マーリンの涙
女性が目を開けると風は止み、光は消えていた。
苦しんでいた男の腕は垂れ下がり、脱力した首は黒髪で顔を隠していた。
「なんだったんだ…?おい、大丈夫か?」
男はまるで壊れかけの人形のようにふらふらと揺れながら、ゆっくりと立ち上がった。
およそ正常な人間とは思えない男の不気味な行動に、女性は戸惑い、まだ会場に残っていた観客達も我先にと出口へ駆けていく。
「どうした!何があった!」
闘技場の警備兵が、帰り道に殺到する観客を掻き分け、会場へ顔を出す。
「騒動の原因はあいつか。何したんだ。まったく。」
警備兵は槍を片手に、傀儡のようにふらつくトロイに歩み寄る。
「待て!様子がおかしい!近づくな!」
左手で止まるよう合図を出す女性。だが兵士は止まらない。
「何を言う女魔法使い。様子のおかしい奴を取り締まるのが私の仕事だ。さあ。来てもらうぞ。」
兵士がトロイの腕を掴もうと手を伸ばした瞬間。
彼は、壁に叩きつけられた。
「なっ…!」
一瞬の出来事に目を疑う女性。
コイツ…。片手で兵士を…!
男は右腕を下ろすと、髪の隙間から女性を睨んだ。
顎が落ち、唾液が垂れそうな口元と、時折身体に光る稲妻は彼女の顔を引き攣らせる。
「その目。魔力暴走か…。さっきまで魔力なんて感じなかったぞ。」
男の眼に瞳は確認できず、女性の目には彼の身体から溢れ出る魔力が増大していくのが見えていた。
「今の音はなんだ!お、おい!大丈夫か!しっかりしろ!」
応援に来た警備兵が床に寝ている仲間の体を揺らす。
その後ろからは続々と兵士が集まって来ている。
「来るなお前ら!魔力暴走だ!それもとんでもな…」
男は、女の目線が外れた瞬間、兵たちに標的を変えた。
地を這う稲妻が男を運び、開いた口が閉じられるまでのコンマ零点数秒で客席を駆け上がる。
右腕を回すように振るい、拳を兵に殴り付ける。
雷が壁に落ちたが如く。稲妻は迸り、会場は青白い光で包まれ、光の先端が床を抉る。
瞬時の移動と止まらぬ放電に女性は口を噤った。
「仕方ない…。」
女性が左手を開くと、掌に緑ががった風の球体が現れる。
空気を平手打ちするように手を振り抜き、弧を描くように球体が飛ぶ。
螺旋する突風は男に直撃し、吹き飛んだ男は床に何度か叩かれ、壁に打たれた。
「あっ…危ねぇ…。」
女性が兵士の声に気がつくと、出入口に薄く光る結界が張られているのが見えた。結界は出入口だけでなく、会場全体に確認できた。
「結界…?これなら。」
女性は、紐に吊るされた人形が傀儡師に立たされるときのようにゆっくりと起き上がる男を目視し、眉間に皺を寄せた。
「悪く思うなよ…?」
女性の足元から螺旋状に風が立ち、戦闘態勢に入ったことを知らせた。
――――――――――――――――――――――――――
「ん…んん…。」
トロイが目を覚ましたのはベットの上だった。
「どこだ…ここ…。なんだこれ。」
体を起こすと包帯が全身に巻かれ、誰かに看病されたのが分かった。
部屋は薄暗く、壁の見た目から、トロイはここが闘技場内のどこかだと察した。
「起きましたね。」
ベットの横には白いスーツの男が座っていた。
本を閉じた男は組んでいる足を解いて立ち上がると、部屋の出口に向かっていく。
「あ、あの。ここは…?」
トロイの問いかけに男はドアの前で足を止め、首を振り向いてドアノブを回した。
「アウラ様を呼んできます。あなたはそこでじっとしていてください。」
男はそう言い残し、部屋を出ていった。
「なんだぁ…?」
この壁、闘技場だよな。なんか所々痛いし。どうなってんだ?たしか試合を見てて…。
「…負けたんだった。」
トロイが暗い顔でため息をつくと、再び扉が開かれ、スーツの男が戻ってきた。連れられたローブの女性はとんがりボウシを被っていた。
「あ、さっきの。」
「さっき?何言ってんだお前は。」
トロイが不思議そうな顔を見せると、男が事実を告げる。
「あなたは三日間。ここで寝ていたのですよ。」
「三日!?三日も寝てたって…俺倒れたんですか!?」
「はぁ…。まったく。」
女性は腰に手を当て、呆れるように首を横に振った。
男は手を後ろに組んだまま、落ち着いた口調で問いかける。
「君、名前はなんというのですか。」
「えっ、トロイです。トロイ・エイリアス。」
「ふむ。私はこの地下闘技場の管理人兼責任者。ルーメス・メルクリアと申します。」
