地下闘技場
ここはヤンバルク国南東。地下闘技場。
「さあ!本日最後の試合。弾丸兎VS八瞳栗鼠が始まります!」
今日もここでは、魔物と生物を戦わせ、勝ち負けにお金を賭ける賭博試合が行われている。
「まずは魔物サイドから!全てを貫く純白の弾丸!弾丸兎!」
闘技場の入場口から出てきたのは、魔物と呼ぶに相応しい姿の兎だった。
翼と言っても過言でない、大きくそして広く発達した耳。ムキムキの脚がお尻をハートに形取る、頭の小さなモンスター。弾丸兎。
「対するは生物サイド!八つの瞳でで標的を捉える森のファイター!八瞳栗鼠!」
兎と変わらぬ大きさの栗鼠が、反対側から入場する。
八瞳栗鼠には眼が四つあり、ひとつの眼に二つずつの瞳。合計八つの瞳孔は広い視野角と動体視力を併せ持ち、筋肉質でバランスの良い肉体と暗い茶色の毛がさらに威圧感を増す、不気味で、すばしっこい生物。
両者の入場が完了し、観客の興奮は増していく。
「皆の者!準備はいいか!」
実況の煽りに答えるように、観客席からは声援や野次が飛び交う。そんな熱気に包まれた場内に一人。一際深刻そうな男が最前席で震えていた。
「…頼むっ!」
彼の名はトロイ。城壁に囲まれたメイグアイン国の見張り役として働き、少ない給料を今日もギャンブルに注ぎ込んでいる。
クシャクシャになった賭博券を祈るように握りしめ、これから試合が始まるというのに顔を腕に埋めている。
会場の熱気か、はたまた緊張からなのか。滴る汗が黒い髪から床に落ちた。
「それでは本日、最終試合!レディ…ファイッ!」
実況の合図でゴングが鳴らされる。
「頼む頼む頼む…はっ、始まった!?」
開始の鐘を聞き、トロイは顔を上げた。
まだか…落ち着け。落ち着け俺。今日はいつもと違って最終戦まで悩みに悩んで悩み抜いて決めたんだ。今日負けたらヤバいけど…いや!大丈夫。大丈夫だ。弾丸兎と八瞳栗鼠の試合は何度も見てきたよくあるマッチアップ。体感的に弾丸兎に分があるはず。大丈夫…大丈夫…。
試合の始まりを見ていたはずの視線は、垂れ続ける汗と共に段々と落ちていった。
後から入場した栗鼠は、闘技場に放たれた後も観客席の声に反応し、キョロキョロしていた。
それに対して兎は、まるで獲物に照準を合わせるように、じっと標的を見定めている。
「睨み合いの続いた両者だが!先に動くのはやはり純白の弾丸かー!?」
戦闘開始を告げる実況はまた、彼の頭を上げさせた。
立っていた兎の両耳が標的へ指すように向けられ、トロイもまたハッとした顔で戦闘に目を向ける。
兎は両脚で力強く地面を蹴り、両耳を後ろへ振り抜いた。
弾丸兎。兎が得意な飛躍の動作を身体の三分の一を占めるほどにムキムキな両脚で繰り出すと同時に、象のように大きな両耳を勢い良く仰ぐ事で爆発的推進力を生み出す。その突進はまさに弾丸である。
兎が振り抜いた耳は空気中に円を描き、「ボッ」と音を立てた。両脚があった硬い地面には足跡が残り、兎は一直線に栗鼠へ跳んで行った。
「おぉっと!凄まじい一撃に早くも決着かー!?」
跳んだ兎と壁際に居た栗鼠は衝突音と共に土煙で隠れてしまった。
会場は僅かに揺れ、観客は魔物の脅威と土煙に消えた勝負の行方に静まり返り、皆息を呑んだ。
「いや、まだだ。」
つい先程まで不安でいっぱいだったはずのトロイは、確信を持った目で煙が晴れていくのを見守っている。
「な、なんと!八瞳栗鼠!あの一撃を躱したのか!?ピンピンしているー!」
俺には見えた。バニーが跳んだのと同時にリスが横に避けたのが。ってなにドヤついてんだ俺は!俺が賭けたのは弾丸兎だろうがクソが!
