【コミカライズ化】婚約破棄を突き付けられた公爵令嬢が求める二つのお願い
デルバート王国で王太子の凱旋パーティが行われていた。
凶獣グレンディアンを倒した英雄が王太子ことレヒアートで、その隣にいるのが神から祝福された乙女エルルだ。艶やかな黒髪が美しい王太子と柔らかな桃色の可愛らしい少女は見た目にもお似合いだった。
しかし、招待客は違和感を抱えた。
なぜなら、レヒアートには十年来の婚約者、グルーブ公爵令嬢メディアがいたからだ。いくら救国の聖女とはいえ、レヒアートの隣にいるのはいかがなものかと招待客は不思議に思った。何人かは凶獣を倒した後、二人が親密になったという噂を思い出して顔色を変えたが、表立って非難しなかったのはレヒアートが非の打ち所のない完璧な王太子だったからだ。
才色兼備で文武両道。性格も良し、人望も厚い彼を疑う人間はいなかった。
そのため、彼の発言はその場にいる全員を驚かせた。
「今日ここで私は公爵令嬢メディアとの婚約を破棄する! そして聖女エルルと婚姻し、王太子妃とする」
エルルを抱き寄せレヒアートは高らかに言った。
聖女はにこにこと微笑みながら、見せつけるようにレヒアートにひっつく。
「王太子、正気ですか!?」
「グルーブ嬢がこれまで王家に尽力した功績を知らないはずがないでしょう!? いくら相手が聖女とはいえ、横暴です!」
人々は驚きの中、王太子に反論する。
「黙れ! メディアはエルルを陥れ、人道に外れる振る舞いをしたのだ。そのような人間を国母にすることなんてできない!」
目を吊り上げてレヒアートは怒鳴る。
「そ、そうですそうです。私、とっても怖かったんだから」
エルルはか細い声で言う。
可愛らしい彼女は庇護欲をそそられるが、ここにいる誰もがそんな事実はないと確信した。なぜなら、公爵令嬢メディアはいつも民のため、国のために奔走していた。弱きを助けて悪をくじく彼女が、いわれもなしに暴行をするはずがないと皆が思ったのだ。
国王夫妻は黙っていた。
「殿下、それは本心でしょうか」
凛としたメディアの声が響き渡る。
「本心だとも。俺はお前にほとほと愛想が尽きた。お前なんか大っ嫌いだ。もう二度と顔をも見たくない」
レヒアートは顔を背け、メディアを罵った。
「さようですか。では、最後に二つだけお願いがございます」
「なんだ」
「一つ、平手でご尊顔を叩かせてください」
「よかろう。お前の悪行を皆に見せつけてやるがいい」
レヒアートは嘲るように笑うと、ずずいとメディアの前に出て少し屈む。だが、目線は合わさなかった。
バシンッと大きな音がした。王太子の頬は徐々に腫れていき、近くにいた令嬢は悲鳴を上げた。
「ふん。これで全力か。深窓のご令嬢はやはり非力だな」
レヒアートは再び嘲笑った。
「最後のお願いを申し上げます」
「言ってみろ。最後くらい叶えてやる」
レヒアートは目を細め、挑発するように言った。
「服を脱いでください」
「は?」
メディアの言葉にレヒアートは素っ頓狂な声が漏れた。
目を瞬き、紅い目がきょとんとした。
招待客はメディアの突拍子もない言葉に呆然とした。
「脱がないなら脱がせますから」
メディアはそう言うと、隠し持っていたナイフで王太子の衣服を裂いた。上等な衣服は切れ味のいい刃で端切れになった。
「キャアアアア!!」
令嬢たちが悲鳴を上げてばったばったと倒れていく。美青年の裸体に悲鳴を上げたのではなく、美しい素肌におどろおどろしい腫れ物があったからだ。王太子の心臓の位置、デコボコした腫れ物はまるで生きているようだった。
王太子は端切れを拾ってすぐに前を隠した。
エルルは手を王太子の胸に当てる。少女の顔は真剣そのもので玉のような汗が頬を伝った。
メディアが一歩進み出る。
「殿下、凶獣グレンディアンから卵を植え付けられたのですね」
メディアの言葉は疑問形ではあったが、声はもはや断定だった。美しい青い目は怒りに燃え、彼女が二回りも大きくなったように見えた。
「……ああ」
「その羽化を聖女エルルの力で抑え込んでいるのですね」
「……ああ」
「討伐後、二人が行動を共にしたのもこれが原因ですね」
「……ああ」
レヒアートはメディアの問いに力なく返事をした。もはや申し開きをする気力すらなくなった彼は項垂れていた。エルルは申し訳なさそうに縮こまっている。
レヒアートはゆっくりと顔をあげてようやくメディアを見る
「メディア、その、酷いことを言ってごめん。本心じゃない」
「ハァ。何年一緒に居ると思っていますの。それくらい知っていますわ。あと、殿下は嘘を吐くとき私の目を見ないんですのよ」
「そうか、全部知っていたんだな」
レヒアートは力なく微笑む。
演技だとは言え、大好きな人を傷つけるのはつらかった。そして、その大好きな人がレヒアートの辛い心まで理解してくれていたことに、嬉しさと申し訳なさが心を締め付ける。
メディアはさらに言葉を続けた。
「そりゃあ、知っていますとも。殿下は婚約破棄事件を起こし、わざと勘当されて卵を道連れに自決するつもりだったのでしょう? あなたの行動がおかしいので調べさせました」
メディアの言葉にレヒアートは肩を落とす。
