トイレの紙様
そのトイレにはかみさまが住む
そんな噂が立ち始めたのは私がこの女子高に転校してきてから一週間ほど経ってからのことだった
いまだ友達は出来ていない
まだ一週間だから学校に馴染めていないとかじゃなくて、私は人づきあいが苦手な性格だったからだ
授業の最中私はなんの気なしに空を眺めてため息をつく
今頃お父さんは仕事をしているはず
父子家庭で幼いころからずっとお父さんと二人きりの生活
お母さんがいないことには別に寂しさを感じたことはなかったけど、たまにお父さんにお母さんの話を聞くことはあった
いつもニコニコ笑っていて誰に対しても優しかったけど、病弱でよく寝込んでいたらしい
私を産んでお母さんは死んでしまった
ふと、お父さんは私が生まれたことでお母さんが死んだことに対して、私を恨んでいないか? なんて思ってしまうことがある
恐ろしくて聞けないよそんなこと
聞けないけど、お父さんはいつも私を愛してくれていたとは思う
無口だけど、私に対していつも微笑んだ顔で見守っててくれる優しいお父さん
私はお父さんが大好きだ
「ねぇねぇ、理子ちゃんも一緒に行かない?」
ある日の放課後、私はクラスメイトの柏崎さん達にそう誘われた
誘われたのはもちろん噂になっているトイレのかみさまが住むって言う三階の女子トイレ、そこの一番奥にある個室だ
そこの扉を三回ノックすると、どこからともなく紙が一枚落ちて来る
その紙にはノックした人の未来が書かれていて、その未来は必ず本当になるっていういわば都市伝説みたいな話
そんなものを信じてもしょうがないけど、友達を作れる絶好のチャンスとばかりに私は一緒に行くことにした
「いやぁ理子ちゃんがノリのいい子でよかったよー。私ら三人じゃまだちょっと不安だったわけ。人数は多すぎてもあれだけど、四人くらいがベストって思わない?」
柏木さんは楽しそうにそう話しかけて来るけど、コミュ障気味の私にはなんて返していいのかなんて分からなかった
「そういえば三組の三島いるじゃん?」
「ああ、あのオカルト眼鏡?」
「そそ、そいつが言ってたのよ。トイレのかみさまって綺麗な女の人だったって」
「え!? マジで? じゃああいつかみさまに会ったってことかよ」
「なんか紙に書かれてた内容は教えてくんなかったんだけど、あの口ぶりは信憑性あるわ。めっちゃ真に迫ってたもん」
三島さんって人はは分からないけど、どうやらこの都市伝説を実際に体験したらしい人がいるみたい
まあ作り話よね多分
「ほれ着いたぞ」
柏木さんの親友阿部さんがトイレを指さす
阿部さんはボーイッシュな感じでなんかかっこいい
顔立ちもどこか少年ぽくって、後輩の女の子なんかはファンクラブまで作ってる子もいるほどのスクールカーストの頂点みたいな人
それに柏木さんだって眉目秀麗で私なんかが話しかけられるなんて思いもしなかった
そしてもう一人の柏木さんの親友綾川さん。こっちはあまりしゃべらないけど、柏木さんや阿部さんの話に絶妙なタイミングでうなづいている
三人は小学生のころからの付き合いだそうで、いつも一緒にいるってここまでの道すがら聞いた
「えっと確か一番奥だっけ?」
「そうそう、んでノックな」
まず初めに柏木さんがノックをすることになった
奥の扉まで行って軽くノックを三回して、少し待ってみる
何も起こらない
次に阿部さんが同じようにノックして待つけど、こっちも何も起こらなくて、綾川さんがそれに続いた
「何も起こらないよ」
綾川さんが珍しく喋ってる。小鳥のさえずりのような可愛い声
「じゃ、最後理子ちゃんね」
阿部さんがどうぞと手で紳士のような身振りをして、私を扉の前にいざなってくれる
私も先の三人にならって扉を叩いてみた
コンコンコン
軽い音で扉が鳴り、反応を待ってみたけど何も起こらない
結局噂は噂で、真実は誰かの嘘から始まったことなんだと思う
あきらめて帰ろうとした私達、いえ、私の前に一枚の紙がはらりと舞い落ちて来た
「これって…」
私はその紙を拾い上げると何かが書かれていることに気づいた
「すげぇじゃん! ホントにいたのかよかみさま!」
「待って、もしかして誰か潜んでてイタズラしてるのかも」
喜ぶ阿部さんを制して柏木さんがトイレの扉を開いてみる
そこには、誰もいなかった
「マジかよ。ほら見ろ由奈! やっぱいるんだってかみさま!」
教室に戻った私は三人と一緒にその紙に書かれた内容を読んでみることにした
折りたたんでいた紙(多分和紙)を開いて行って、こわごわながらも文字を確認してみる
「ゆめゆめ気をつけよ 最愛な者に危機が迫る 死別か共に逝くか選べ 時は迫る 明日が決日」
なにこれ!? 一体どういうことなの!?