トロイは髪をくしゃくしゃに掻き混ぜた。
八瞳栗鼠と弾丸兎は森を生息地としており、同じ地域にいることも多い。元々は同じように、森の住人だったのだ。
八瞳栗鼠は、突発的かつ爆発的な突進を繰り出す魔物のいる環境に適応するため、成長した生物である。
兎が現れた当初、元々持っていた俊敏性と筋力によりほとんど驚異と捉えていなかった。だが度重なる発達により、速度の上がる突進に段々と対応が遅れていく。それは筋力や運動神経の問題ではない。単純に動体視力が足りなかったのだ。だから目が増えた。
二つの眼に瞳孔がひとつ、またひとつと増え、四つになった瞳孔。それでも追えなくなった兎の速さに、遂には眼そのものを増やし、今に至る。
四本の足を全て使い、攻撃を躱していくうちに小さかった前足は鍛えられ、四足歩行が常となった。尻尾を伸ばしたままでは的が増えてしまう。だから丸めて背中につけた。
兎が獲物を撃ち抜く弾丸ならば、栗鼠は攻撃を躱して機会を伺う、まさに格闘家である。
兎の突進は闘技場の壁を大きく破損させていたが、その光景が観客の興奮をさらに焚き付けた。
「さぁ!最初の攻防は八瞳栗鼠に軍配が上がったように見えますが恐らく!あの一撃をもらってしまえば一溜りもないでしょう!」
両手を手すりに置いたトロイは深い息を吐き、対峙する二体を睨むように見つめる。
そう。そうだ。今まで見てきた試合はどれもそうだった。バニーの一撃が当たってリスが負けるか、リスが逃げ切ってバニーが衝突のダメージで自滅するかの二択。でも今日のバニーはこれまで見てきた中でも上位に入るぐらい歯が伸びてる。あの長さなら勝てるはずだ。大丈夫。大丈夫…。
「君はどっちに掛けたのかな?」
賭博券を握りしめるトロイに声をかけたのは、汗臭い闘技場には似合わない洒落た服装の女性だった。
黒いローブを羽織り、頭にとんがり帽子を被った女性の首からは四葉のクローバーを模した形のペンダントがぶら下げられ、耳には小さな宝石をひし形で挟んだピアスが揺れる。ヒールで上げた目線はトロイと変わらぬ高さで試合会場を眺め、露出度の高い胸元は周りにいる男たちの視線を集めた。
「なんだお前。俺の勝手だろ。」
トロイの隣に立った女性は、歳下の小生意気な男の子を揶揄うようにニヤつきながら手すりに肘を置いて少しばかり屈んだ。
「良いこと教えてやる。この試合、勝つのはリスちゃんだ。」
「あぁ?なんで分かる。」
横目でトロイの顔を確認した女性は右手を頬に当てる。
「まぁ見てな。」
トロイも横目で女性に目をやったが、すぐに視線を前に戻した。
なんなんだこの女。適当なこと言いやがって。俺はこの一戦に有り金全部賭けてんだ。邪魔すんじゃねぇ。あぁ頼むぞバニー。お願いだ。勝ってくれ…。
開いていた両手の間隔を縮め、指を絡めて賭博券に祈るトロイ。
「攻撃を躱された白き弾丸が再び狙いを定めるー!」
最初の突進で壁に衝突した弾丸兎は地面に落ち、暫く止まっていた。煙が晴れ切るのを待っていたのか、それとも何か考えていたのだろうか。
二度目の攻撃のため、再び両耳が栗鼠へ向けられ、直後に発車音が聞こえた。
魔物の攻撃はその後も続く。
一発ごとに壁に激突する兎は前歯を槍のように使い、顔面が直接触れるのを防いでいる。
「森のファイター八瞳栗鼠!まるでフルオートの猛攻を!避ける!避ける!避けるー!」
栗鼠は連続する弾丸を硬いゴムのボールが跳ねるように瞬時に跳び、空中で後ろに振り返って次の攻撃に備える。繰り返し行うその動きは、兎のテンポが上がるにつれて徐々に激しさを増していった。
「ちっ。すばしっこいな。あのリス。」
「うさちゃんもなかなかやるな。」
観戦する男女の後ろ姿はまるで仕事終わりに海を眺める職場の先輩と後輩のようだ。
手すりの上で腕組みしている女性の左手にも賭博券が握られている。賭け先は八瞳栗鼠なのだろう。
トロイは女性が賭博券を持っているのに気づくと、常連客としてのプライドが疼いたのか、姿勢を直した。
「防戦一方になりがちなリスより、一撃必殺の攻撃を何度も撃てるバニーの方が有利だ。それにあのバニー、歯が育ってる。」
「ほう?良く見てるじゃないか。弾丸兎の歯は、あれだけ勢い良く壁にぶつかっても割れるどころか削れもしない。つまり長い歯を持ってる奴ほど長く生きてる。猛者ってわけだな。」
「そうゆうことだ。っていうかなんなんだお前。俺になにか用でもあるのか。」
「特にないさ。ただ、試合が始まる前から背中がプルプルしていたからな。よっぽど危険な賭けをしたんだろうと心配でな。」
「う、うるせぇよ。そんなに心配なら、俺が賭けたバニーを応援してくれよ。」
「人がいくら応援したって、奴らには届きやしないさ。なにせアイツらが戦ってるのは私たちのような人間の為なんかじゃない。そうだろ?」
「それは…。そうだけど…。」
トロイはどこか納得のいかない曇った顔で戦場を眺めた。
「お前。魔物が何故食べるのか、知っているか。」
「ん。そりゃあ…魔物は生き物が溜め込んだ魔力を得るためだろ?それぐらい、ガキでも知ってる。バカにしてんのか。」
戦場の衝突音と観客の声援をBGMに、男女の会話は続いた。
「魔物は魔力を求めて他を食らう。その通りだ。だが、魔物が魔力を得られるのは生き物からだけじゃない。わざわざ危険を冒してでも生き物と戦い、殺してでも食べようとするのは何故だと思う?」
「それは…」
たしかに。魔物は微量だが、空気中の魔力を微量に吸収しながら存在している。それに魔力を持っているのは動物だけじゃない。植物や鉱石、量は違えど色んなものに魔力はある。弾丸兎だって、あれだけの突進が出来るならわざわざ生き物なんて狙わなくても、鉱石を砕いて食べることだって出来るはずだ。でも弾丸兎にそんな生態があるなんて聞いたことない。なんでだ?
