トレーニング開始
優しく吹く風が頬を撫でる。
まるで頭を撫でられた感触に、誰かの姿を思い出しハッと目を開けた。
パチパチと瞳を瞬かせ見たのは、クラヴィクスの執務室のソファー。
ここで寝ることに慣れてしまえば、不摂生間違いなしだし、何よりクラヴィクスに悪い。
体を起こし机がある方を見ると、クラヴィクスの他に数人、机の前に立っている姿が見えた。
声を掛けようとしたものの、その前にクラヴィクスが気が付いたようで、一斉に振り返ってきた。
振り向いた数人は、1人を除き皆ガタイがそれなりに良く、急に見られた緊張感で体を強ばらせる。
ただその一人がルッツだと気が付きパッと表情を明るくさせた。
「ルッツさん!」
「や、由良ちゃん」
ヒラヒラと手を振り近付いてきたルッツは、由良の頭をポンと叩き白い歯を見せるように笑顔を見せた。
「俺、クラヴィクスと一緒に由良ちゃんのトレーニングすることになったから宜しく」
「トレーニング……」
「元々歩けなかった訳じゃないだろ?」
ルッツの問いかけに頷くと、うんうんと嬉しそうに頷いている。
「ならすぐ歩けるようになるさ。トレーニングの場所はここ。まあ、簡単なストレッチとかだよ。クラヴィクスが体調見ながらやってくれるから」
「無理をさせない監視のようなものだ。あと、お前が幼いフォンツァに手を出さないか……だな」
「確かに由良ちゃん可愛いから……って、いやいや!出さないよ!?」
ノリの良さが仇となっているのか、机の前に立っている他の人達の、ルッツを見る表情が楽し気だ。
「へぇ、ルッツ君がねぇ」
「ち、違いますよ!カーリッツ様!」
手を顎に当て、楽しそうに笑うカーリッツと呼ばれた人は、ひとしきり笑った後、由良に近付いてきた。
この室内の中で、クラヴィクスと同等の痩せ型で、ロマンスグレーの髪と優しそうな表情が特徴的だ。
紳士的……とはこう言ったことだろうか。
仕立ての良いシャツとジャケットは、日本の装いに似ている。
「私の名はカーリッツ・ホフマン。この街の領主をしている」
スッと手をお腹に当て、軽くお辞儀をしたカーリッツはニコリと微笑んだ。
その姿に続いた3人の衛兵が同じように挨拶をする。
「ランクス・ザイフェルト。対魔法使いの部隊長です」
「ハーロルト・レオン。対魔物部隊長です」
「タフィー・ローレンツ。対人間部隊長です」
軽くお辞儀をされ、名前を言われ焦るものの、小説を読んで培ってきた記憶力は健在のようで、ペコリとお辞儀をする。
「カーリッツさん、ランクスさん、ハーロルトさん、タフィーさんですね。私は由良…片山由良です。宜しくお願いします」
頭を上げて四人を見ると、不思議そうな顔で由良を見ている。
まさか名前を間違えた!?……と考えていると、感動した!!と叫ばれ驚く。
「一回で名前を呼ばれたぞ!?最後まで俺の名前を覚えていない奴だっていたのに!!」
ガッ!と両手を握りキラキラと瞳を輝かせているのは、対魔物部隊長と言っていたハーロルトだ。
茶色の髪の毛を振り乱し喜ぶ姿に、無邪気に喜ぶノルの姿を思い出し微笑む。
やはり馴染みのない名前は覚えにくいようで、名前を覚えていない、中々出てこない、間違えて覚えられる……覚えられた頃にはさようならが、この世界での常識だったらしい。
だから喜んでいるんだとルッツから教えられた。
「他にも直ぐに名前を覚えてくれた人もいたけど、もう随分前だし……俺らの名前を覚えてくれる人なんて現れないかと思ったよ」
ニッコリと微笑むのはタフィー・ローレンツ。
海外の俳優にこんな人がいたような……と思えるくらい、眩しい金髪と爽やかな笑顔だ。
その二人を戒めて由良から遠ざけてくれたのは、対魔法使い部隊長のランクス・ザイフェルト。
黒の髪色と黒の瞳に日本人を思い出し親近感を覚える。
「由良様。2人がすみません……」
「いえ!ありがとうございます」
3人のバランスが上手く取れているようで、普段から仲が良いんだろうなと読み取れる。
そんな姿を不快に思う筈もないが、約1名、騒がしさにイライラとしているようで、不穏な空気を感じ執務室の奥を見る。
机で不機嫌そうにサインをしているのは、この部屋の主クラヴィクスだった。
「挨拶が済んだら出て行け」
衛兵はともかく、領主にも何て物言いだとも思うが、領主は気にしない性格なのか笑って謝っている。
「悪いなクラヴィクス。また寄らせてもらう」
では……と帰る領主達を目線で見送り、部屋に残ったルッツとクラヴィクスを見る。
「先にルッツのトレーニング。後に体調を見る。問題が無ければ午後からはこの国についてまた教えよう」
「さーて、じゃあ開始しますか」
「はい。宜しくお願いします!」
こうして由良のトレーニングが始まっていく。
トレーニングの最中に息を切らし、クラヴィクスがため息を吐きつつも体調を見てくれるのは、僅か数十分後の事だった。




