21・初恋は灯ったまま(sideクラウス)
巡礼訪問を終え、王都の教会にたどり着いたあと、聖騎士団はクラウスの指揮のもと今回の反省会を行っていた。
目的地だったダーレストまでのルートや護衛人数、そのほか気になった点などを共有し意見を出し合うことで、次の任務に繋げる。騎士団にとって重要な時間だ。
「それでは、これにて巡礼訪問の反省会を終了する。各自しっかり休息を取り、明日以降の仕事に備えるように」
「はっ」
クラウスの締めの言葉を合図に、騎士たちは一斉に立ち上がり、騎士団寮内にある会議室を出ていく。
全員が退出したのを確認してから、クラウスも無言のまま席を立ち上がった。
(さて。……俺も部屋に戻るか)
騎士団寮を出て、草木をかたどった装飾が美しい鉄柵を抜けると、途端に清浄な気に包まれた。聖女の住まうここは、他とは違う特別な空気感がある。
元々の予定であれば、他の騎士たちと同様にクラウスも教会の隣にある騎士団寮に住み込むはずだった。
しかし王命により、今は教会で暮らしている。
今まで戦場か王国騎士団寮で過ごしてきたせいか、教会で暮らすことにはまだ慣れない。
だが、隣の部屋にレティノアがいる。それだけで、教会はクラウスにとって心地の良いものになっていた。
(それにしても……聖女殿は、一体どうしたんだろうか)
クラウスは教会への扉を開けながら、ぼんやりと考える。
クラウスの脳裏に浮かんでいたのは、ダーレストからの帰り、馬車のなかで見たレティノアの姿だった。
(俺の手を治癒してくれた後、聖女殿は何故か落ち込んでいるように見えた。……俺はなにか余計なことを言っただろうか)
記憶をさかのぼってみても、クラウスには特段心当たりがなかった。馬車のなかでクラウスがしたことといえば、以前も聖女に治癒してもらったことがある、と伝えたことくらいだ。
(……言葉を選んで、俺なりに想いを伝えたつもりだが……。伝わっているだろうか)
レティノアは恐らく、自分のことを覚えていない。
この教会へ最初に挨拶をしに来たあの日の態度から、クラウスはそう察していた。
三年も前のたった一夜の出来事だ。それもレティノアにとって、誰かを治癒するのは日常的なこと。
それを覚えていないからと言って、レティノアのことを責めるつもりも、思い出して欲しいと言い募るつもりもクラウスにはなかった。
ただ、彼女のそばにいられれば。守ることが出来ればいい。
(……そう思っていたんだがな。俺も人間だ。思い出して欲しい、あわよくばもっと近づきたい……そう願ってしまうのは仕方がないだろう)
もし、彼女が自分のことを思い出してくれたなら、きっと天にも登る気持ちになるに違いない。
レティノアに思いを馳せながらも、クラウスは黙々と礼拝堂奥の廊下を進む。生活空間までたどり着くと居室の前で、今まさに脳裏にうかべていた相手――レティノアとばったり出くわした。
「あ……クラウス様」
「……聖女殿」
「……お疲れ様です。今戻られたんですか?」
「……ああ」
レティノアの淡い金の髪がつややかに濡れている。どうやら湯上りのようで、ブルーグレーの瞳は潤み、頬もほのかに上気して薄桃に染まっていた。
馬車での何かを引きずってまだ気落ちしているのか、レティノアは気まずそうな様子でクラウスから視線を逸らす。だが、クラウスは全く別の意味で気まずい思いを感じていた。
「クラウス様もお疲れでしょうし、ゆっくり休んでくださいね。……おやすみなさい」
「……ああ」
部屋に戻っていくレティノアを見送ってから、クラウスも自室へ続く扉へ手をかける。
クラウスはぱたりと扉を閉じたあと、鍵をかけたのを確認すると、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
(なんだ、あれは……!? 聖女殿が可愛すぎるんだが!?!?)
レティノアに悟られないよう必死で部屋までは持ちこたえたが、クラウスの頭の中は盛大に混乱していた。レティノアの見慣れない湯上り姿を見てしまったせいか、こちらまで全身が熱い。
(いかん、落ち着け、騎士だろう俺は)
一瞬で湧いた煩悩を消すべく、クラウスは深く深呼吸をする。
呼吸を繰り返してどうにか熱さは落ち着いてきたものの、それでもレティノアのことは頭から離れなかった。
もう頭の中からレティノアを追い出すのは無理だと諦めてクラウスは目を閉じる。
(こんなにも聖女殿が頭から離れないのは、それだけ幸せだったからだ)
今回の巡礼訪問で、レティノアと多くの時間を過ごせたことは、クラウスにとって幸せすぎるほどだった。
(俺のことを、怖がったりしないと言ってくれた。俺を自分の騎士だと宣言してくれた。あの日と同じように、傷を癒してくれた)
ひとつひとつ、大切なものをかき集めるように思い返す。
25年生きてきて、これほどまでに幸せな想いをしたのは初めてだった。
(あの手、あの声、あの言葉。……すべてが反則だ)
そうしてもう一つクラウスは思い返す。
旅人に、「ご夫婦ですか?」と尋ねられたことを。
(ご夫婦ですかって? ああ、そうだ。彼女は誰にも渡さない。たとえ俺を見てくれなくても)
こんな浅ましい感情は、レティノアには絶対に知られてはならない。
クラウスは扉に背を預け、天井に向かって息を吐き出した。
壁の向こうからは、彼女の気配を感じる。
(……レティノア。愛おしい、俺の……初恋相手)
3年間、狂おしいほどまでに彼女のことを想い続けた。
地獄のような戦場も、彼女に会うためならと駆け抜けた。
初めて彼女を見た時に胸に灯った想いは、今もまだ輝き続けている。




