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第51話

「――エレナ=イヴリス」


 私は彼女の名を呼ぶ。


 視線の先にいる、どこか鬱屈とした空気を纏う少女の名を。


「あら。それはあなたの名前じゃないの?」


 コテンと首をかしげて嗤う少女――エレナ=イヴリス。


「名乗ってみなさいよ。私の前で恥ずかしげもなく名乗れるものなら」


 嘲る笑み。


 心の底から見下げているような笑みが私の胸を穿つ。


 理由は明白だ。


 私自身の内に、まぎれもなく後ろ暗い気持ちがあるからだ。


「――偽物」


 エレナの口元が三日月のようにゆがむ。


 狂気さえ感じさせる笑顔。


 そこには静かな嘲りだけが宿っている。


「どうしてあなたがここに……」


「たいしたことじゃないわ」


 彼女はくすりと笑う。


「あなたの魂が私の体を奪ったとき、私の魂は砕け……弾き出された」


 彼女が語るのは、あの日の裏側。


 私がエレナになった日、彼女がどうなっていたのか。


 そんな裏事情。


「その体に残った魂の残滓は、一生目覚めることがないはずだった」


 エレナの魂の行方についてリュートはいくつか推測していた。


 そのうちの1つ、彼女の魂が外に弾き出された可能性。


 それが当たっていたというわけか。


「だけど、あなたはここに踏み入った」


 カツン。


 エレナの靴音が響く。


「あなたが越えるべき試練として、私は最適だったのでしょうね」


 彼女は語った。


 今の私の体には、エレナの魂の破片が残っていたのだと。


「だから私は目を覚ました」


 そしてその粒子が試練の一環として利用され――エレナはここに現れた。


「正直……試練なんてどうでもいいのだけど」


 興味なさげなエレナ。


 たしかに、彼女にとって私の試練はどうでもいいはず。


 どう転んでも利益も損失もない。


 だけど分かる。


 エレナ=イヴリスというキャラクターをよく知っているから。


 こういうとき、彼女は――


「――だからこそ邪魔したくなるわよね?」


 ……意味もなく相手の邪魔をしたがるタイプだ。


「っ」


(逃げなきゃっ……!)


 私は身を翻す。


 少しでも彼女から距離を確保するために。


 しかし――


「ダメよ」


「うっ……!?」


 足首になにかが絡まり、私はその場で転んでしまう。


 確認すれば、足首には縄が巻きついていた。


 暗いオーラを纏う縄。


 それには見覚えがあった。


「ッ……呪術……」


 ゆっくりと霧散してゆく呪いの縄。


(かなりまずい状況ね……)


 縄で拘束されたのは一瞬のこと。


 しかし、再び私が逃げ出せば何度でも同じことができるということでもある。


(エレナは戦闘に関しては素人だけど、ルート次第ではボスとして戦うこともある)


 聖魔のオラトリオでは呪術を駆使して、主人公ノアを苦しめるボスとなった。


 しかもそれはよりにもよってグランドルート……つまり、今の私が生きているこのルートだ。


(ボスとして立ちはだかるエレナは、ノアへの憎しみで強力な呪術を使っていたけれど)


 浄化の力を持つノアさえも呪えるほどに折り重なった怨嗟。


 それがエレナに力を与えていた。


(多分……私はノアと同じくらい彼女に憎まれている)


 ノアと私。


 単純に比較はできないだろうけれど、エレナが私を憎んでいないとは思えない。


(つまり、どう転んでも私が勝てる相手じゃない)


 原作では聖女パーティ全員でなければ倒せない相手だったのだから。


 無力な私が1人でどうにかできるはずもない。


(あの髑髏が出ている以上、戦ってどうにかなる相手じゃない)


 エレナの背後。


 そこには巨大な人骨の上半身が立っていた。


 呪いのオーラに包まれた骸骨。


 エレナを守るそれは、彼女の防御手段であり攻撃手段。


 あれが出ているということは、彼女はボスを務めていた時と同じだけの能力を有していると考えるべきだ。


「このまま殺してしまってもいいけれど、ちょっとつまらないわよね」


 あごに指を当て、彼女はそう言う。


 圧倒的な実力差。


 それを彼女も理解しているのだ。


「試練なんていうくらいだし、私も少しは譲歩してあげるべきなのかしら?」


 何かを思いついたように彼女は指を鳴らす。


「5秒あげるわ」


 直後、私の後方――10メートル先に扉が出現した。


「あの扉まで逃げられたら、試練をクリアってことにしてあげてもいいわよ」


 彼女は嗤った。


 いたぶるように。


「ちょっとは餌をあげないと頑張れないでしょう?」


 嗜虐的な笑みを浮かべている。


「…………」


 とはいえ、私にとって悪い話というわけではない。


(出口……)


 距離としては5秒もあれば到達できる。


 扉は金属製。


 開けるのにかかるタイムロスは懸念事項だが、バグを使って扉を抜けてしまうという方法もある。


(あそこに逃げ込むだけなら……!)


 少なくとも、この催しに付き合ったほうが生存率は高い。


 そうなれば彼女の話に乗るしかないだろう。


「それじゃあ……スタートぉ」


 どこか気の抜けた号砲。


 その言葉と共に私は駆けだし――


「やっぱりやーめた」


「うっ!?」


 ――すぐに骸骨に足を掴まれた。


 唐突に体勢が崩れたことで、私は受け身も取れず顔から地面に体を打ちつける。


 しかしそれも一瞬のこと。


 私は地面を引きずられ、逆様に体を吊り上げられた。


「う……くっ……!」


 私は空中で扉へと手を伸ばす。


 依然として骸骨は私の足を掴んでいる。


 とてもではないが手が届く距離ではない。


「あら。そんなにあの扉が気になるの?」


 よほど私の奮闘が無様に見えたのだろう。


 くすくすとエレナが笑う。


「ほら。がんばって」


 歩み出すエレナ。


 彼女が扉に近づくたび、彼女が顕現させた骸骨も――それに拘束された私も扉へと接近してゆく。


「っ……」


 少しずつ。それでも確実に迫ってくる扉。


 私は必死の思いで手を伸ばす。


「もうちょっと、もうちょっと」


 煽るようなエレナの声。


 しかしそこに慢心があったのか。


 単純に距離を測り損ねたのか。


 私の指が扉へと触れた。


「やっ――」


 一抹の希望。


 出口に手がかかったと私が確信した瞬間……、


(扉が……)


 扉が霧散して消えてゆく。


 いや。


 触れたとき、何の感触もなかった。


 きっとあの扉は幻影。


 最初からエレナは出口など用意していなかったのだ。


「うふふ……無駄に頑張っちゃってみっともないわね」


 徒労感に脱力する私。


 エレナはそれを嘲笑う。


「本物と幻覚の見分けもつかないなんて、馬鹿みたい」


 私の眼前へと回り込むエレナ。


 しかし反撃を警戒してはいるのだろう。


 彼女は私の手が届く距離に踏み入らない。


「どうしてあげようかしら?」


 一方的に嬲るように彼女は微笑む。


「安心していいわよ」


 災厄の黒魔女。


 そう呼ばれたエレナ=イヴリス。




「ここには聖女も、魔王も、勇者もいないわ」




 その所以を、私はこれから思い知ることとなるのだろう。

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