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第59話

 地下にあるリュートの研究室。


 そこで私は彼と話をしていた。


 普段であれば、ここで私の魂に関する研究を行っている場所。


 しかし今回は密会の場所と化していた。


 というのも、話の内容があまり周囲に聞かれたくないものだったからだ。


「ほう。聖域でエレナ=イヴリス本人と対面したというのか」


 興味深そうにリュートが笑う。


 彼と離れてから、ここに戻ってくるまでのこと。


 その中でも特に、聖域で対面した女神の試練についての話を彼に聞いてもらっていたのだ。


 あいにくと私は特別賢いわけでも、こちらの世界の学問に詳しいわけではない。


 私の知る限り一番の有識者である彼の意見を聞きたかったのだ。


「本人はそう言っていました」


「当事者としてはどう感じた?」


 目を閉じて考える。


 言動。振る舞い。


 私はエレナ本人と会ったことはない。


 あくまで画面越しで見ただけ。


「多分……本人だと思います」


 だが、いわゆる解釈一致とでもいうべきか。


 彼女ならああいうことをしそうだという感覚。


 1人のファンとして、彼女の行動は本人を彷彿とさせるものだった。


「聖域か……。興味深いな」


 彼は腕を組み、考え事をするように部屋を歩く。


 閉鎖的なエルフが守っている禁足地。


 さすがにリュートといえど、そんな場所はそうそうお目にかかれないのだろう。


 学者のような側面を持つ彼としては、聖域に興味を持つのも必然なのかもしれない。


「とはいえ、魔族であるオレでは足を踏み入れることは叶わんだろうがな」


(魔王と女神じゃ完全に正反対だものね)


 聖女と魔族がそうであるように。


 女神と魔族の間にも、浄化する者とされる者という図式が成り立つ可能性は高い。


(いくらリュートでも浄化されちゃうのかも)


 今回は女神の資格を持つ私と、女神の使命を負った勇者であるソーマが聖域に踏み入った。


 だが魔の者として定義された魔族が中に入ってしまえば、どうなるのかは未知数だ。


 リュートの言う通り、入れないと考えるのが妥当だろう。


 最悪の場合、侵入した瞬間に浄化されて消滅する可能性だってある。


 あまりにもリスクが高すぎる。


「女神の試練として、その体の中に残っていたエレナ=イヴリスの魂の残滓が顕現した――か」


 リュートが口にするのは、エレナから語られた言葉。


「その言葉を信じるのであれば、お前の体の中に奴の魂はほとんど残っていないということなのだろう」


 彼女がどこまで女神の試練について把握していたのかは分からない。


 案外、彼女の言葉もただの推論でしかない可能性だってある。


 しかし彼女の前提を信じるのなら、この体に残る魂の欠片はイレギュラーでも起こらなければ表出しないものだったというわけだ。


「さらにいえば、女神の試練において奴はお前の体を奪うことに失敗した」


 彼女と対峙したとき、エレナはこの体を取り返すことを試みているようだった。


 だが彼女の手は弾かれ、叶わなかった。


「そういう意味では喜ばしいことなのかもしれんな? 今後、その肉体の支配権が奴に奪われる可能性はかなり低い」


「……そうですね」


 彼の言う通り、身の安全が保障されたということは良いことなのだろう。


 だが手放しに喜ぶこともできなかった。


「そう簡単に割り切れはしないか」


「…………」


 抵抗する。


 そう決めたのに優柔不断だと言われてしまえばそうなのかもしれない。


 だが、この罪悪感が消える日は来ないのだろう。


「とはいえそうなると……なるほどな」


 そんな私をよそに、リュートは何か考え込んでいた。


 ぽつりと漏れた言葉を拾っても、私では彼の思考に追いつけない。


 できることといえば疑問の表情を浮かべることくらいだ。


「?」


「いや、こちらの話だ。おそらく杞憂だろう」


(聞いても答えてくれないわよね……)


