうな連中は顔を見せず、まるでいつものように仕事をこなしたかのように、依頼料が口座に振り込まれていた。ただし、当初こちらが提示した依頼料の倍の金額が振り込まれていた。口止め料と言うことなのだろう。

 金でどうにかなると思われているらしい。そのことについての反論はあったが、しかし事件のことについては他人に漏らすつもりはなかった。あまり思い出したくない事件だったから、よっぽど何か必要に迫られでもしなければ話したくもない。

 溜息を吐いて預金通帳をソファの上に投げ出した。

 そろそろ時刻は六時を回ろうとしている。座っていたソファから立ち上がると上着を羽織って外に出た。もう陽は落ちていて、街の明かりで星の少なくなった夜空に、六分の一ほど欠けた月が浮かんでいた。

 雪乃は、帰国した翌日にはバイトを見つけ、働き始めた。どうやらこちらに長期滞在するつもりらしい。彼女の国籍は日本国籍のままだったので、年老いて死ぬまでこの地に居たとしてもなんら問題はない。

 ぶらぶらと街中を歩きながら自分もバイトを始めようかと考えた。そう頻繁に仕事の依頼があるわけではない。精々、月にニ三件といったとことである。なにもない月もある。それでも一件一件の報酬はかなり高額なので、それで生活は充分に出来ている。豪遊するタイプでもないので、貯金は増える一方だ。

 気がつくと雪乃がバイトをしているファストフード店の前まで来ていた。窓ガラス越しに覗いた店内は、人で溢れかえっていた。腕時計を見るとちょうど午後六時半を回った辺り。夕食時だ。

 なかに入ろうかどうか迷ったが結局やめた。なんとなく、気恥ずかしかった。

 歩き出そうとして、ふとなんとなく覚えのある気配を感じて足を止め、振り返った。

「お久しぶりです」少女がいった。

「鈴香……」

 体が硬直し、心臓は早鐘を打った。

「まるでお化けにでも出会った、って顔ですね」そういって鈴香は笑った。

「どうして?」

「いったじゃないですか。わたしの幻術は実体化するって」

「じゃあ、」

「あれは偽者です。大変だったんですよ。一日かけて組み上げた術式で限りなく人体を模倣して作ったんですから。正直、それだけで死ぬかと思いました。最後に、撃たれた瞬間に飛び散った血液が魔力の残滓に戻ったときはちょっとあせりましたけど」

「でも、どうして?」

「何ででしょうね」鈴香がいった。「確かに、あの猟犬部隊の人がいっていた通り、義務に殉じるっていう選択肢もあったんです。けれど、わたしはもう少し生きていたいと思ったんです。いまはまだ死ぬべきじゃないって。だからあのダミーを殺させました。恐らく、いまごろ連盟ではわたしの死体が消えていると大騒ぎになっているでしょうね」おかしそうに笑う。「でも彼らは見栄が大事だからそんなこと、口が裂けてもいえないし、事件自体が公にされていないのでおおっぴらに捜査協力も仰げない。組織の方はすっかりわたしのことを粛清したって思い込んでるでしょうから。しばらくの間は、わたしは自由です」

「そう……か」

 ここ一週間腹の底に溜まり続けていた澱が、すぅと消えてゆくような気がした。一生背負い続ける覚悟をしていた重荷が思わぬ形で降りてしまったので、少し肩透かしを食らった気分だ。

「これからどうするんだ?」

「そうですね」少し考え込んでから、「とりあえず工作活動中に知り合った伝手を頼って戸籍を偽造して、とりあえずこっちの普通の学校に入学して生活しようかなって思ってます。お金は沢山ありますから。正体がばれないうちは普通の女の子として生きようかなって」

「そっか」

「はい」

 飼い犬は飼い主の手を離れれば生きていけないと彼女はいっていたが、案外そんなことはないのかもしれない。野良犬になってひっそりと生きるという選択肢もあるのだ。

「それでは失礼します。ご縁があればまたいずれ」

 一礼して、少女は去っていった。

 人並みに消えていく少女の後姿を見えなくなるまで見送り続けた。

「いまの子は?」

 はっとして振り向くと、雪乃が立っていた。セーラー服ではなく、ジーンズはき、タートルネックのセーターの上にコートを羽織ったごくごく一般的な格好で、肩にトートバッグを掛けている。なかからネギが飛び出していた。

「あれ? バイトは?」

「なんか今日は早く上がっていいっていわれて。ついでに夕飯の買い物にいってたの。って、そうじゃなくて、さっきの子は一体誰よ」

「友達……かな」恭也は答えた。それが一番適した回答のように思えた。

「そうなんだ」そういって雪乃は腕を絡め、手を繋いできた。「また、会えたらいいね」

「え?」

「なんとなく」

 もしかしたら彼女は話を聞いていたのかもしれない。けれどそれを訊ねるのははばかられた。もし聞いていなかったとしたら、余計な厄介ごとが増えるだけだ。

「そうだな」と恭也はうなずいた。「また会えるといいな」

 もう一度、鈴香が歩いていった方向を見た。いくら探しても、もう彼女の後姿は見つけられない。ただ人波が流れていくだけ。彼らは本当に自分の意思でその道のりをたどっているのだろうか。そんな人間はない、と恭也は思った。この人ごみ。誰もがみな、無意識のうちに誰かの歩く進路を予測してそれを避けるように歩いている。無意識の連鎖。常に誰かの意思に影響されながら生きている。完全に自らの意思で生きている人間など、いないのだ。

ふと、電飾でデコレーションされた街路樹が目に入った。一定のパターンで、規則的に点滅を繰り返している。

そのなかに、一つだけ規則を無視して点滅している電球があった。

 予定調和から外れて、それでも強く光り輝いている。

 多分彼女は大丈夫だ。

 ちゃんと生きていくことが出来る。

「恭也?」どこか心配げな表情で雪乃はこちらの顔を覗き込んでくる。

 なんでもないよ。その言葉を口には出さず、繋いだ手を握り返した。

「帰ろっか」

「うん」



     了


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