白昼の夢、三人の休息はグラウンドで…。
「ハイド・ベースへ帰還。直ちに緊急転送シークエンスを開始する。……急いで、三人とも!」
ケンの声も、もはや疲労で掠れていた。
秘密基地に戻るやいなや、彼らには一息つく時間すら残されていなかった。ベースの窓の外には、すでに白々と明ける「朝」の空が見え始めていたからだ。
「やべぇ……。母ちゃんが起きるまで、あと三十分もねえ!」
「……僕、もう一歩も歩けないよ……」
フラフラのモンタをタケルが支え、三人は転送装置の円陣に飛び込む。
「座標確認。……各自の自室へ! 転送ッ!!」
パシュゥッ! という音と共に、三人の姿はベースから消えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……おはよ……」
「おは、よう……タケル君……」
通学路の合流地点。そこに現れたのは、いつもの活気ある少年たちではなかった。
タケルは目の下に深いクマを作り、足元は千鳥足。モンタにいたっては、歩きながら一瞬だけ白目を剥いて膝が折れそうになっている。
「……二人とも、しゃきっとしたまえ。……僕だって、眼鏡がずれてることに気づかないほど眠いんだ……」
冷静なはずのケンも、制服のボタンを一つ掛け違えたまま、ゾンビのような足取りで歩いている。昨夜の激闘、高圧電流の反動、そして何より「一睡もしていない」という小学生にとって最大の拷問が、じわじわと彼らの精神を削っていた。
――羽山小学校、5年1組の教室。
三人は教室に滑り込むなり、挨拶もそこそこに自分の席へと崩れ落ちた。
「……悪い、ケン。HRが始まるまで……十秒だけ寝かせてくれ……」
「……僕も。……先生が来たら、筆箱を落として合図して……」
タケルは机に突っ伏し、モンタは腕を枕にして深い眠りへと落ちる。ケンもまた、開いた教科書の上に顔を沈めた。
教室の喧騒、他の生徒たちの楽しげな話し声。
昨日、自分たちが命懸けで守った「日常」の音が、今は最高の子守唄に聞こえる。
三人は担任の先生が来るまで一時の睡眠をしたのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……おい、起きろ。先生が来るぞ」
ケンの掠れた声と、ガシャリと筆箱が床に落ちる音が、タケルの意識を引き戻した。
机に突っ伏していたタケルは、首の骨が鳴るような感覚と共に顔を上げる。視界がひどくぼやけている。教室の入り口には、出席簿を抱えた担任の先生が立っていた。
「……ふわぁ……。死ぬ。マジで一回死んだわ、俺……」
「タケル君、声、大きいよ……。おはよう……」
隣の席でモンタが、まるで深海から浮上してきた潜水士のような足取りで、のろのろと上体を起こす。その目はまだ半分閉じており、髪は寝癖で爆発していた。
朝のホームルーム。先生が何か「昨夜の発電所の事件」について注意を促していた気がしたが、三人の脳はそれを情報として処理することを拒否していた。彼らにとって、その「事件」の当事者は自分たちなのだ。
一時限目、国語。
教科書の朗読が、遠くで鳴る呪文のように聞こえる。タケルは漢字練習帳に「ガボラス」の文字を無意識に書き連ね、それさえも途中で線が歪み、最後には長い一本の線になってノートの端へ消えていた。睡魔という名の次元獣が、今まさに彼らを捕食しようとしていた。
二時限目、社会。
「近代産業の発展と電力」という皮肉なテーマだったが、ケンですら眼鏡の奥で白目を剥きかけていた。昨夜、高圧電流を浴びた右腕の痺れが微かに残っており、ペンを握る指先に力が入らない。
「……あ、あと一時間……あと一時間耐えれば、給食だ……」
「タケル君……次は、体育だよ……」
モンタの絶望的な呟きに、タケルはガタッと椅子を鳴らした。
三人はもはや、人間というよりは、電池の切れたブリキの玩具のような状態で、なんとか午前中の二時間を耐え抜いた。
「……次は、体育か。死ぬ。確実に死ぬぞ……」
タケルが重い足取りで更衣室へ向かう。
「……運動による血流の改善が、脳の覚醒を促す可能性は……5%以下だね……。今の僕には、光合成でエネルギーを得る機能の方が、切実に必要だ……」
ケンが幽霊のような足取りで続く。
――しかし。
更衣室で体操服に着替え、眩しい太陽が照りつけるグラウンドに整列した瞬間、三人のうちの一人だけが、劇的な「覚醒」を遂げた。
「……あ、あ、愛先輩だぁ……///ッ!」
モンタの目が、カッと見開かれた。
今日の体育は5年生と6年生の合同授業。種目は「ソフトボール対抗試合」だ。
