4・琥珀の瞳の騎士
数日後。
教会の中庭には、柔らかな陽の光が差し込んでいた。
さわさわと静かな風が花壇の花を揺らしている。
いつも通りの穏やかな昼下がりだった。
「はいこれ、こないだの依頼への返信よ」
前回セリナから手紙を受け取ったあと、依頼へ向かう予定を調整した。今日は、セリナにその返信を渡す日だ。
「うん、確かに預かったわ」
来月の依頼へ向かう日にちを記した手紙の束をセリナに手渡す。
「今日も聖女様は不在?」
「当然でしょ」
今日も今日とて、聖女ミレシアは恋人とデートである。
朝からご丁寧に「ごめんなさい、お姉様。今日もアレクシス様とデートなの」と報告しに現れ、軽やかな足取りで出かけていった。
(しっかし、毎日毎日飽きもせずにデートとは……。本当にいいご身分ね……)
こちらは聖女の代わりとして、教会に住み込みで休みなく祈りを捧げているというのに。
一応聖女宛の依頼であることからミレシアにスケジュールの話をしようとしたものの、連日ものの見事に話をそらされた。一瞬も祈らないくせに毎日教会には顔を出す。周囲には、ミレシアは毎日教会へ足を運ぶ献身的な聖女として映っているに違いない。
挙句の果てには「わかんないからお姉様にぜんぶ任せるわ!」と笑顔で言い残して、元気に恋人とデート向かう始末。
(わかんないんじゃなくて、そもそも興味が無いんでしょ……。私には、あの子は手に負えないわ……)
ここまでくると、もはや諦めの境地だ。
「やってらんないわねー。あんた、無理しちゃだめよ?」
しかしその瞬間、セリナの視線がふと遠くへ向かい……。そして一瞬のうちに表情が凍りついた。
「……げえ!」
「ちょっとセリナ……げえって……」
淑女らしからぬ叫びをあげたセリナに、つい眉をひそめてしまう。
彼女はこれでも子爵家の三女のはずだ。
「ししし、仕方ないでしょ!? だってほら! この間話したの覚えてる!? 新しい聖騎士団長が決まったって話!!」
「お、覚えてるけど……」
セリナは私の腕をがしりとつかむと、ヘーゼルの瞳を見開いて囁くように言った。
「あの人よ! 新しい聖騎士団長!! 私、怖いから帰るね!」
セリナは私から受け取った封筒を大慌てで懐にしまうと、脱兎のごとく走り去って行った。
「え? あ、ちょっと!」
残された私は、セリナの視線の先にいた人物へと視線を向ける。
そこには、白い騎士服に身を包んだ、鋭い眼差しの男性が立っていた。
襟足長めの黒髪は陽光を吸いこんだかのように艶やかで、かたく張り詰めたその表情には一切の隙がない。鋭い琥珀の瞳は、真っ直ぐにこちらを射抜いていた。
「……ああ。やっと……ここまで来れた」
男性は、掠れた声でぽつりとこぼした。
言葉のもつ意味は、私には分からない。
ただ分かるのは、男性が真剣な瞳で教会と私を見つめていたことだ。
(この人が、聖騎士団長――?)
こつこつと石畳を叩く靴音が、中庭に固く響く。
男はゆっくりと、しかし確かな足取りでこちらへ向かってきていた。
彼が一歩一歩こちらへ歩みを進める度に、中庭の空気が張り詰めたものへと変わっていく。
「……あなたは、俺を覚えているか」
「え? あの、私は――」
(覚えている……? なんの話?)
彼の琥珀の瞳には既視感があった。
3年前のあの夜。祭壇の間のキャンドルの明かりに照らされた琥珀の瞳を見た。
全身が血にまみれ、生死の境をさまよっていた騎士が、ようやく瞳を開いた時にみせたその輝きを彷彿とさせる。
でも、あの時の騎士の顔を思い出せないのだ。名前も、声も、何も知らない。
「……覚えては、いないのだろうな。それでいい」
呟いた男性の声は、どこか寂しげで諦めにも似た響きを含んでいた。
彼は私の目の前まで進み出ると、静かに片膝をついた。
白い騎士服の裾が、石畳の上に触れる。
その姿まるで、絵画の中から抜け出してきたような――主に忠誠を誓う騎士そのものだ。
……いや、正真正銘、彼は騎士なのだけれど。
「俺は、本日付けでセレノレア王国聖騎士団団長に任命された、クラウス・グレイフォードだ。本日は挨拶のためにうかがった。以後、よろしく頼む。聖女殿」
「え、あ、はい……!」
反射的に返事をしたものの、私の頭の中はすっかり混乱しきっていた。
先程から、クラウス様の言葉の意味を上手く掴むことが出来ないせいもあるだろう。
それに加えて、クラウス様は私のことを『聖女』だと思っている様子。
けれど、私は聖女ではない。ただの聖女補佐官だ。
(て、訂正しなきゃ……!)
「あの……!」
意を決して口を開いたものの、クラウス様は既に立ち上がり背を向けてしまっていた。
呼び止める間もなく、白い騎士服は陽光に溶けるようにして、静かに鉄扉の方へと向かっていく。
(……行っちゃった)
言いそびれた言葉が喉の奥に残る。
次にクラウス様と会った時には、私は聖女ではなく聖女補佐官なのだと、きちんと訂正しなければいけない。
(でも、どうして私が聖女だなんて思ったの?)
教会にいたのが私だけだったから、そう思ったのだろうか。
だから私を聖女だと勘違いした?
(それに……)
なぜだろう。
彼のあの琥珀の瞳を思い出すだけで、心の奥がざわめく。
彼が、セリナの言っていた「血も涙もない冷血な悪魔」な人なのだろうか。
私にはそうは思えなかった。
クラウス様の瞳は確かに鋭く、引き結ばれた口元からは冷たく硬質な印象を受ける。だけれど、それ以上に、どこか寂しげだった。
中庭に風がふきぬける。
さわさわと花が揺れる音だけが響いていた。