 彼にとってはいくつもある仮説の1つにすぎないのか。


 彼がその思考を開示することはなかった。


 これまでのやり取りから得た経験上、言及したとしてもリュートが答えてくれることはないのだろう。


「ともあれ、奴の件を気にするなとは言わない」


 そんなことを考えていると、リュートは私の正面に立ってそう言った。


 優しく、真剣な面持ちで。


「その体が本来エレナ=イヴリスのものであることが揺るがぬ事実である以上、気にせず生を謳歌しろというのも酷だろうからな」


 彼は私の考えを否定しない。


「自己正当化に逃げないことはお前の美徳だ。ゆえに、罪悪感に足を取られていることを無駄だと切り捨てる気はない」


 進めとも、迷うなとも言わなかった。


「だが、それでも生きたいと思った――違うか?」


 そう笑いかけてくる。


 あのとき、私が感じたはずの感情を拾い上げながら。


(そうよね)


 女神の試練としてエレナと対面したとき。


 私は決めたのだ。


(自分が正しくないと分かっていても、私はこの世界を生きたいと決めた)


 自分が正しいなんて主張する気はない。


 望んだことじゃないのだから仕方がないと開き直る気もない。


 だけど、生きたい。


 自分の人生が誰かの不幸の上で成り立っていると自覚した上で、それでも生きたいと思ったのだ。


 あのとき、確かにそう思ったのだ。


「ならばそれでいいだろう」


 そんな私の気持ちをリュートは肯定する。


「無理に歩き出せとは言わん。立ち止まって眺める世界も美しいものだ」


 その言葉は少しだけ意外なものだった。


 私の知るリュートはたとえるなら人間賛歌だとか勇気、あるいは覚悟を好む人物であったように思える。


 敵でも味方でも、そういった心に芯のある人物を愛でる人物だった。


 ……たとえそれが、原作のエレナのようにマイナスに振り切れたキャラであったとしても。


 少なくとも、私のような意志薄弱な人間よりは好ましく思っているようだった。


「魔王様は、常に道を切り開き続けるような人が好みなのかと思っていました」


 ――例えばノア=アリアのような誇り高い少女が。


 そんな彼が立ち止まることを肯定するというのは少し意外だった。


「勇敢に歩む者はたしかに美しいが、それは立ち止まっている者が醜いことの証明ではないからな」


 だが、彼はそう一笑する。


「悩み立ち止まることは、停滞ではなく準備だ。進んでいなくともその本質がまったく違う」


 彼が見ているのはきっと現状ではなく、どう生きようとしているかなのだろう。


 実際に進めているのかではない。


 進まなければという意思を持っているのか。


 それだけなのだ。


「ゆっくりと、己が納得できる生き方をすればいい」


 私は迷ってばかりだ。


 きっとこの世界に来てからもほとんど進めてはいないのだろう。


 それでも彼が、その内側に歩き出したいという意思があることを見出してくれたのなら。


「……はい」


 応えたい。


 素直にそう思える。


 迷っていても、歩き出すための意思を手放さない自分でいたいと。


「ああ、そうだった」


 これでこの話題は終わりということなのだろう。


 少しだけリュートの声の調子が変わる。


 軽く。雑談するような声色へと。


「言い忘れていたことがあった」


「?」


 私は疑問符を浮かべる。


 言い忘れ。


 あまり彼らしくないうっかりだ。


 というより、本当に忘れていたようにはあまり見えなかった。


 いたずらっぽいと言えば聞こえがいい。


 ほんの少しだけ嫌な予感がする笑みを見せていたからだ。


「来週、舞踏会があるのだが――」


 魔王城。


 そう言われるだけあってここは広く、100人以上を収容できるようなホールだってある。


 これまで見たことはなかったが舞踏会だって開催できることだろう。


 私が参加したことのあるパーティなんて、一番豪華なものでも友人の結婚式くらいだ。


 この世界で、しかも魔王が主催する舞踏会なんて想像もつかない。


 当日は自室で静かに過ごせないだろうか。


 そんなことを考えるが、その思いは一瞬で打ち砕かれることとなった。




「――そこでお前を新たな婚約者候補として紹介することにした」




 それも、舞踏会の中心人物になってしまうという形で。

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