ルーメス・メルクリア。ここ、ヤンバルク地下闘技場の管理者にして責任者。
二年ほど前に闘技場を新設するまで、商人として世界中を渡り歩いていた。
宝石や貴重な魔導具には詳しく、腰に携えた鞭も珍しい魔導具の一種だろう。
右手を胸に当て、軽くお辞儀をするルーメスに、トロイは首で返す。
「ど、どうも。」
「トロイ君。あなたは三日前、試合終了と同時に魔力暴走を起こし、会場をめちゃくちゃにしてくれたのですよ。」
「え?魔力暴走…?俺、魔力なんてありませんよ?何かの間違いなんじゃ。」
男は女性と目を合わせると、話を続けた。
「アウラ様は覚えていますね?」
「はい。俺の勝負にケチつけてきたクソババアです。」
口をツンと尖らせるトロイ。
「ほう…?どうやらボコられ足りないみたいだなぁ?」
指をポキポキ鳴らす女性。
「あぁ?何言ってんだ。俺がいつボコられたんだ!」
「トロイ君。この方は大魔導十三支柱の一人。アウラ・オーレリア様です。失礼のないよう振る舞うことをオススメしますよ。」
「大魔導十三支柱?そんなにすごい魔法使いがギャンブルなんてする訳ないですよ!嘘っぱちです!」
「いい度胸じゃないか…!」
アウラからそよ風が上がり、下向きの顔は明らかにイラついていた。
ルーメスは今にも進み出しそうなアウラに腕を立てて制止した。
「お待ち下さいアウラ様。トロイ君。君の暴走を止めたのはアウラ様です。アウラ様がいなければ、あなたはどうなっていたか分かりません。それにアウラ様、彼にはまだ確認しなければならない事があります。」
「ああ。そうだったな。」
アウラはトロイの胸元を指さした。
「トロイとか言ったな。お前、それを誰にもらった?」
トロイの服の下には、男性の手のひらほど大きいペンダントがかけられていた。
「なっ!見たのか!?えっち!」
胸を隠すトロイに、二人はやれやれと首を振る。
「包帯を巻く時に見えたんだ!そんだけデカけりゃ嫌でも目に入る。まったく。こんなときに何言ってんだこのろくでなしは。」
トロイは拗ねた顔でそっぽを向いた。
頭を抱えるアウラは溜息混じりにまた質問をする。
「それで?誰にもらったんだ?」
「ん?…なんでもらったって分かるんだ?俺が買ったかもしれないだろ。」
「トロイ君。それはマーリンの涙と呼ばれる特殊な魔導具です。誰かに手渡さない限り、所有権が移ることはないのですよ。」
「へぇ…。そうだったんだ…。」
トロイはペンダントを見るように俯いた。
「で?誰にもらったんだ?」
前屈みで問い詰めるアウラを無視し、俯いたまま考え込むトロイ。
「…悪いけど、それは言えない。くれた人との約束なんだ。本当は誰にも見せちゃいけないって言われてる。」
アウラは姿勢を戻し、やりきれない表情で息を漏らした。
「そうですか…。」
ルーメスは呟くと、顎を撫で始めた。
それぞれ思うところがあるのだろう。三人の沈黙は数秒続いた。
「ふむ…。トロイ君。君の持つマーリンの涙には、前任者が施したと思われる仕掛けが見受けられます。」
「仕掛け?」
「はい。マーリンの涙にはそれぞれに特徴的な装飾があるのですが、トロイ君のものには装飾が追加された形跡があるのです。その装飾には魔術式が書かれていると考えられます。」
トロイは首元の服を引き、ペンダントを確認する。
「あれ?あれ!?取れてる!?」
「お前が暴れた後、床に落ちていた。」
アウラは金色の欠片を二つ取り出し、トロイに見せる。
「落ちていた装飾にはやはり魔術式がありますし、魔力が込められた跡も確認できます。恐らくは隠蔽で見えないだけで、ペンダントにはまだ何らかの魔法が仕込まれていると見るべきです。」
トロイはペンダントの欠片を受け取った。
「お前が魔力暴走を起こす前、私のこれが光った。」
アウラは自分の持っている四葉のペンダントをトロイに見せつける。
「これは私の親友がくれたものだ。ルーメスに言われるまで、マーリンの涙だと分からなかったが、これも何か関係があるはずだ。」
「それで誰にもらったか聞いたのか。」
「その通りです。」
トロイはまた、俯いた。
「…やっぱり、それは言えない。約束したんだ。ごめん。」
また数秒の静寂が訪れた。
「ふむ…困りましたね。これも予想に過ぎませんが、トロイ君の前任者がその正体を知らなかったなら、誰にも見せないようにとは言わないはずです。何か石の効果以上の秘密があるとしか思えません。」
