名前を呼んで
クラヴィクスの言葉に背中がゾクリと震えた。
それはつまり、今でも読んだ全ての禁忌の術を覚えている……と言うことだ。
突然の告白に驚きクラヴィクスを見ていると、頭を1度ポンッと叩かれた。
今日は距離感が近くて何だが心臓が痛い。
「心配するな。父がいなくなった後、支えてくれた前国王やバルクやルッツに顔向け出来ぬようなことはしない」
嘘は言っていなさそうな真の籠った声に頷いていたものの、続いて発せられた言葉に驚愕してしまう。
「ただ、君やバルクの身に危険が迫れば、私は躊躇なく使う」
「だ、ダメですよ!バルクさんはともかくとして、私がピンチになって死んだとしても、かーしゃの所に行くだけですから!」
死ぬのは怖いけれど、魂はかーしゃが回収してくれる。
そう思ってクラヴィクスに言ったけれど、クラヴィクスの真剣な瞳に言葉が詰まる。
「それが嫌なのだと言ったら?」
不機嫌になるわけでも、眉間に皺を寄せるでもなく、ただ真剣に見つめてくるクラヴィクスに耐えきれず、えっと……と俯く。
見られると恥ずかしくなってくる中で、好きな人に見つめられ、心臓がドンドン痛くなってくるのは致し方の無いことだ。
まごまごしていると、クラヴィクスの深く長いため息が聞こえてきた。
「恵梨の言った通りだな」
「先生……ですか?」
先生もクラヴィクスに片思いをしていた。
だから2人の距離は他の人より近くに感じて、心の奥が不安で一杯になっていく。
何を言われたのか。どうして今思い出すのか。
聞きたいけれど、望まない答えが返ってきたら……と思うと動けない。
熱かった頬は、急激に冷えていく。
高鳴っていた心臓は嘘のように静かだ。
「君は、もう少し周りに目を向けてみなさい」
「向けてない、ですかね?」
「ああ、少なくとも恵梨よりは向けていない」
先生のことは好きだけど、比べられると悔しくて堪らない。
ムッとした表情を向けると、クラヴィクスの眉間に皺が寄る。
「……ほら、やっぱり先生の方が……」
「恵梨がどうかしたか?」
「どうして先生は呼ぶのに……私の名前は呼んでくれないんですか……?」
言った瞬間、自身の失言に気が付きクラヴィクスを見る。
クラヴィクスの表情も、珍しいことに驚いた表情で……かなりの失言をしてしまったようだと思えた。
これはただの醜い嫉妬だ。
付き合ってもいないのに……と、恥ずかしさで一杯になる。
恥ずかしさを隠すように、失礼します!と叫びソファーから立ち上がろうとしたものの、隣に座っているクラヴィクスが由良の腕を掴み、立ち上がれない。
「クラヴィクスさん、その……違うんです……」
「………由良」
戸惑いがちに名前を呼ばれ、一気に体温が上昇していく。
心臓が高鳴り続け息が苦しい。
何で呼んでくれるのか。
どうして腕を掴まれているのか。
呆然とクラヴィクスを見ると、由良をじっと見つめていた。
自分の発言のせいだけれど、何が何だか頭の中がパンクしてしまう。
「やっぱり……」
「……?」
「やっぱり名前呼ばなくていいです!!!!」
大声に顔を顰め、腕から手を離したクラヴィクスから急ぎ離れる。
「ごめんなさい……失礼します!!」
今は変な言葉を口走りそうだと、クラヴィクスの制止も振り切り執務室から逃げる。
全力疾走で廊下を走るのは危ないと分かっていても、止まることなく客間まで走っていった。
だから、由良の大声に驚き執務室に入ったルッツとディアナが、クラヴィクスから事情を聞き爆笑していたのは知るよしもなかった。
***
***
翌日キッチンで、行きたい……行きたくない……とぶつぶつと呟いていた由良を、痺れを切らしたシェフが紅茶セットを手渡し、無理矢理執務室へと連れていかれた。
執務室前で肩をポンと叩き去っていくシェフを呆然と眺めつつも、ここまで来たら行くしかない……と意を決して扉をノックした。