「メディア。僕は君が好きだって言ってくれて嬉しかった。だから、僕が死んで悲しむ君を見たくなかったんだよ。嫌われればいいと思ったんだ」
力なく言う彼の頬にメディアの容赦ない平手打ちが飛んだ。
「レヒアート! わたくしがどれだけあなたのことを好きかまだわからないの!? こんな小手先の芝居で騙されるような薄っぺらい愛なわけないでしょう!? ふざけないでふざけないで!! 絶対死なせませんから!!」
そこで初めてメディアは涙を流した。真珠のような雫がメディアの青い目からとめどなく落ちる。
レヒアートは大好きな彼女の泣き顔に胸を痛めた。ごめん、ごめんとレヒアートは謝るしかできなかった。
凶獣グレンディアンを倒した時、獣はレヒアートの心臓を貫いた。エルルがすぐさまヒールを試みたおかげで一命をとりとめたが、グレンディアンはレヒアートの体内に自らの複製を植え付けたのだ。
エルルがどんなにヒールを施しても、卵を一掃することはできなかった。外科摘出で取り出そうにも、心臓と一体化しているためそれも叶わなかった。
卵はいずれレヒアートを食らいつくし、凶獣グレンディアンとして復活する。それを阻止するためにレヒアートは自死を選んだ。そして、そのための芝居をエルルに頼んだ。
「メディアさまを騙すなんてあたし嫌です」
「メディアが悲しんでもいいのか」
「それは……」
「頼む、メディアには幸せになって欲しいんだ。僕を大嫌いなまま、新しい恋をして幸せな一生を終えて欲しいんだよ」
「あたしは巻き込んでもいいんですか。あたしも好きな人と結婚したいんですが」
エルルは別の切り口でレヒアートの考えを曲げようとした。しかし、レヒアートの意志は固い。
「君の好きな人は故郷にいるだろう。聖女なんて肩書を解消し、ただの人間として暮らしたいと常々言っていたじゃないか」
レヒアートにそう言われてエルルは仕方なく受けた。報酬につられたわけではなく、レヒアートに同情してしまったからだ。
「はあ、王太子様って天才って言われてますけどバカですよね」
「うん。僕はバカだよ」
レヒアートは潔く認めた。
婚約破棄のシナリオを二人で考えた。レヒアートは「メディアにきついこと言いたくないなあ。別れたくないなあ」と泣いた。エルルは「それじゃあ、やめましょ」と何度も言った。しかし、レヒアートは諦めず、泣きべそをかきながら案を出していった。
こうして出来上がった婚約破棄の芝居だった。
だが、メディアに看破された時点でレヒアートは情けなくも生きたいと思ってしまった。
「メディア、死にたくないよ。僕、ずっと君と生きていたいよ」
ぽろぽろと涙を流すレヒアートにメディアは叱咤する。
「あたりまえでしょう! 公爵家の財力をすべて使ってでも助けますわ!!」
そうやって二人は泣き合う。
彼らの友も親も、誰一人かける言葉を見つけられないでいた。いくら考えても優しいレヒアートを助ける術がなく、何を言っても気休めにすらならない。
王も王妃も自分たちの無力さにただ黙るしかできなかった。
皆が悲壮に暮れてしずまり反る広間に、か細い声が響いた。緊張で震えながら、おそるおそる前に出る。
「あ…………あの、私はゴルゾーン男爵のヒュッケと申します。本来ならお二人と言葉を交わせる身分ではないのですが、私ならなんとかお助けできるかと思いまして……」
丸っこい風体の男がしどろもどろで言い始めた。
「本当ですの!?」
「本当か!?」
希望の光を見つけた二人は目が輝いた。
「は、はい。私が出資する大学で魔獣の研究を行っています。ご存じの通り、魔獣は様々な武器や燃料に使えますからね。たしか、過去に患者から魔獣の卵を取り出した記録があったはずです。ただ、剥離するためにリュオル草とファゴ岩が必要なのですが」
男爵の言葉を受けて他の貴族が名乗りを上げた。
「リュオル草ならウチの植物園で扱っているぞい」
「ファゴ岩なら私の鉱山で少し採れたはずだ」
わらわらと人が集まり、何か手伝えることはないかと声を上げる。
男爵はその貴族たちと熱心に話し合い、レヒアートを助けるために知恵を出し合った。
その光景をレヒアートとメディアはぼうっと見ていたが、徐々に希望を実感した。
二人は顔を見合わせて泣きながら微笑み、指を絡め合った。
エルルは良かった良かったとおいおい泣いた。そんな彼女をメディアが抱きしめ、「ありがとう、迷惑をかけてごめんなさいね」と謝った。エルルは「騙してごめんなさい」と泣きながら謝り、メディアもさらに謝り返した。
■
ゴルゾーン男爵たちの懸命な努力の下、レヒアートは卵から無事に解放された。その功績で彼らは陞爵の栄誉に与ることになった。
レヒアートとメディアは今まで以上に愛し合い、何かにつけて一緒に居ることが多くなった。
エルルは希望通り郷里に帰り、大好きな幼馴染と素敵な恋を始めている。
彼らの幸せな愛は国中を包み込み、デルバート王国の明るい未来を照らし続けた。
なお、この件は仲間内で「王太子素っ裸事件」と評され、自己犠牲しがちなレヒアートを戒めるための合言葉となった。
後世の歴史書に記されていないのは幸いである。
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