こんな、こんなのって…。最愛の人? それってやっぱり
「ど、どうすんだこれ! これに書かれた未来って絶対起こるんだよな!?」
「ええ、噂ではそうなっているわ。で、でもあくまで噂だから」
そ、そうよね、噂、だから…
私は心臓の鼓動が速く激しくなっていくのを感じる
バクバクと痛いくらいに脈打って、私の胸を苦しくさせる
「と、とにかくこんな未来が来ないよう回避するしかないわ! 明日って休みよね? みんな理子ちゃんちに集まれる?」
「あたしはいける。セリナは?」
「大丈夫」
え? え? 私の家に、集まる?
「取りあえず明日朝いちばんに集まって対策を練るの。ここに書かれた未来が絶対なんてことはないわ! せっかく友達になったんだから私達が死なせない! それこそ絶対に!」
と、友達? 私なんかが?
「よし、明日の朝駅に集合な! 理子ちゃん駅分かるよな?」
「う、うん」
私は予言の書かれた紙をポケットにしまうと四人一緒に学校を出て、校門のところで別れた
翌朝7時、私は家を出て20分をかけて駅まで歩いた
集合時間は8時だけど、早めに着いておくにこした事はないもんね
それからしばらく待っていると、まず最初に綾川さんが来て、少し後に柏木さんが、その数分後に阿部さんが来て、8時少し前には全員集まった
「悪ぃ、待たせちまったか?」
「大丈夫、私らもさっき来たとこだから」
三人は真剣な表情で私を見つめる
「よし、理子ちゃん行こ。家まで案内してくれる?」
「う、うん」
私は三人を案内する形で家までの道のりを重い足取りの中歩いた
私の最愛の人って言うのは絶対お父さんのことだ
お父さんの仕事の関係で引っ越しばかりだった私には好きな人はおろか友達もいない
この三人が私に最初にできた友達だと言ってもいい
だからこそ複雑な気分だった
昨日友達になったばかりの三人が私のためにこうして集まってくれてることに、感謝と申し訳なさが入り混じった気分なんだ
家に着くと私の部屋に来てもらった
アパートを借りて暮らしてるからそんなに広くはないけど、お父さんと二人なら十分な広さ
いつもは一人だから少し広く感じる自分の部屋も、四人だとすごく手狭に感じる
「じゃあ早速だけど、理子ちゃんの最愛の人って?」
「たぶん、お父さんだと思う。お父さんは男手一つでずっと私を育ててくれて、いつも仕事で家にいないけど、いる時は本当に私を大切にしてくれて…。お、お父さんが死んじゃうなんて思いたくないけど、で、でも不安で怖くて…」
最後の方は泣きながらになっちゃったけど、皆慰めるように肩に手を置いてくれた
「お父さんは今どこに?」
「えっと、仕事で、確か市役所前の会社に行ってるはず」
お父さんの職業は日本中を回る営業職。だから引っ越しが多かった
忙しいからあまり詳しいことは聞けなかったけど、どこに行くかはいつも話してくれてるからどこにいるかわかったのは幸いね
「じゃあすぐその会社に行くぞ!」
確かにすぐに行った方がいいかも
この予言には正確な時間が書かれてなくて、今日が決日とだけ書かれてる
改めて読み直してみたけど、お父さんがどういう危険な目に合うのかもわからないし、私が選ぶというのも意味が分からない
共に…。一緒に何なんだろう?
