魔物
遠くで呼び掛けてくる声が聞こえる。
段々と近付いてきた声は、何度も鳴る雑音により離れていった。
***
ハッと目覚める。魘されていたのか、呼吸が上手く出来ない。
クラヴィクスが言っていたように深呼吸をして息を整える。
そして回りを見回し、ここがクラヴィクスの執務室のソファーだと理解した。
ソファーがふかふかで大きいと、こんなに寝やすいのか…とポフポフ叩いていると、何をしてるんだ?と怪訝な声が前方から聞こえてきた。
「へ、あ……ひゃっ!」
ここがクラヴィクスの執務室なのだから、クラヴィクスがいるのは当然で、ただ無防備にソファーを弄っていたために悲鳴を上げる。
「ふむ、先ほどよりは女性らしいか…」
頷きながら近付いてくるクラヴィクスは、由良の額に手を当てじっと見つめる。
端整な顔立ちに近付かれ心臓が高鳴るが、額に当てられる手はやはり気持ちが良く頬を緩める。
「全く……君は少し危機感を持ちなさい。熱と疲労があるようだ。後でディアナにスープを用意させよう」
「額に手を当てただけで疲労もわかるんですか?」
「ああ、君の世界では手を当てるのは、ある程度の熱を計る時だけらしいな。私の場合は額に手を当て、魔力で心身の状態を見ている」
元よりこんな芸当が出来るのは、クラヴィクスを初めとした最高位の魔法使いくらいのようで、街には医者がいるし、風邪薬なども売っているらしい。
「休めと言いたいところだが、今後の予定については話しておきたい」
「あ、はい!よろしくお願いします!」
姿勢を直し聞く体勢を取ると、満足そうに頷き話し始めた。
「君は他のフォンツァよりも弱い。よって、先に体の調子を整えることを優先させよう」
フワリと飛んできた書類には、薬を飲む回数から、この世界についての勉強が必要なこと。
それに薬を飲んだ後に行うトレーニング方法が書かれている。
「歩けない状態では何かあった時に対処が出来ぬ。君を守りはするが、最後に守れるのは自分自身の力だと思う。さらわれて殺されるより、一応余命で死ぬ方が良いだろう?」
そのためのトレーニングだと言われ、この世界の人達…クラヴィクスやルッツやディアナが、自身のことを考えていてくれているのだと嬉しく思うが、余命で死ぬとなっても少々怖い。
「……頑張ります」
「程ほどに。私の預かり知らぬ所で倒れても知らん」
ブルーの瞳が迷惑はかけるなよと言っているようで何度も頷く。
「クラヴィクスさんは以前にもフォンツァと出会ったんですか?」
「何度かある。見付けた者が世話をすることも多いゆえ、話しただけの者もいるが……」
「そうなんですね……あ……」
ふと、執務室の窓から見える光景に、わぁ…と声を洩らした。
「ん?ああ、あそこは王宮の庭だ」
小説やおとぎ話に出てくるような、貴族御用達の庭園のようで、感嘆の声を洩らしていると、クラヴィクスのため息が聞こえてきた。
「行きたいのか?」
「はい。あ、でも、あそこは目標にします」
「目標?」
「……歩く目標です」
些細な願いだけど、行きたいと願った場所に自分の足で歩いて行きたい。
照れた笑みを浮かべると、クラヴィクスの表情が微かに和らいだ。
「なら、努力してみなさい」
由良の前に近付いてきたクラヴィクスは、ポンと由良頭を一度叩いた。
突然の行動に目を丸くさせていると、同時に由良の体にゾワリと寒気が走る。
「噴水……?」
落ちた噴水のイメージと黒く蠢く謎の物体。
一体これは……と考えていると、街の方から警笛の音が聞こえてきた。
「魔物か?」
スッと由良から離れたクラヴィクスは、窓から辛うじて見える街の様子を眺めている。
そうして由良をチラリと見る。
「君は今、噴水と言ったな?」
「噴水が……壊れて……」
両手を胸の前で握り締めている由良の表情は堅い。
一瞬考え込んだクラヴィクスは、由良の手を取った。
「ふむ、やはり君は面白いフォンツァだ。体調に支障は無いようにする。一緒に来い」
由良の了承も得ずに言い終わると同時にまたお姫様抱っこの体勢を取る。
「ひっ!」
「……」
女性らしさもない悲鳴に冷めた目を向けてくる。
その視線から逃れるように身を縮こまらせ、クラヴィクスに身を預けた。
***
由良が落ちた噴水まで辿り着くと、クラヴィクスは素早く魔法を唱え始めた。
「……?」
その場から半径2メートル以内に、青みがかったドーム状の膜が張られていく。
「これは害ある物から守る結界だ。敵には手出し出来ないだろう」
結界の中心……とは言っても地面だけれど、そのまま座らされる。