「取れた装飾の魔術式がどんな魔法なのか分からないのか?」
「それなら分かるはずですが…。少し時間がかかるかもしれません。別のマーリンの涙に反応して取れる装飾など聞いたことがありませんからね。それに、アウラ様の石にどんな力があるのか分からないのでは真相に辿り着くのは容易ではないでしょう。」
「悪いがこれは貸せない。すまないな。」
「ええ。分かっております。」
「な、なぁ二人とも。」
段々向き合っていった二人は、会話に割って入るトロイに目を向けた。
「装飾を調べるだけなら構わない。でも、俺はずっと持たざる者として生きてきたんだ。いきなり魔力暴走を起こしたなんて言われても納得できないし、自覚も湧かない。何か分かってからでいいから、俺の身体に何が起きたのか教えてくれ。あっ、いや、ください。」
持たざる者とは、魔力に目覚めなかった人間の総称である。
その語源は初代大魔導十三支柱が修行中、魔力に目覚めるのが遅かったメンバーを行き詰まった状態と例えたことに由来している。
トロイは今まで二十八年間、持たざる者として生きてきた。
何の予兆もなく、いきなり魔力に目覚めたなんて言われたところで信じられないのも当然だ。
「ふむ…。そう言われても、私にも何が起きたのか分からないのですよ。魔力暴走は魔力に目覚めることの多い成長期に起きるものですし、持たざる者がいきなり魔力に目覚めるなんて聞いたこともありません。マーリンの涙が関わっているのなら尚更です。」
顎をさするルーメスの背中を押すように、話を進めるアウラ。
「まっ。なんにせよ、魔術式の解析が終わらなきゃ何も分からないわけだな。」
アウラはトロイを指さした。
「とりあえず、お前は今も魔力を帯びている。もう持たざる者ではない。国の命令で暫くは私が監視することになっているし、魔力の制御ぐらいは教えてやる。」
「俺が魔力を…?魔法が使えるってことか?」
「私は見ることが出来ませんが、確かに魔力を感じます。本当にそんな事があるんですねぇ…。」
「まじかよ…。」
トロイは自分の両の手を確かめる。
未だ実感の湧かない魔力というものに疑問を抱いていた。
俺に魔力が?本当に…?
「ともあれ、その装飾はお預かりしてもよろしいのですね。」
「あ、はい。どうぞ。」
トロイは文字の書かれた欠片をルーメスに手渡した。
「では早速、解析に入ろうと思います。アウラ様はどうされますか。」
「私はあの銭ゲバに報告してくる。お前の事も話しておいてやる。ルーメス。」
「助かります。」
アウラに会釈をするルーメス。
「おい、小僧。用意が出来たらマイナーの宿屋に行け。私が泊まっている場所だ。さっきも言ったが、お前はこれから私の監視下に置かれる。逃げるのは止めてくれ?面倒くさいのは嫌いだ。」
「マイナーの宿屋…。俺、お金ないぞ?」
「そんなことは知ってる。あそこの店主とは古い仲なんだ。既に話もしてある。報告が終わったら私も戻るつもりだ。」
「そうか…。分かった。」
「ではお二人とも。解析が終わり次第、連絡に伺います。」
「おう。頼んだぞ。じゃっ、また後でな。」
アウラはルーメスの後に続くように部屋を出て行った。
一人、ベットに残されたトロイはペンダントを首元から取り出し、手に乗せた。
「母さん…。」
――今から約十九年前。
トロイは九歳の誕生日を迎えた。
「いい?トロイ。これは誰にも見せちゃダメよ。」
「えー。なんでー?こんなにかっこいいのに…。」
子供の手には大きすぎるペンダントは、金色でゴツゴツしていた。
「これはね?トロイのお父さんから預かって来たの。」
「お父さん?」
「ええ、そうよ。お父さんのお家では、九歳の誕生日にこれを渡すの。」
「ふーん。でも、お父さんは何処にいるの?」
「お父さんは…。きっとすぐ会えるわ。それまでに、立派な魔法使いになるのよ?」
「…うん。わかった!」
母はトロイの頭を優しく撫で、真っ直ぐな眼で微笑んだ。
「トロイなら。きっと出来るわ。」――
トロイの母は既に亡くなっている。
八年間の闘病の末、四年前に息を引き取ったのだ。
母さん…。仕掛けってなんだよ。父さんから預かったんじゃなかったのかよ。飾りが取れて魔力がでたって。九歳のときに渡したのはつまりそうゆうことなのか?魔法使いになれるって。きっと出来るって。なんだったんだよ…。
