6・死んでも嫌(sideミレシア)
クラウスが聖女との婚姻を了承したという知らせは、数日遅れてフランヴェールの屋敷に届いた。
歓喜する両親の隣で、ミレシアはすっかり言葉を失っていた。
喉の奥がひりついて言葉が出ない。
「……どういうこと?」
どうにか絞り出した声は、怒りを押さえ込んだかのように低いものだった。
「聞こえなかったか、ミレシア! クラウス団長が婚姻を了承してくれたんだ!」
「これで将来安泰ね、ミレシア!」
両親は弾んだ声で手を握りあっている。
その浮かれた様子が、ミレシアの苛立ちに拍車をかけていた。
「でもあたしには、アレクシス様が……!」
ミレシアがその名を口にした瞬間、両親の笑顔がわずかに揺れたように見えた。
「アレクシス? ああ、あの伯爵家の次男ね。たかが伯爵家、あなたの夫としては力不足よ。もっと上を目指さなきゃ」
「そうだな。その点クラウス殿は、王国騎士団一の強者で、今や聖騎士団長。幾度の戦場を勝利に導き、陛下の信任も厚い。この婚姻で、我がフランヴェール家はさらに一目置かれることになるだろう。何より、陛下もこの婚姻を望まれているんだ。お前とクラウス殿の婚姻は国益に繋がる」
両親の顔は喜びに満ち溢れていた。
クラウスとの婚姻は、ミレシアの幸せのためであり、王国においてフランヴェール家が今よりも確固たる地位を得るために必要なものだと信じて疑っていない。
両親の言葉を聞きながら、ミレシアは全身から血の気が引いていくのを感じていた。
クラウス・グレイフォード。
有名な彼の噂を、両親も知らないわけではないだろう。
血も涙もない冷血な悪魔――。戦場では容赦なく敵を切り捨て、味方の騎士でさえ震え上がるほどの威圧感を放つ男。
(そんな悪魔と結婚なんて、冗談じゃないわ!)
「クラウス様との結婚なんて、死んでも嫌よ! お姉様にでも押し付ければいいじゃない!」
面倒な聖女の仕事をいつもレティノアに押し付けているように、こんな婚姻も押し付けてしまえばいい。
叫んだミレシアに、両親は驚いたように目を見開いた。
だが、すぐにミレシアを諭すような口調で告げてくる。
「ミレシア、お前は聖女なのだからレティノアより良い婚姻でなければならないだろう」
「そうよ。あの子はミレシアに比べて華もないし、生意気で可愛げもない。レティノアにこんな大事な役割が務まるわけがないじゃない」
ミレシアは、胸の中がじわじわと蝕まれていくように感じていた。
両親はいつだってミレシアの望みを叶えてくれた。
美しいドレスでも、高価な宝石でも、なんでも。――聖女の地位でさえも。
すべて「ミレシアにふさわしい」と言って与えてくれた。
けれど今は、彼らの優しさがただただ重くのしかかって邪魔だ。
「嫌ったら嫌なの!」
(どうして勝手に決めるの? あたしとアレクシス様の愛は本物に決まっているのに、どうして引き裂こうとするの?)
自分の主張が通らないことも、アレクシスを軽んじられたことも、ミレシアはすべてが許せなかった。
(お姉様は、ずるいわ。あたしと違って誰にも期待されないから、自由に生きられる)
そこまで考えて、ミレシアはふと気がついた。
(ああ、そっか。あたしも好きに、自由になればいいんだわ。全部投げ出して、アレクシス様と逃げちゃえばいいのよ。あたしが幸せなら、他のことなんて全部どうだっていいわ)
自分の気持ちが何よりも尊重されるべきだ。両親の期待も、姉のレティノアのことも、ミレシアの頭の中には存在していなかった。
誰にも邪魔されたくない。
ミレシアはドレスの裾を乱暴に掴むと、勢いのまま扉を開けて部屋を飛び出した。