結界の説明以上は何も言ってくれない現状に、疑問ばかりが頭に浮かぶ。
取り敢えず今は何を……と問い掛けようとしたものの、ガラガラガラとレンガが崩れ落ちる音がし視線を移す。
「え、えぇ!?」
噴水に蠢いているのは、RPGに出てくるようなスライム状の生き物。
形状の気持ち悪さに、思わずクラヴィクスの袖を握ろうと手を伸ばすが、スッと距離を取られてしまった。
ハッと由良を見たクラヴィクスは、眉間に皺を寄せ由良の頭をポンと叩いた。
「この世界には魔物が出る。まあ、あれはすぐに退治されるだろう」
じっと前を見据えるクラヴィクスの視線を追うと、魔物に剣を向けている騎士達を発見した。
「あれはこの土地に住まう領主が用意した衛兵だ」
「衛兵……あ、じゃあ魔物討伐の隊ですか?」
クラヴィクスお手製の教科書で教えてもらったことを思い出す。
「ああ、魔物にはそれぞれ苦手な属性や武器がある。この近辺に出る魔物なら、何が苦手かはデータに残っている」
だから直ぐに片付く。そう言ったクラヴィクスは、何か気になる点があるのか噴水を見た。
「しかし……あの魔物では噴水を壊せないだろう」
「どうしてですか?」
「あれは人に絡み付き、締め付けることを得意とする」
体は伸びないから、噴水のような大きさの物に絡み付いて壊すこともない。
しかし、レンガを壊した場面にいたのは紛れもなくあの魔物だ。
面白い……と呟くクラヴィクスに苦笑いを見せた由良は、噴水辺りを見て小首を傾げた。
「……クラヴィクスさん」
今度は袖を握ろうとせず声をかける。
視線を寄越してきたのを確認し、ゆっくりと噴水に指を指した。
「あの水……おかしくないですか?」
「水?」
噴水を支えているレンガは壊れ、水が溢れていく。
ただ、水は地面を流れた後、衛兵達の背後に回ろうとしている。
ハッと気付いたクラヴィクスが、結界から出て魔法を唱え出す。
地面に手をつくと、地面から氷柱のような物が水に向かって一直線に走る。
水はこれで固まるのかな?と思っていたが、まるで意思を持ったように水が氷を避け出した。
「っ!」
地球では見たことのない光景に声を詰まらせる。
寒気がするのは、クラヴィクスが出した氷のせいではなく、気持ち悪いスライム状の魔物でもなく、あの水から感じていたのだと漸く思い立った。
気配を消すのが上手かったのか、衛兵達も気付かなかったようで、口々に驚きの声を上げている。
「落ち着け。……悪意ある者よ、姿を現せ」
クラヴィクスの落ち着いた声色が、辺りの衛兵の心を落ち着かせる。
それは由良もそうで、落ち着けと言われると、深呼吸を思い出しゆっくりと息を整える。
ギュルルルル……と水らしからぬ音を出した後、うねうねと動き出した。
「ミ、ミズ……」
ヘビのようでもあるが、印象的には巨大なミミズに思える。
あれが本物のミミズなら、卒倒する自信があるなと思っていると、うねうね動いていたミミズのような魔物は、一直線に由良に向かってくる。
「ひゃぁぁぁ!」
そのまま突進してくる!と身を縮こまらせていると、ドォン!と壁に激突するような音をさせパタリと倒れた。
何が起こったのか分からず泣いていると、クラヴィクスが傍に寄ってきた。
「敵に手出しは出来ないと言っただろう」
なのに何故そんなに怖がっているのだ?と心底不思議そうに尋ねられ、余計にボロボロと涙が溢れていく。
「だって、こわ、怖くてっ、足だって、動かないし!」
逃げようと思っても足が動かず怖かった。
ヒックヒックとしゃっくりを上げ、泣いている姿に驚いたのか、ギョッと目を丸くさせている。
「……いや、こちらの配慮が足りなかったようだ」
ため息を吐いたクラヴィクスは、由良の頭を一度撫でソッと上を向かせた。
「……悪かった」
ポソリと呟く雰囲気を見るに、普段あまり謝り慣れていないのだと容易に分かる。
強くて頭も良さそうなのに不器用…とプッと吹き出すと、不服そうに顔を歪めている。
「謝って笑われるとは思わなかった。泣いたり笑ったり忙しいな君は」
ふ、と僅かに表情を和らげるクラヴィクスを、至近距離で目の当たりにしてしまうのは心臓に悪い。
何せ、見た時から整い過ぎてる顔だと思っていた。
男性に慣れていない由良は、ゆっくりと体を遠ざけ、クラヴィクスから距離を取る。
その様子を不審がったクラヴィクスは、由良の腕を取り、もう片方の手を額に当てた。
「……ふむ」
思案する顔を向けたクラヴィクスを見たのを最後に、由良はまた意識を手放した。