試合開始から十五分。決着の時は近づいていた。
「おぉっと。弾丸兎の動きが止まったぞ!一体どうしたんだぁ!?」
「お、おいおいおい!どうしたバニー!?まだやれるよな!?」
考え込んでいた男は、実況の声で我に返った。
戦場の景色は荒れていたが、観客の目線は壁際の兎に集まっている。綺麗な壁が見つからないほど猛攻を続けた弾丸兎が、その脚を止めたのだ。
「魔物ってのはな。」
「まだ続けんのかよ!それどころじゃねぇって!」
女は続けた。
「動物や植物、生き物を食うことでその特徴を模倣するんだ。」
「模倣?」
女から出る聞きなれない言葉に、男はついつい耳を貸してしまった。
「彼らは生きていくために食うんじゃない。食った相手を模倣し、より強い存在になるために体内に取り込むだけ。」
「それが…なんだよ。」
「魔物は食った相手の特徴を攻撃に活かし、より強い相手を殺し、食うことで進化してきた。つまり。奴らの本質は生き物を真似ることにある。」
「だからそれがなんだってんだよ!」
「おおっと!弾丸兎が動いた!」
「動いた!?」
男の目線は、女から戦場へ移った。
兎の両耳は栗鼠へ向いている。
会場の熱気を汲み取ったのか、実況も声を荒らげる。
「数多の試合を実況してきた私が見るに恐らく!!これが最後の一撃となるでしょう!!!」
「頼む!いけバニー!やっちまえ!」
「あのうさちゃんも、相当食ってきただろうな。」
兎の両脚に筋が浮かびあがり、おしりが左右に揺れる。じっくりと狙いを定め、前足をぐっと内側にしまった魔物は発射された。
な、なんだ?さっきまでよりなんか遅いぞ!それに少し高いか?ここに来てまさかスタミナ切れ!?まずい!このままじゃ…!
栗鼠は今までより速度のない突進を軽々躱した。
「終わった…。」
避けられた。あのまま壁にぶつかって負ける…。俺の…お金が…。
弾丸兎の自滅。会場の誰もがその未来を思い描いた。だが結末は、もう少し先のことだった。
兎は速度を抑え、より標的の動きが見えるよう工夫した。それは何故か。答えはリスに躱された直後の動作に表れた。
左耳を横へ広げ、右耳を前方に仰ぐ。すると風が起きて速度が落ち、顔はリスのいる左側を向く。目線と共に照準の向きが変わる瞬間。その一瞬で兎は地面を強く蹴り込んだ。進行方向に対して真横への跳躍。
弾丸兎は八瞳栗鼠が横飛びする際の足の動きを模倣し、耳での方向転換と合わせることで一直線だった攻撃に角度を加え、追尾した。
「曲がった!?」
血の気の引いていた男は、驚きと僅かな希望で息を吹き返した。
空中にいるリスに向けて放たれた、予想外の追尾弾。速度は落ちているものの、消耗したリスを撃ち抜くには十分な威力だった。
「だけどな。モンスター。お前らは所詮、偽物なんだよ。」
「えっ…。」
兎の勝利に胸踊らせた男は、女の一言と噛み合うような栗鼠の動作に目を疑った。
パンッ!
