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偽物聖女は冷血騎士団長様と白い結婚をしたはずでした。  作者: 雨宮羽那
第2章

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16・夜の庭で問う


 結局、広場での騒ぎはすぐに収まりそうもなく、私たちは仕方なくその場を後にすることになった。

 私たちがあのまま広場にいては、収まる騒ぎも収まらないだろうと判断してのことだ。

 

 向かった先は、巡礼訪問での拠点であるダーレストの教会だ。

 ダーレストの教会は、静かな町の奥にあった。

 私たちが教会へたどり着いた頃にはすっかり夕日も沈み、遠くの空には星が瞬き始めていた。

 夕方の騒ぎが嘘のように静かな場所だ。町に滞在する二日間、ここにお世話になる。

 

 教会を管理する老神父が迎え入れてくれ、私たちはようやく長旅の疲れを落ち着けることができたのだった。

 

 だが、場所が変わろうとも、明日からの聖女としての仕事はたっぷりとある。さっさと寝てしまおうと、私は教会の客室で布団を被り目を閉じたのだが……。


 (眠れない……)


 部屋はしんと静まり、ひんやりとした空気に満ちていた。

 客室の壁には聖句が書かれた古い額縁が飾られ、窓の外には星の光が滲んでいる。


 私が眠れないのは、決して部屋や枕が変わったからというような、ナイーブな理由からではない。

 広場での出来事が、頭の奥にこびりついて離れないのだ。


 薄暗闇の中、私は枕元に置いた小さな一輪挿しの花瓶にそっと視線を向けた。

 老神父から借りた花瓶の中には、あの男の子が手渡してくれた小花が飾られている。


 (……少し、散歩してこよう)


 どうせこのまま横になっていても寝られないのだ。

 夜風に当たれば、少しは心も落ち着くかもしれない。


 私はそっと部屋を抜け出すと、足音を立てないようにして教会の庭へ向かった。


 夜の庭には夜気が漂い、どこか遠くから虫の音が聞こえてきていた。

 庭に咲く花々は夜露に濡れていて、月の光に照らされている様は幻想的だ。

 美しいその景色を眺めているだけで、心のざわつきが収まっていくような気がした。


 (あれ……?)

 

 月光に濡れた花々の奥に、白い影がゆっくりと動いている。

 聖騎士団用の見慣れた白い騎士服と、艶やかな黒髪が夜闇に浮かんでいた。

 

「……クラウス、様?」


 小さく呟くような私の声は、クラウス様に届いていたらしい。

 クラウス様はふと動きを止めると、私の方へ向き直った。そのまま花の間をぬけ、こちらへと近づいてくる。

 

「どうした。眠れないのか」


 クラウス様の声は、普段通りの穏やかなものだった。夕方の広場で感じた冷たく鋭い空気は、今はもうどこにも見当たらない。

 私はクラウス様の問いかけに小さく頷いた。

 

「……はい。少しだけ、外の空気を吸いたくて」


「そのままで出てきたのか」


「あ……。つい……」


 言われて、私はようやく自分の格好に気がついた。

 そういえば私は寝巻き姿のままだ。心を落ち着かせることばかりに気を取られ、上着を羽織るのをすっかり忘れてしまっていた。

 そもそも、こんな夜中に誰かと庭で鉢合わせるなんて、思ってもみなかったのだ。


「……それでは風邪をひくだろう」


 クラウス様はふうとため息をついた。

 どうやらクラウス様が気にしていたのは私の格好ではなく、体調のことだったらしい。

 一瞬だけ迷うような仕草を見せたあと、クラウス様は騎士服の上着を脱ぎ、私の肩へそっと上着をかけてくれた。


「これでもかけておけ」

 

「……ありがとうございます」


 肩にかけられた上着からじんわりと温もりが伝わってくる。

 きっと、クラウス様の体温だ。

 その温もりに胸の奥が跳ねて、なんだかくすぐったいような心地がする。

 私は言葉の続きを探しながら、地面へと視線を落とした。

 

「夕方は、巻き込んですまなかった」


 だが、クラウス様のそんな声が聞こえてきて、私は目線を少しだけ上げた。

 その声には謝罪というよりも、どこか諦めのような色があった。


「……ああいうことは、よくあるのですか?」

 

 私はためらいながらも問いかけた。

 胸の奥にはまだ、広場で感じたざわめきが残っていたのだ。

 

「……よくあることだ。俺が何をしていなくても、勝手に周りが離れていく」


 答えるクラウス様の声は淡々としていた。琥珀の瞳は過去を思い出しているようで、どこか遠くを見据えている。

 

「……俺はずっと戦場で生きてきた。戦うしか道がなかった。そのことに迷いも後悔もない。だが――結果として、戦場を離れた今でさえ人を怖がらせるとはな……」


 クラウス様は自嘲気味につぶやくと、視線を私へと戻した。

 それからわずかな沈黙のあと、クラウス様はぽつりと尋ねてきた。

 

「……あなたも、俺が怖いか」


 その問いは、夜の空気に溶け入るようだった。

 私へと向けられた琥珀の瞳が、月夜の明かりに照らされてかすかに揺れてみえた。


「……私は……」

 

 私はすぐには答えられなかった。

 広場でのクラウス様が放っていた、鋭く突き刺さるような威圧感。それに触れた時、私は背筋を凍らせてしまった。

 あの時のクラウス様が怖くなかったと言ったら嘘になる。


 だけれど、私は知っているのだ。

 クラウス様がそれだけの人ではないということを。


 数日前、ぶつかって尻もちをついたセリナに手を差し出した。

 巡礼訪問のために荷を詰めているとき、私の代わりにトランクを馬車へ収めてくれた。

 そして今も、私の体調を気遣って上着を貸してくれた。

 

 クラウス様のさりげない優しさは嘘じゃないと思いたいのだ。


 しかし、私が続きの言葉を発するよりも前に、クラウス様は諦めたように息を吐き出した。

 

「だろうな。……あなたを怖がらせるのは本意ではない。前にも言ったが、俺から不必要にあなたへ触れることはないから安心してくれ」


 クラウス様はそこまで言うと、くるりと私に背を向ける。


「上着は明日でいい。よく眠ってくれ、聖女殿」


「クラウス様……!」


 (きっと誤解させてしまった……!)

 

 訂正しようと呼びかけても、クラウス様が足を止めることはなかった。白い背中が、夜の闇に紛れるようにして遠ざかっていく。

 クラウス様の上着の重みと温もりだけが、私の肩に残っていた。

 

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