ずっと予言のことを考えているうちに会社まで来てしまった
ここにお父さんがいるはずだから受付のお姉さんに娘であることを告げてで聞いてみた
「少々お待ちください。高幡修一様ですね」
お姉さんが調べてくれたけど、結果は
「高幡様はすでに当社を出社しておりますね」
「え!?」
今日はここで昼過ぎまで会談があるって言ってたのに、どこに行ったんだろう
「空振りか、仕方ない、こういう時はしらみつぶしと聞き込みだ。理子ちゃん、写真とかあったら送ってよ」
私はうなづいてスマホの中にある写真を昨日登録したSNSで送信
三人は写真を見ると分かれてお父さんを探してくれることになって、会社前でそれぞれ別々の人の多そうな場所へ向かった
それから数時間、私達はいくら探してもお父さんを見つけれないでいた
そんなに広くない町なのにお父さんを見た人がいない…
誰かが見つけたらスマホに連絡が来るはずだから、他の三人も同様なんだと思う
泣きそうになるのをグッとこらえて走り回り、足が棒のようになろうともとにかく人に聞き続けた
人と話すのが苦手なはずだったけど、愛するお父さんの身に危機が迫っているとなると、そんな小さなことがどうでもよく思えてくる
そして昼が過ぎ、夕方になり日も傾き始めたころ柏木さんから連絡が来た
「理子ちゃん、目撃者が見つかった。それと心して聞いて。お父さんは…」
ショックで思わずスマホを落としそうになる
私は急いで病院へと走った
この町に唯一ある総合病院、そこの集中治療室にお父さんはいた
意識不明の重体…
なんでもビルから飛び降りたそうで、すぐに病院に運び込まれたけど予断を許さない状態
私はすぐに駆け寄って呼びかけた
「お父さん! お父さん!」
でも返事はない
なんで、なんで自殺なんか
お願いお父さん、死なないで! 私はお父さんがいれば他に何もいらないのに!
貧しくたっていい、お父さんと二人でこの先もずっと暮らせるならそれだけで幸せなのに…
何で私は、お父さんの悩みに気づいてあげられなかったんだろう…
そっとお父さんの頬に触れる
その時私のポケットがうっすら光り始めた
スマホは切っているのに
ポケットを探ると一枚の紙が出て来た
これは、忌々しい予言の紙
そこにはこう書かれていた
「汝道すがる者 未来を変えたくば問おう 共に死するか否か 共に死する道を選ぶならば我が汝らを導かん」
共に死するって、それってつまりお父さんの後を追って自殺しろってこと?!
そんなもの答えは決まってる
否
否定する
「汝試練に挑む者 父の心を見よ 真なる心を覗け」
その言葉が書き記された瞬間私は突然真っ白な場所に立っていて、靄のようなものが地面から浮かんできて映像を映し出した
「この頃営業成績が振るわんねぇ。どうだね、下請け会社に出向してみんかね?」
この映像は、お父さんが見ている映像?
今話してるこの人、見たことある。お父さんの上司のおじさんだ
「す、すいません! 次こそは必ず契約を取ってきます!」
「いいんだよ。うちとしても無能は置いておけないからね。ここらでやめて心機一転、新しい職を探してみてはどうかね?」
お父さんはずっと謝っていて、上司に頭を下げている
その上司はその間も嫌味をねちねちと言い続けていた
「俺が頑張らなきゃ、理子が路頭に迷うんだ。俺がやらなきゃ」
お父さんは心の中でそう言い続けていた
私が、重荷になってたんだ
場面が変わった
今度は知らないおじさんが目の前に座っていて、いぶかしげな顔でお父さんを見ている
「そうは言ってもねぇ、うちも厳しいんだよ。まあ今日はもう帰りなさい。また何かあれば話は聞くから」
「そう、ですか…。お時間を取らせてしまって申し訳ありません」
お父さん、契約取れなかったんだ
また場面が変わってあの上司の顔が映った
「何度も言ってるが、契約を取れないなら帰ってこなくていい。すみませんすみませんと謝ってもしょうがないだろうに。そんな暇があるなら契約を取って来たまえ」
お父さんの心情が伝わってくる
悲しさと、私を守りたいって気持ち
そしてまた場面が切り変わって今度はさっきの会社の前に立っていた
「ここで契約が取れなきゃ俺は終わりだ…。もう後がない」
思いつめたように会社内に入ってアポを取る
すぐに場面が変わってこの会社の社員と思われるお父さんより若い人が席に座っていた
