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TRPGを作ろう  作者: 宮沢弘
第六章: 補遺
36/39

「不屈」はなぜスキルではないのかとその他

 “Primary Special と Secondary Special” において、「『不屈』はスキルではない」というようなことを書きました。ここに質問をいただいたので。


 システムによっては、スキルを持っていればそれを使った行為は自動成功するというものもあります。とはいえ、そうでないものの方が多いでしょう。ここが問題です。「不屈」がスキルであるなら、それは失敗する可能性があるということです。「不屈」というものは、そう簡単に失敗してかまわない性質のものでしょうか?


GM: 「君は〜に失敗した」

PL: 「不屈で判定する」

GM: 「それも失敗した。君は挫折した」


 なんかおかしいですよね。あるいはこういうのはどうでしょうか?


GM: 「君は〜に失敗した」

PL: 「不屈で判定する」

GM: 「それは成功。ところで不屈の意思を燃やそうとしていた時に、後から敵

  NPCの攻撃を受けた」

PL: 「避ける」

GM: 「君は不屈の意思を燃やそうとしているのに精一杯だ。君は攻撃を受け、

  HP 0になった」


 やっぱりなんかおかしいです。


 なぜおかしいのでしょう? 答えは簡単で、「不屈」をスキルにしているからです。つまり「不屈」はスキルではないということになります。

 では、「不屈」やそれに類するようなものはなんなのでしょうか。よく使われる用語としては、 “Gift” となります。 “Gift” でも失敗する可能性があるシステムはありますが、スキルよりは格段に失敗しにくくなっているのが普通です。あんがい、そもそも “Gift” は失敗しないとしているものもすくなくないというか、そっちが主流だと思います。

 そういう分類みたいなものがあるなら、素直にそれを使うのがいいでしょう。


 では、なぜ、「不屈」などがスキルと設定されるということが起きるのでしょうか。これは単純に、そもそもTRPGを知らないからとしか考えられません。まぁ、なにがしかを知ってはいるかもしれませんが、その知識を扱えるほどには知らないのかもしれません。


 不屈とは話が変わりますが、欧米のTRPGには、日本のTRPGに見られるステージ制はまずありません。ルール・ブックを読めばわかるかと思いますが、そもそもステージ制などというどうでもいいものを必要だとは考えていません。似たようなものが必要なら、シナリオの進展において情報を管理すればいいだけですので。ですので、シナリオの作り方の解説が充実しているものも少なくありません。ステージ制よりもはるかに役立つ内容が書かれています。その状態で、ステージ制を導入する利点はなにもありません。ですから、ステージ制などないわけです。日本のTRPG業界は、すくなくともその点においては自縄自縛になっていると言えるでしょう。


 ついでに。「ポスト・ホロコースト」というものを謳っていたTRPGやその他のものがありました/あります。世界観と合わせてこのジャンル名を考えると、とても奇妙な話になります。

 「ホロコースト」は、広義に解釈するなら「特定の迫害者による特定の対象に対するジェノサイド」となります (これ自体おかしな言葉になっていますが、こう書いた方がわかりやすだろうとの判断によるものですのでご了承ください)。

 似た言葉に「ポスト・アポカリプス」というものがあります。「アポカリプス」は「黙示」あるいは「黙示録」、あるいは「ヨハネの黙示録」であり、またそこに描かれている「善と悪の最終戦争」あるいはそれに類似したものです。

 そこから「黙示録級」という言葉も生まれています。つまり、地球全域を焼き付くすような戦争です。ですので、「ポスト・アポカリプス」は「黙示録級の最終戦争以後」という意味や内容となります。

 ジャンルとして「ポスト・アポカリプス」というものの問題となるのは、「最終戦争と呼べるもの以後」であるということであって、そのためには「最終戦争と呼べる出来事」が起きていなければなりません。ですので、では「最終戦争と呼べる出来事が起きずに、文明が荒廃した場合」というのは「ポスト・アポカリプス」に該当しません。

 ならば、「最終戦争と呼べる出来事が起きずに、文明が荒廃した場合」というのはなんと呼ぶのでしょう? 正直、これという名称を聞いたことはありません。しかし、そのようなものを「ポスト・ホロコースト」と呼ぶ例は聞いたことがあります。では、そのようなものは「ポスト・ホロコースト」と呼べるのでしょうか?

 しかし、これは言葉としておかしなものです。「アポカリプス」ではないとしても、「ホロコースト」と言う限り (あるいは「ジェノサイド」であっても) 迫害者と被迫害者が明確でなければなりませんし、「闘争」はあったでしょう。「闘争」があったなら、それは「アポカリプス」に発展していたかもしれません。そしてなにより、「ポスト・ホロコースト」はすでに過ぎ去った時代か、あるいは現在からこの先も含んだ具体的な時代を、そもそも指しています。ですから「ホロコーストやその後について書いた文学や記録」は、「ポスト・ホロコースト」文学と呼べるでしょう。そして、まさにそれこそが「ポスト・ホロコースト」というジャンルであるわけです。そしてまた、現在も既にというかやはりというか、「ポスト・ホロコースト」の時代なのです。

 しかし、「黙示録級の破壊がないままに文明が衰退した」状態を指す言葉ではありませんし、ありえません。


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