大往生
朝。ベッドで目が覚めたときに、なるほど私は今日死ぬのだなと確信した。
病に侵されたはずの身体が不思議と心地良いのも、きっと、そういうことなのだろう。
昼。最後の食事も一人で摂った。パンに干し肉、それとワインも少しだけ。
寂しくないかと言われたら嘘になるが、それはいつもの私の日常でもあった。
夜空の下。揺り椅子に腰掛けている最中、全身から少しずつ力が抜けていく感触を覚えた。
不思議なもので、走馬灯は本当にあるらしい。今日までのすべてが、脳裏を駆け巡っている。
私は、ロア・ヴァイスレインは、勇者と呼ばれていた。
そして、為したことも概ね、その呼称にそぐうものだったと思っている。
剣と魔法を学び、その高みへと至り。
人類を脅かす魔王を討ち、片時の平和をもたらし。
後進の育成を行うことで、次の世に人を残そうと働き。
走って走った、その人生の終着点こそが、どうやら今日だったらしい。
後悔は無い。
いやむしろ、魔王を討つなどという大それた目的を掲げておいて、よくこれだけ長生きできたなと思う。これに関しては運と、何より仲間に恵まれた。
私の死後についても、心配はいらないだろう。既に優秀な若者が、平和と発展の礎として奮闘している。老いた勇者がこうして隠居できるくらいには。
いよいよ意識が朦朧とし始めたが、考えることはやはり、一つだった。
私の生涯に一切の悔いはなく、この命が終わる瞬間を晴れやかに迎えよう……。
…………。
……………………。
これはその、後悔って程の話じゃないが。
もしも生まれ変わるのなら、次は勇者じゃなくて良いかもしれない。
例えば、部屋で延々と本を読んでいても許されるような、そんな人生が良いかもしれない。
というのも実際、勇者という役回りは本当に忙しかった。単に魔物を倒すだけじゃなく他にも山ほど仕事があったし、多方面に気を遣うことも多かったのだ。その辺の酒場に入るのも、一苦労だし……。
後は、そうだな。
ただ一人の誰かを愛して、その相手と生涯を共にするというのも良いだろう。
生憎、今世はそんな余裕なかった。かけがえのないものを作るというのはすなわち、弱点を作るということに他ならない。魔王を討つという大志がある以上、それもやはり。許さないことだった。
何にもならない妄想を終えて。
自分と世界との境界線が曖昧になる頃、最後に私は、子どもの頃に読んだ絵本のことを思い出した。
世界に満ちる魔力と同じで、人の魂は一つの場所に留まらない。
死と生は表裏一体であり、あなたという存在は永遠に続く――。
要は生まれ変わりがあると豪語していたわけだが、実際どうなのだろうか?
「さて……確かめに行くと、するか…………」
誰に言うでもない言葉を呟くなり、急速に私が消えていった。
終わってしまえばあっけない。
砂粒が風にさらわれるように、私の生涯は分解され、世界に溶けていった。
@ @ @
はず、だった。
@ @ @
「……様、どうかお目覚めください…………!」
誰かを呼ぶ声が聞こえて、けれど知らない振りを決め込んだ。
だって、とても眠くて、とにかく全身が重いから……。
「かくなるうえは……とりゃあああああっっ!」
ごぷっ、どろどろどろ、と。
自分の周りを満たしていた液体が、下へ流れていく感触を覚える。
そうなると、私も……どすんと身体ごと、地面に落下せざるを得ないわけで。
「こほっ、げほ、ぐぅっ…………!」
粘り気を帯びた液体は、喉にまで詰まっていたらしい。
飲み過ぎた翌日のようにえずいていると、トテテと傍らに、誰かの影が近づいた。
「ああ、良かった……まずは無事に降臨なされたこと、心よりお祝い申し上げます」
やけにへりくだった言葉を受け、私はそのまま、声の主へ視線を送る。
少女だった。
空に似た蒼色の髪に、雲のように白い肌。
羽織った黒のローブが、意味も無く身体の線を強調させている。
……なんだろうな。
どうにも作り物めいているなと、そんな失礼な感想は思うだけに留めておく。
「先んじて自己紹介を――わたしは、ネプチューン。偉大なる先代魔王様が創り出したゴーレムが一体」
「なんだ本当に作り物なのか……! ……いや待て、魔王、だと?」
気になる部分は山ほどあるわけだが、ネプチューンと名乗る少女は構わず喋り続ける。
「情報の補完は後ほど行います……ですので、まずは大前提をお伝えさせてください」
言って、途端に少女は、わたしに対してひれ伏してきた。
なんだそれは、そんなことしなくていいやめてくれ。
そう思ったのも束の間、彼女の次の言葉は、私にとって最大の衝撃だった。
「わたしは貴女に、絶対の忠誠を誓います――第六使徒、様」
…………………………。
ダイロクシト。
よくわからないが方言か何かか?と勝手に納得しつつ。
さておき、貴女って誰のことだろうかと、その辺を右、左と見回してみる。
ただ、広く、途方もなく薄暗い空間のなかには、誰もいなかった。
私と、蒼髪の自称ゴーレム少女しかいなかった。
「……お、おい、まさかとは思うが…………っ!」
両の手でぺたぺたと、私は私自身を検めるしかなく。
……首筋辺りに汗がしたたるのを感じて、そのままぞくりと、鳥肌も立つ。
まず、髪が長くなっていた。
色も生まれつきの金色から、この闇のなかでもわかるだけの黒に染まっている。
腕も……浅黒い肌になっており、たっぷりの張りを取り戻していた。
死に際は枯木のようだった全身も豊満な肉体へと変貌していて、自分の身体なのに配慮してやらねばという気にさせられる。何故だか服を着ていないのもあって、余計にそう思う。
何より、豊満――そう、胸があった。
胸筋という意味ではない。そういう意味じゃない方の、膨らみだ。
……そうして私は。
自分の身体が自らのそれじゃないことに、ようやく気付いた。
「すまない、その、一つ質問して良いだろうか?」
「はい、勿論」
「今、キミから私は……どんな姿に映っている?」
恐る恐るの質問に、少女は誇らしげな笑みでもって答えてくれる。
「美しくセクシーな、サキュバスのなかのサキュバスに見えております……!!」
「…………………………」
@ @ @
前世は勇者で、今世はサキュバス。
こんなことがあって良いのかと、その時の私は呆けることしかできなかった。