「効率が数倍に上がるねぇ…。そうは言っても当社では最新のものを使ってますしねぇ。はっきり言えばいらないんですよ」
「で、でも、これは従来のものとは出力も消費電力も改善されていまして!」
「ああ、ああ、そう言うのいいから、帰ってよおっさん。今時そんな古いの売れないっての。なんなの? おっさんの頭が古いからそんなことも分かんないのかなぁ?」
お父さんの悲しみが伝わってくると同時に悔しさがにじんできた
そして私は怒りがこみあげて来る
お父さんはずっと私のために頑張ってた。そんなことも知らずにぬくぬくと生きて来た自分に腹が立った
場面が変わる
今度は風の吹きつけるどこかの廃ビルの屋上に立っているみたい
そこから地面を見下ろすお父さん
「ごめんな理子。父さん頑張ったけどダメだったよ。お前を残すのは心残りだけど、こんな俺が育てるより、施設の方が幸せになれるよな?」
「違うよお父さん! 私の幸せは、お父さんと一緒にいることだよ!?」
伝わるはずのない叫びを意味なく叫んで訴える
その時だった
「汝言の葉を紡げ。伝えよ思いを」
その声はどこまでも響き渡りそうな女性の声だった
その声が、私にお父さんに言葉を告げろって言ってる
だから私は叫んだ
「お父さん死なないで!」
ただその一言だけだったけど、お父さんはキョロキョロと辺りを見回して不思議そうな顔をしている
そして今まさに足をかけていた柵から足を引いて、ため息をつくと屋上から階段で降りていった
気が付くと私はお父さんが営業に来ていた会社の前に立っていた
「どうしたの理子ちゃん?」
柏木さんが私の顔を覗き込んでいる
「ボーっとしちゃって、大丈夫? 気分でも悪いの?」
「う、ううん。あの、いったん家に戻ってもいいかな?」
「え? 家に? お父さんを探すんじゃないの?」
「ううん、大丈夫だと思うから」
「へ? 大丈夫って何が? だってお父さんの命の危機なんだろう?」
「大丈夫。きっともう大丈夫」
三人は訳も分からず私と一緒に家に帰ってくれた
玄関を開くと、お父さんが出迎えてくれて、いきなり抱き着いてきた
「ごめん! ごめんな理子!」
「お、お父さん!?」
「俺はもう少しでお前を置いて行ってしまうところだった。俺にはお前が何より大切なのに!」
お父さんは今日あの会社で色々言われ、さらに契約も取れなかったためクビになるのは確実だった
だから、自殺を考えたみたい
でもなぜか廃ビル屋上の柵に足をかけたところで、私の声が聞こえた気がして思いとどまったと打ち明けてくれた
「父さんな、会社を辞めてこの土地で新しい職を探すことにしたよ。見つかるまで苦労をかけるかもしれないけど…」
「大丈夫だよお父さん。私もバイトでもしてお金を稼ぐ。貧乏だっいい。お父さんと一緒にいたい」
私はお父さんと抱きしめ合った
三人には感謝してる
この三人がいなきゃ私はここまでの行動を起こせなかったと思う
私はこの小さな町で暮らしている
友達と学校に通い、楽しく過ごせてると思う
生活は切り詰めて欲張ったり無理をしない
最近お父さんは新しい職を見つけた
小さな会社の事務職だけど、段々と慣れて来たみたいで今では楽しそうに私に仕事の様子を語ってくれる
トイレのかみさまはあれ以来噂を聞かないけど、三組の三島さんは有名なオカルト雑誌に自分の心霊写真が載ったとかで大喜びしていたらしい
相変わらず誰にも予言の内容は話していないけど、予言があった日からはいつもどこか楽しそうだったって言うから、きっといい予言だったんじゃないかしら
結局トイレのかみさまって何者なんだろう?
予言は絶対じゃないってことは分かったし、未来は変えれるものなんだってかみさまが教えてくれた
だから私は今のこの幸せをかみしめて、一瞬一瞬を大切に生きて行こうと思うの
それを気づかせてくれた神様、いえ、紙様には感謝してる
ありがとう紙様!
「ほらね、乗り越えた」
「まぁ乗り越えられる者にしか試練は与えないよ私」
「ふふん、そう言ってあの子を助けてあげたかったんだろう君は」
「う、うるさいわね! 私の勝手でしょ!」
「まあそれも自由さ。ここは君の世界だからね。そこに生きる者をどうするかは君次第さ」
男性と少女が語らう
少女は予言を与え、試練を与える
男性はその少女を見て満足そうに笑った
「これからも君の世界作りを観察させてもらうよ」
「あんまり見て欲しくはないけど、それがあなたの仕事だもんね」
神はいる