グラウンドの反対側、準備体操をしている6年生の列の中に、ピンク色の髪をポニーテールに結び、白い半袖の体操服をピチピチに着こなした灰坂愛の姿があった。
その瞬間、モンタの脳内に大量のアドレナリンが放出された。昨夜の疲労などどこへやら、彼の瞳には愛の姿だけがHD画質で映し出されている。
「……元気だね、モンタ君。……そのエネルギーを、昨夜の残弾管理に回して欲しかったよ……」
ケンが地面に座り込み、砂場のアリを見つめながら力なく呟く。
整列し、先生の説明が始まるのを待っていると、ふわりと甘い花の香りが風に乗ってきた。
「三人とも。おはよう〜」
聞き慣れた、鈴を転がすような声。三人が振り返ると、そこには屈託のない笑みを浮かべた、灰坂愛が立っていた。
彼女は三人の顔を覗き込むように、少し前屈みの姿勢になる。
「あれ? タケル君、ケン君。二人ともなんだか、すっごく眠そうだね」
その瞬間、タケルとケンの網膜には、前屈みになったことで強調された愛のDカップの胸元が飛び込んできた。体操服の柔らかな生地がその豊かな膨らみを包み込み、重力に従って微かに揺れ動く。
普通なら鼻血が出るような光景だが、今の二人の脳は極度の疲労により「視覚情報の処理」を拒否していた。
「……あ、愛先輩。おは……よう……ございます……」
タケルは微動だにせず、死んだ魚のような目で愛の顎のあたりを見つめている。
「……僕たちは、今……光合成を……しています……」
ケンにいたっては、もはや言葉の意味すら成していない。
「ちょっと、大丈夫?」
心配そうに上目遣いで覗き込んでくる愛。その無防備な色香に、唯一正常に反応したのがモンタだった。
「だ、大丈夫です、愛先輩! 二人はその……昨日の夜、僕と三人でオンラインゲームを徹夜でやっちゃって!」
モンタは必死に顔を赤くしながら、デタラメな言い訳を口にした。
「オンラインゲーム? 意外ね、ケン君まで参加するなんて。どんなゲーム?」
「あ、ええと……『“異次元・ガボガボ・モンスター・バスター”』っていう、敵をパンチで粉砕するゲームです! 最後のボスが硬くて、倒すのに0時を過ぎちゃって……」
(ガボガボって俺のネーミングそのままじゃねえか…!)
モンタの必死の創作料理のような言い訳に、タケルの心の中、そう突っ込んだが、流石に声に出す、気力すら無かった。
「ふーん、なんだか面白そうね♪」
愛はそれだけ言い、怪しむ様子も見せずに微笑んだ。
「でも、授業はちゃんと受けなきゃダメだよ? 私たちのクラスと対抗試合なんだから、手加減しないからね♪」
彼女はそう言い残すと、弾むような足取りで6年生のベンチへと戻っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……モンタ。ナイス、フォローだ……」
タケルが親指を立てる。
「……でも、ソフトボールなんて……球が見える気がしないよ……」
担任の先生が審判役で笛を吹く。
「5年1組対6年2組! 試合開始!」
先行は5年生。バッターボックスに立ったタケルは、ピッチャーが投げたボールが三つに見えた。
「……分身……殺法……か……」
空振り三振。タケルはバットを杖にしてベンチへ戻った。
続くケンは、数学的な予測で球筋を読もうとしたが、計算式を組み立てる前に脳がスリープモードに入り、見逃し三振。
だが、三番のモンタは違った。
ネクストバッターズサークルで見つめる愛の視線を背中に感じ、彼の背筋には昨夜のゾーンGロボ以上の電流が走っていた。
「愛先輩が見てる……! カッコいいところ、見せるんだ!!」
ガボラスをも投げ飛ばしたモンタの剛腕が、バットを一閃させる。
――キィィィィィンッ!!
快音がグラウンドに響き渡り、ボールは推定飛距離80メートルの大飛球となって、校舎の屋根を越えていった。
「ホームランだああああッ!!」
沸き立つ5年生。だが、打った本人のモンタは、ダイヤモンドを一周しながら、守備についている愛に向かって精一杯の笑顔で手を振った。
愛もまた、グローブをはめた手で小さく手を振り返す。
「……あはは、モンタ君すごい!」
その声を聞いた瞬間、モンタの覚醒モードも限界を迎えた。ホームベースを踏んだ直後、彼はそのままうつ伏せにグラウンドへ倒れ込んだ。
「……やりきったよ……タケル君……」
「……ああ、お前が……今日の……MVPだ……」
朝日の降り注ぐグラウンドで、三人の戦士は深い眠りへと誘われていく。
昨夜の“次元獣”との死闘よりも、ある意味では過酷な、彼らの「"日常"」という名の戦場。
その中心で、ピンク色の髪を揺らす少女だけが、倒れ伏す三人を眺めて楽しげに笑っていた。