短い返事の後に恐る恐る室内に入ると、いつも通り仕事をしているクラヴィクスの姿があり、ホッと胸を撫で下ろす。
「シェフが用意してくれました」
「そうか。なら頂こう。それと………」
そこで言い淀んだクラヴィクスは、口元に手を当て何やら考え込んでいる。
「……君は今日休みで良い。私とルッツは会議がある。何かあれば会議室に来てくれ」
名前を呼ばれなかった安心と少しの寂しさ。
でもそれは自分が呼ばないでと頼んだせいでもある……と、はい!と大きく返事をして、紅茶だけ机に置き執務室を後にし、1度客間に戻る。
「由良様。本日は……」
「会議らしいよ。何かあれば会議室にって」
「そうですか……なら、街に出ませんか?詰所近くなんですが、美味しいと評判のお店があるようです」
「行く!」
詰所が近いなら安心だ。
他のメイドにディアナと出かけることと、念の為クラヴィクスとルッツに知らせておいてもらえるよう頼み、街へと繰り出した。
「良く考えればディアナとだけって初めてかも?」
「あ、そうですね」
「なんだか楽しみ!」
「あまりはしゃぎ過ぎないで下さいね」
いつもは誰かしらがいる中で、ディアナとお出掛け出来るのが何だかワクワクしてくる。
ディアナの呆れた顔に頷き目的の店に入る。
詰所の真ん前のお店はパンの専門店らしく、入った瞬間香ばしい良い匂いに頬を緩ませた。
テイクアウトの他に店内でも食べられるらしく、ディアナが頼んでくれるとの言葉に甘え、比較的空いていた為に店内のテーブル席に座る。
すると隣から視線を感じチラリと見る。
「あ、ハーロルトさん」
「……やべぇ感動しそう……」
隣の席に座っていたのは対魔物部隊長のハーロルト・レオン。
手で顔を覆い震える光景に心配したものの、ガッ!と両手を握られ、ひっ!と悲鳴を漏らす。
「まだ!名前を!覚えてくれていた!!」
「……え?」
「……はっ、取り乱した……ごめん!」
由良の強張った表情に気が付いたのか、直ぐに手を離し謝っている。
その姿が初めて自己紹介をされた時に感じた、犬のような雰囲気で思わず笑ってしまう。
「失態を犯した俺を笑って許すとは……ありがとうございます!!」
尻尾を振って近付き、怒られてしょんぼり。
そしてまた尻尾を振って喜ぶ姿が、本当にノルそっくりで思わず頭をポンポンと撫でてしまう。
「……フォンツァに撫でられた……ありがたき幸せ……」
ハーロルトも戦いから離れると特殊な人物らしい。
フォンツァを崇める時は丁寧語になるのが何だか面白い。
苦笑いを見せていると、注文を終えたディアナがやってきた。
「ハーロルト様。お久しぶりです」
「ああ、ディアナさん。お久しぶりです」
「今日は非番ですか?」
「いや、休憩を取ったら戻ろうと思って……あ、そうだ!」
何かを思い出したかのように由良とディアナを見たハーロルトは、こそっと内緒話をするように近付いてきた。
「まだ未確認なんだけど、近頃森の方が騒がしく……もしかしたらまた魔物が降りてくるかも」
「えっ?」
「一応パトロールに行った部隊からはまだ異常は知らされてない。だから何とも言えないんだけど……いや、俺の気のせいかもしれないし、信じなくても良いんだけどさ」
難しい顔で唸るハーロルトは今さっきは変な人みたいだったけれど、戦いの中では率先して敵を倒し、部下を守り……と凄い活躍を見せていた。
そんなハーロルトが心配しているのなら、警戒しておくに超したことはないのでは?と思える。
「ハーロルトさんを信じます」
「……」
ニッコリと微笑みそう言うと、1度目を瞬かせたハーロルトは、また手で顔を覆った。
「俺、幸せすぎてヤバイ……!!」
「……えっと?」
「由良様。放って置きましょう」
近付こうとすると、ディアナに止められてしまった。
フォンツァの崇拝者は色んな人がいるようだ。