栗鼠は迫り来る脅威を躱すため。足の着かない状況で初めて、尾を伸ばした。
産み落とされてすぐ、歩くことを覚えるのと同じように尻尾の巻き方を覚え、片時も力を抜くことはなかった。丸め続けた尻尾の毛は固くなり、飛び跳ねるのに十分な筋力が付いていた。
空中から地面への、尻尾による強烈な蹴り。
その閃きは、圧縮したバネが弾けるような破裂音と共に栗鼠の身体をもう一段浮かし、追尾してきた弾丸を見事に躱した。
栗鼠に躱された兎は、またも土煙に埋もれてしまった。
「勝負あったな。」
「嘘…だろ…。」
トロイは青ざめてしまった。
勝ったと思った…。勝ったと思ったのに…。なんで…。
「言っただろ?勝つのはリスちゃんだって。」
「まっ、まだ!まだ分からない!煙が晴れるまでは…!」
その場にいる全ての者が弾丸兎の行方を追った。
頼む!頼むって!生きててくれバニー!もう一回!もう一回だけ…!
トロイはまた、視線を落として祈った。手汗でぐちゃぐちゃの賭博券を握りしめ、目を強く閉じ、祈った。
決着の時。観客のほとんどが、ここが賭博場であることなど忘れてしまったかのように大歓声を送る。立ち上がる熱気。揺れる空気。そして。試合終了のゴングは鳴る。
「試合終了!勝者!八瞳栗鼠!!!」
トロイはゆっくり顔を上げた。
煙の晴れた追突地点に、戦闘不能の弾丸兎が横たわるのを確認し、トロイの顔は歪んだ。
「なんで…なんでだよ…。そんな…そんな…。」
「生き物はな。危機的状況にこそ力を発揮するもんなんだ。それこそ命に関わる大きなもんに遭遇したときなんか、今まで一度も無かったような力に目覚めたりなんかしてな。そうやって成長していく。」
男は絶望を続け、女は静かに話を続けた。
「お前、リスちゃんの副眼はチェックしたか?」
「リスの…ふく…がん…?」
「うさちゃんの歯が伸びてたんだろ?そこまでは良かった。でもリスちゃんのお目目を確認しなきゃ、私も試合の結果は分からなかったかもな。」
「…。」
「弾丸兎の歯が伸びるのはただ模倣してるだけの無意味なものだ。だが八瞳栗鼠の瞳孔はちゃんと理由があって、増えてきたんだ。リスの瞳は元々二つだった。それが年月と共に増えていった。つまりは成長していったんだ。」
「だから…なんだよ…。それとこれとは違う話だろ。」
「いーや。違わない。八瞳栗鼠の副眼は成長によって得たもの。そしてその遺伝子を継承し、代を重ねるごとにさらに成長してきた。あのリスちゃんの副眼はそのへんの八瞳栗鼠よりも大きい。それだけ沢山のものを見てきたってことだ。」
八瞳栗鼠の瞳は、正面を観る主眼と周囲を見る副眼に分けられる。
主眼は弾丸のような速さのものであっても、距離と動きを見誤ることなく正確に捉えることが出来る。では副眼はどうか。
八瞳栗鼠の副眼の主な役割は、より広い視野角の確保である。
顔の後ろ側に位置する四つの副眼によって得られる視野の広さは、前後のみならず上下にも働き、身体の真後ろにあたる尻尾の部分の僅か数センチを除くほぼ全ての範囲を見ることが可能。
そして敵の真似が出来るのは、なにも魔物だけではない。
栗鼠は自分の横を通り過ぎていく兎の足の裏を副眼で見ることで、兎の足に肉球が無いことを発見し、自身の身体の硬い部分であれば同じようにして突発的な動作が可能であると直感した。
肉球のある自分の足ではなく、固まってしまった尻尾で跳ねたのは身動きの取れない空中にいたからかもしれないが、その気付きと閃きが勝利へと繋がったのだ。
「だっ、だからって!尻尾を使うなんて分からなかっただろ!?」
「ああそうとも。分からなかった。それでも私はリスちゃんに賭けた。あのリスちゃんの更なる成長のときは今日だと信じて。な。」
「だからってそんな…。そんな…。」
トロイは放心状態に陥った。
「これに懲りたらギャンブルなんて辞めちまいな。」
大勢いた観客も半分ほどが帰っていき、女性も出口に向かおうと挨拶のつもりでトロイの肩をぽんっと叩いた。
トロイはバランスを崩した積み木のように膝から崩れ落ち、力無く座り込んだ。
「お、おい。大丈夫か?」
直後。女性の胸元のペンダントが光り始める。
「なんだ…?どうして急に…。」
「うっ……!うぅ……!!」
「!?」
女性がトロイを見上げると、彼は心臓を抑えて苦しんでいた。
「これは…!魔術式か!?」
トロイの抱えた胸元からは、白い四本の文字列がまるで何かを解き放つかのように伸び出ていた。
「うぅ…!ぐっ……!!ぐぉああああああ!!!!!」
両手を広げたトロイの胸は黄色の輝きを放ち、目は白く染まっていた。
輝きは女性の視界を奪い、トロイから溢れ出る何かが暴風を起こし、女性のローブを広げ、ピアスを激しく揺らした。




