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偽物聖女は冷血騎士団長様と白い結婚をしたはずでした。  作者: 雨宮羽那
第2章

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20/56

20・初恋は叶わない


 とうとう王都の教会へ戻る日がやってきた。

 荷造りを終え、広場に停めた馬車に乗り込む私たちを老神父や街の人々が見送ってくれていた。

 

「レティノア様、また是非お立ち寄りください」

 

「レティノア様! また来てね!」


 街の人々が、手を振りながら口々に声をかけてくれる。

 そこには、あの男の子の姿もあった。隣では、男の子の母親が頭を下げている。


「クラウス様も! またね!」


「……ああ」


 馬車の窓ごしでのそのやり取りが微笑ましくて、私はクラウス様の隣でくすりと笑った。

 

 やがて馬車がゆっくりと動き出し、ダーレストの町から離れていく。

 ふと私は、隣に座るクラウス様の方へ視線を向けた。

 クラウス様は腕を組んだまま、流れていく景色を眺めている。

 無言であることは変わらないものの、その表情は行きよりも穏やかなものに感じられた。

 だがそれよりも気になったのは、クラウス様の右手だった。


「……!?」

 

 どうして今まで気づかなかったのだろう。

 クラウス様の右の手の甲に、深く開いた傷がある。血は止まっているようだが、未だ赤く痛々しい。

 私は思わずクラウス様の方へ身を乗り出した。

 

「クラウス様、その怪我」


 私の視線とひそめた声に気づいたクラウス様はわずかに眉を動かすと、傷を隠すようにさっと腕の位置を変えた。どことなく気まずそうな様子で視線を逸らしている。


 昨日、荷車から私を守ってくれた時には、クラウス様の手にこんな傷はなかった。

 クラウス様が怪我をする要因として思い当たるのは一つだけだ。

 

「もしかして、あのときですか」


 坂の上から広場へ向かって、荷車が転がり落ちてきた時。

 クラウス様は飛んできた木片から親子を守るために動いた。


「……少し掠めただけだ。大したことはない」


 どうやら図星だったようで、クラウス様はバツが悪そうに答える。


「ありますよ。こんなに深く切れているのに、どうして何も巻かずに平気な顔をしているんですか」


 話す声が少しだけ震えてしまった。どうやら私は、クラウス様の怪我を見て、思いのほかに動揺してしまっているらしい。

 きっと、傷を見つけなければ私は気づけなかった。それくらい、クラウス様はいつも通りだったのだ。


「……この程度は慣れている」


 そういう問題ではないだろう。

 傷を見ているだけで胸が痛む。それは、私が聖女の血を引いているから、というだけではないような気がした。

 

「……手、貸してください」


「なぜだ」


「治癒するんですよ」


「しなくていい。聖女殿の手を煩わせるようなことじゃない」


「出、し、て、く、だ、さ、い」


 クラウス様は短くため息をつくと、ほんの少しだけ迷うような素振りを見せたあと、私の方へ手を差し出した。


 私も私でため息をつきながらクラウス様の手を受け取る。

 

 クラウス様の手は、私のものよりもずっと大きかった。質感も硬くて、ごつごつしていて、私のものとはまるで違う。

 よく見れば、クラウス様の手には昨日の傷だけではなく、いくつもの古傷の痕が残っていた。


(……この人は、どれだけの痛みを通ってきたのだろう)


 私は両手で包み込むと、祈りの言葉を口にした。

 治癒の光が傷口をなぞるたび、赤く裂けた皮膚が静かに閉じていく。

 けれど、既にふさがってしまった古傷の痕は、何も変わらない。

 

 (……クラウス様のこと、もっと知りたいな)


 この人は、どんな道をたどって生きてきたのだろう。

 何が好きで、何を見て、何を考えているのだろう。

 ……クラウス様の中に、私はいるのだろうか。


 (私、もしかして、クラウス様のこと……)

 

 クラウス様の手を両手で包みながら、自分の胸の奥に、小さな想いが芽生えていることに気づいてしまった。

 顔が熱くて、クラウス様の方を見ることが出来ない。

 

「……昔、戦場で命を落としかけた。その時も、こうやって治してもらったな」


 傷がふさがっていくのを眺めながら、クラウス様はぽつりと言葉を呟いた。


「……それは、聖女に……ですか」


 (私、クラウス様のことを治癒したことがある?)


 本物の聖女はミレシアであるが、あの子は仕事をサボってばかりだった。クラウス様を治癒したとするなら私の可能性が高い。


 (……それっていつ、どこでの話だろう)


 正直、数限りなく騎士を治癒してきたから、記憶のどれがクラウス様なのか判別がつかなかった。

 一番記憶に残っているのは、三年前の琥珀の瞳をした騎士。あれほどの大怪我を治したのは初めてだった。だが、薄暗かったことと疲れていたせいもあって顔の記憶が曖昧だ。


「ああ。俺を癒す光も、穏やかな声も、すべてが救いだった。おかげで今の俺がいる。……あの時の、神々しい女神のような姿を忘れたことなど一度もない」

 

 (……もしかして、ミレシアなの?)


 神々しい女神、という言葉で、クラウス様の言う聖女が私である可能性がかき消えた。

 それは、私であるはずがない。

 だって私は、親の言葉を借りるなら『華がなくて可愛げのない子』なのだから。


 ミレシアが聖女の力を使っているところなど一度も見たことがないけれど、もしかしたら私が知らないところで、ミレシアはクラウス様を救っていたのかもしれない。


 見た目は人形のように可愛らしいミレシアなら、クラウス様が神々しい女神のように見えたことに納得がいく。


 (最初に会った時、クラウス様は私を聖女だと誤解した)


 それは、クラウス様が助けられた時に見たであろうミレシアの髪と私の髪の色が似ていたせいだろう。


 (そっか……。そういうことだったのね)


 きっとこの人は、私とミレシアを取り違えている。

 そもそも、クラウス様が婚姻を了承したのは、聖女との婚姻だ。

 実情はどうあれ、本物の聖女がミレシアである以上、そこに私は関係ない。

 ミレシアを聖女として大切に思っていたから、結婚を決めたのだろう。


「覚えられていなくていい。報われなくてもいい。俺は、俺のすべてを捧げて聖女を守る」


 (……っ)


 クラウス様は私を真っ直ぐに見て伝えてくる。

 けれどその言葉が本当は、ここにはいない妹へ向けられているのだと思うと、胸の奥が苦しくなる。

 なんだか冷水を浴びせられた気分だった。

 一気に指先まで冷たくなっていく。


 初めて感じたほのかな恋は、相手が関係上夫であるというのに玉砕したのだった。

 

 

 


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