1・聖女様は今日も祈らない
聖女補佐官の朝は早い。……というか、早すぎる。時刻は空が白みはじめたばかりの、夜明けもいいところ。
そうそうに身支度を整えた私、レティノア・フランヴェールは、今日のスケジュールが記された手帳を片手に早朝から教会内を走り回っていた。
(ええっと、あの子が来るまでに礼拝の準備をして……。祈りが終わったら、隣町の孤児院へ慰問にうかがう支度をしなきゃ。それから、夜は騎士の方々の傷の治癒……? やってらんないわよ! なんでこんなに仕事が立て込んでいるのよ!)
いらいらと歯噛みしながら、私は物置きへ続く扉を開ける。
この部屋には、聖女の儀式や聖書や賛美歌集の予備など、備品が雑多に置かれている。
乱雑に詰め込まれた部屋の中から、私はひとつの箱を抱えあげた。中には、毎朝の祈りの儀式の為に必要な白いキャンドルが山のように入っている。
(今日も仕事、明日も仕事……! 最後にとった休日はいつだったかしら!?)
仕事が多いのは、何も今日だけの話ではなかった。いつものことだ。
なぜならここは、国が認めた唯一の聖女がいる教会だから。
大昔、このセレノレア王国を様々な困難が襲った。
疫病に戦争、自然災害。
それらの困難から国を救ったのが、初代聖女・エルティアナだ。彼女は、祈りと治癒の力によって多くの民の命を繋いだ。
それ以降、聖女はセレノレア王国にとって平和の象徴的存在だ。
国内中から聖女様の聖なる力を求めて、祈祷や慰問、治癒の依頼が舞い込んでくる。
そんな聖女の補佐をするのが、私の仕事だ。……本来は。
(だいたいどうせ準備をしたところで……)
ぶつくさと考えながら、礼拝堂の奥にある祭壇を囲うように白いキャンドルを並べていく。
あらかた並べ終わって私がふうと息を吐き出すと、もうだいぶ日が昇ってきた頃だった。窓の隙間から、眩しく光る太陽が顔を出している。
日の出とともに祈りを捧げるのが聖女の仕事の一つなのだ。
にもかかわらず、この礼拝堂には聖女補佐の私一人きり。
肝心の聖女様はまだ現れない。
(遅いわね。…………いつもの事だけど)
使わなかったキャンドルを箱へ片付けながら、ちらりと壁にかけられた時計に視線を向けた。
約束の時間はとうにすぎている。
カチコチと音を立てる秒針が、私のいらだちを助長させるような気がした。
と、その時だ。
教会の入口の扉がようやく開かれ、私は勢いよくそちらを振り返った。
「お姉様、遅れましたぁ」
「ミレシア! 遅かったじゃない! 朝の祈りにはちゃんと来なさいっていつも言ってるでしょう!?」
指定の時間に遅れているというのに呑気なものだ。私の叱責を気にする様子もなく、ミレシアは扉の近くで小さく欠伸を噛み殺している。
「ごめんなさぁい。昨夜アレクシス様のお屋敷に招いてもらって泊まっちゃってぇ……さっきまで一緒だったの」
(はぁあ!?)
ミレシアは肩にかかっていた長い金の髪をくるくると指先で巻いた。
その拍子に、髪の隙間からミレシアの白い首筋があらわになる。
彼女の細い首には、花が咲いたような赤い跡がいくつも浮かんでいた。キスマークだ。
まさかそのままここへ来た、とでも言うつもりだろうか。
(仮にも聖女が朝帰りなんて、何考えてるのよこの子は!)
「それでぇ、アレクシス様ったら今日もあたしと一緒にいたいって言ってくださるの。だから、ね? お姉様、あたしの代わり、またお願いしてもいーい?」
頬を赤く染め、華奢な体をくねらせながらうっとりと言うミレシアの様子に、こちらはさぁっと血の気が引いていく。
私の二つ下の妹、ミレシア・フランヴェール。
ミレシアこそが、国王より正式に認められた聖女である。
我がフランヴェール家は、爵位こそ伯爵位であるものの、古くからの聖女の血を引く、由緒正しい家柄だ。
幼い頃から聖女になるべく育てられたミレシアは、両親に甘やかされて育った。その結果、性格はまさに自由奔放。
3年前、正式に聖女としてのお役目を言い渡されたにもかかわらず、ミレシアは何人もの男性をとっかえひっかえし、遊んでばかりの毎日を過ごしていた。
その結果、ミレシアがするべき聖女の仕事は補佐官であるはずの私にすべてしわ寄せが来ているのだ。私が必要以上に多忙なのは、ミレシアのせいにほかならない。
「ミレシア……。私は聖女補佐なのよ? あなたが聖女なの。聖女が祈ることに意味があるのにそれを放棄するなんて……」
言外に、私が祈っても意味が無いのだと、ミレシアが祈るべきなのだと懸命に伝える。
あの両親や恋人だというアレクシス様とやらがいくらミレシアを甘やかそうとも、せめて姉の私くらいは言わなければならないだろう。
「だって仕方ないじゃない? アレクシス様、あたしがいないとさみしいって言うんだもの! いいでしょ、お姉様? それじゃあよろしくねぇ〜!」
しかし、ミレシアは私の小言などどこ吹く風。意に介した様子などどこにもない。
ミレシアは祭壇の前に立つこともなく、くるりと踵を返して部屋から出ていった。
祭壇の奥にある初代聖女像に見向きもしない。
祈りの言葉も、聖女としての責任も、彼女には不要のものなのだろう。
(なんなのよ!! こっちは毎朝あなたのために準備してるっていうのに!)
ぽきり、と。
私の手の中で、キャンドルが砕けて折れた音がした。
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