沈黙する地下研究施設と紫の双眸との遭遇。
表のリゾートアイランド・〘ティル・ナ・ノーグ〙で沢山の観光客が歓喜に沸く一方で、その地下数百メートル。地上の喧騒を完全に遮断した〘地下研究施設〙では、世界が反転していた。
――5月2日 21時42分:地下研究施設。
「……こちら特殊護衛部隊"ケルベロス"。現在、メインゲートよりエントリー。応答せよ」
重厚なタクティカル・ヘルメット越しに、隊長が低く呟く。だが、無線機から返ってくるのは、ザラザラとした不快なノイズのみだった。
数日前まで、ここには50名近い最先端の研究者と警備員が行き交っていた。だが、今はどうだ。通路の照明は半分が消え、非常用のレッドライトが不気味に明滅している。
驚くべきは、争った形跡が全くないことだ。ただ、人が消えたかのように静まり返っている。
「隊長、見てください……」
隊員の一人が指差した先。警備室の机には、まだ温かいコーヒーのカップが置かれていた。だが、椅子に座っていたはずの警備員の姿はない。床には、不自然なほど飛沫の少ない、薄っすらとした黒い染みだけが残されていた。
「洗練されすぎている。死体を片付ける手間すら省いているのか……」
隊長を含め、他の隊員達もサブマシンガンを構え直し、奥へと進む。
――ドクン……ドクン……。
自らの鼓動だけが響く静寂の中。
通路の角を曲がった瞬間、隊長の網膜にその“絶望”が焼き付いた。
まず暗闇の中で輝いたのは、顔部の中心に位置する、毒々しくも宝石のように美しい、紫色の巨大な双眸であった。
その瞳は周囲を偵察するように怪しく燐光を放ち、見つめる者の魂を吸い込むような冷徹な知性を感じさせていた。
「なっ……なんだ、あれは……!?」
光を完全に吸収する深い黒色――ダークメタリックの装甲。
それは一見すると硬質なロボットのようでありながら、筋肉のうねりを想起させる有機的な流線型を併せ持っている。
生物と機械、そして〘"虚無"〙を混ぜ合わせたようなその質感。既存のいかなる物質の定義にも当てはまらない、それは人型タイプの"次元獣"であった。
――シュンッ!!
空気を切り裂く高周波の音。
次元獣が動いた。目にも留まらぬ速さ。
「撃て! 撃てェ!!」
――ダダダダダダダッ!!
ケルベロス隊員たちが一斉に銃声音が響き、火線を集中させる。だが、人型"次元獣"はまるで空間そのものを滑るように移動し、弾丸を無機質な装甲で弾き飛ばした。
キィィイイィイィン……!
次元獣の手のひらから、透明な刃が伸びる。
それは、相手の肉体だけでなく"存在"そのものを断ち切る概念の刃。
「ア……ガ……ッ!?」
最後尾の隊員の喉が、一瞬で断ち切られた。
血は飛ばない。切り口から次元の裂け目が広がり、隊員の肉体はそのまま粒子となって"次元獣"の装甲へと吸い込まれていく。
―ズシャァッ!!
肉体が霧散、惨殺。だが、そこには美しさすら漂う"処理"があった。
人型次元獣は、紫の瞳をゆっくりと明滅させ、残った隊長が率いる部隊たちを見据える。
「クソッ、化け物が……ッ!」
隊長が手榴弾のピンを抜こうとしたその時、次元獣が静かに人差し指を口元――そこにあるはずのない部分――に当てた。
「シィー…」
それは知性。この怪物が、地上の賑わいを邪魔されたくない食事の時間だと認識している証拠だった。
地上では今頃、タケルたちがホテルで豪華な食事をしているだろう。ケンは花見さんに、楽しい旅の報告をSNSで送っている中、彼らの足元――分厚いコンクリートと岩盤の向こう側では、エリート護衛部隊が、音もなく絶滅の淵に立たされていた。
『……こちら……地下施設は、すでに……だ……。来るな……ッ!地上に……を出すな……っ!!』
――グシャッ。
――通信は途絶えた。
人型"次元獣"は、手中に残った通信機を握りつぶすと、再び暗闇の中へと溶け込んでいく。
「フシュ〜〜…」
その紫の双眸は、次の獲物を探して――ホテルの真下へと向けられていた――。