多くの場合、十歳から十八歳までの間に魔力は目覚める。様々な説はあるが一般的には身体と心の成長に伴い、魔力も成長し、その身に表れるのだとされている。
トロイは九歳のときにペンダントを渡され、それ以降魔力に目覚めることは無かった。
ペンダントの装飾が落ち、魔力暴走を起こしたのなら。母は魔力に目覚める一年も前に、何かしらの細工をしたペンダントをトロイに渡し、故意に魔法が使えないようにしたと考えてもおかしくない。
ペンダントが無ければ、今頃魔法使いになれていたかもしれない。
本当に母が意図的にそうしたのなら、どうして「きっと出来る」なんて言ったのだろう。
もしかしたら、父親の思惑なのかもしれない。
もしかしたら、もっと他に理由があるのかもしれない。
そしてもしかしたら。
母を信じ。きっと出来ると想い続けていたら…。
トロイの心境は複雑であった。
「ふぅ…。とりあえずマイナーさんち、行くか。」
トロイは深く、深く息を吐き、天井を見上げた。
――――――――――――――――――――――――――
「ところでルーメス。」
「なんでしょうか。」
部屋を出た二人は、廊下を歩いていた。
「あの結界、相当貴重な魔導具だろう?あんなの初めて見たぞ。」
「はて。何のことでしょうか。」
「んん?珍しいな。いつもならツラツラと詳細を並べて金額まで提示してくるのに。」
「あれは売り物ではありませんし、誰かに渡すつもりもありません。申し訳ございません。アウラ様。」
「まぁ、正直どうでも良いんだがな。結界が無ければ今頃ここは無くなっていただろうから、礼のひとつぐらい言ってやろうと思っただけだ。」
「お礼を言うのは私でございます。荒れ果てた会場を見たときにはそれはもう…。」
現在、闘技場の試合会場は閉鎖されている。
結界の張られた壁と天井は無事だったものの、観客席の床や椅子は軒並み破壊され、元々弾丸兎の攻撃で壊れていた試合場も、崩れきった壁と剥がれた石や岩で原型が分からない状態だ。
ルーメスが会場に入った時には既にトロイは気を失い、アウラは肩で息をしていた。
会場で唯一無事だったのは、アウラから半径数メートルだけであった。
「彼は一体、何者なのでしょうか。」
「さぁな。だが次暴走を起こしでもしたら、私でも手に負えないかもしれないが…。あの症状は成長期に起きるものとは違う。他人から魔力を貰った時に起こる症状に似ていた。私の見立てでは、もう暴走することは無い。」
「それは何よりでございます。」
あの日、単独同士が苦手とはいえ、仮にも魔法使いの頂点まで登りつめた自分が、せいぜい半径数メートルしか守れなかったことをアウラはこう評価した。
「あれはバケモンだ。」
戦闘中、トロイの身体からは魔力が放出され続けていた。
魔法使いの頂点である十三人。大魔導十三支柱に属するアウラが息切れを起こす程の時間、魔力を放出し続け、気絶してもなお漏れ出るほどの魔力の量はとても凡人とは考えられなかった。
身のこなしは、誰かが糸で操っているようかのに不規則でデタラメ。
纏った魔力は稲妻に変わり、度々身体から飛び出るように襲いかかる。
その都度迫る拳や足は魔力に包まれ、気を抜けばすぐに骨を砕かれていただろう。
アウラはそれを可能な限り、傷がつかないよう配慮し、最後には自ら倒れるのを待った。
「鍛えがいがあるってもんだな。」
アウラは右手を広げ、余裕を見せた。
「ふむ。それは楽しみですね。ではアウラ様。私はここで。」
「ああ。よろしく。」
ルーメスは足を止めると丁寧に頭を下げ、アウラを見送った。
アウラは胸元のペンダントを右手で掬い、親指で優しく撫でる。
「マーリンの涙か…。」
ペンダントをくれた親友の眼差しが浮かんでくる。
――「頼んだわよ。アウラ。」――
「どうして私にこんなものを。」
アウラはもう何十年も彼女に会っていない。
それぞれ別の道を歩んだきり、大魔導十三支柱になって名の売れた今でも、彼女の名前すら聞こえてこない。
一体、どこで何してるんだ。
マーリンの涙なんて大層なもんを渡しておいて、今頃呑気に飯でも食ってんだろうか。
これが何なのかぐらい、聞いておくんだったな。
…次会ったときは説教だな。
「はぁ…。銭ゲバになんて言うかなぁ…。」
アウラはヤンバルク国王への程よい説明文を考えながら、外へ出ていくのだった。




