脳内ディベート
今年になって浮ついた言葉を個人的によく耳にするようになった。
「受験生なんだから」
「高校生最後なんだから」
一日一日を大切に、なんて意見はどこへやら。
まだ始まったばかりだというのにこんなにも同じ言葉を浴びせられては、日々に面白みを見出すことすらできない。
一日一日を大切に、なんて意見はどこへやら。
ただでさえ、ストレスが溜まりやすい年なのだ。わかっていることを毎日言わなくてもいい。せめて、週に一回にしてくれと私は思う。
とはいえ、よくよく考えてみれば、毎日同じことを言っている先生というのは案外少なく――熱血系の先生はよく言うが――そんなに勢いのない先生といえば聞こえは悪いが「勉強を楽しむ」ということを念頭に置いている方はあまり連呼していない。
孔子の教えにも同じものがあったなとふと思い出した。
これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。
中学校で習ったものだが、よく覚えている。
習った当時は、好きこそものの上手なれということわざがあるのだから、楽しむ者も好む者も同じなのでは? などと考えていたものだが、今は孔子の教えに強く賛同する。
ことわざを持ち出すのなら、下手の横好きというものも持ち出さなければならないと思う。好きだからといって上手なわけではない。
当然だ。私だって、音楽が好きだが、作曲ができるわけではない。歌が上手いわけでもないし、楽器が弾けるわけでもない。
だが、楽しいと思うなら?
私は「好き」というものは一元的なものに過ぎないと思う。好きとは、物事に関して特別な感情を抱き、好奇心を感じることであると思う。
対して、「楽しい」はある活動によって心が満たされて、幸福や喜びを得る状態なのではないかと思う。加えて、楽しいとは、他者との関わりを持って生まれるものなのではとも思う。
と考えたとき、勉学に際して、好きという感情を持つことはほぼほぼないだろう。確かに、ある特定の教科が好き、あれは嫌い、ということはあるだろうが、一般的に勉強という言葉を聞いた時に、嫌悪感を抱くものではないだろうか。少なくとも私はそうだ。
このとき、勉学が楽しいと感じるのならどうだろうか。
先ほどの私の「楽しい」の定義によると、「他者との関わり」がある。
友達と喋っていて進まないかもしれない。どっちも同じくらいの学力レベルで全く役に立たないかもしれない。
でも、それらは思い出として心に残るだろう。
そして、そのときにやった勉強は芋蔓式に記憶に残るだろう。
そう考えると、「好き」は「楽しい」に勝ることはないのねはないのだろうか。