1 チェクスの町
完全な調和な世界などありえない。
不穏とは無縁なこの町も、きっと誰かは悲鳴をあげているのだろう。
その誰かを見つけ、支え認めて、そして愛することができたなら――・・・。
僕達は、君を憎まずに生きていけるのだろうか。
□■□■
何度目かの朝を迎える。
この平和なチェクスの町の朝は、今日も清々しいものだ。
窓から差し込む日の光が、トキの頬を照らす。
彼は起き上がり、一つ伸びをする。
いつもと同じ朝だが、彼にとっては特別な朝だ。
今日は、彼のレッド就任一日目の朝である。
緊張と不安と期待に胸を躍らせ、いつもよりも少し早い目覚めだった。
トキは起き上がると、左手の甲に付いている自分のアビストーンを見つめた。
アビストーンはチェクスに住む魔法使いが魔法を発動するために必要な魔法石だ。
このアビストーンが魔法使いたちの強さそのものとなる。
トキはアビストーンの備わる自分の左手の甲をぐっと握り締め、すぅっと息を吸い込む。
「・・・よし」
心の準備を整え、外出の支度をする。
今日からレッドの一員だ。
支度を終えたトキは少し早めに自宅を出る。
今日のチェクスの天気は、まるでトキを応援付けるかのような清々しいほどの晴天だった。
電車までの道を歩くと、既に起床している町の人が各々に作業をしていた。
その中の、ガーデニングを楽しんでいた主婦二人がトキに声をかける。
「あれ、トキくんおはよう。ついに今日がレッド初日?」
最初に声をかけてきたのはアクテラストの女性だ。アクテラストは水魔法を主として用いる魔族で、その特性を活かし庭の花に水をあげていた。
「はい、そうです。」
トキは笑顔でそう返事をすると、次はプランテリカの女性がトキの背中を左手でドンと叩いてくる。
「ちょっと、トキくん。いつの間にそんなに他人行儀になっちゃったの?昔小さかった頃はもっと甘えてきてくれたのに~」
そう言いながらプランテリカの女性はトキの背中を、次はポンポンと叩き続けた。彼女はもう片方の右手に綺麗な白い花を握りしめていた。恐らく、植物魔法を主として用いる魔族であるプランテリカの特性を活かして植える花を生成していたところだろう。といっても、プランテリカが生成する植物は観賞用であることは滅多になく、見た目は普通の植物であるが、実態は治癒や魔力向上に効果がある魔法の薬草であることが多い。この女性が持っている花もきっと販売用の薬草であろう。
「僕ももう大人ですから」
トキはそう言って、ドヤ顔を見せつける。すると二人は「まぁ」と驚いた顔をし、お互いに目を合わせたあとにっこりと微笑んだ。
「そんな生意気になったトキくんにはご褒美をあげないと」
冗談交じりにそう言ったプランテリカの女性は、手に持っていた花をトキに手渡した。
「これ、受け取って」
トキは、無理やり握らされたその花を見る。ガーベラらしき花が4つあった。
トキが不思議そうな顔をしていると、
「これはガーベラ。あなたのアビストーンに使って」
「は、はい。ありがとうございます」
実を言うと、プランテリカから花を貰ったのはこれが初めてだ。
下心などないことなど勿論分かってはいるが、少し照れてしまった。
「それより、そろそろ行かないと電車が来ちゃうんじゃないの?」
「・・・!!」
アクテラストの女性にそう指摘され、一瞬で目が覚めた。
そうだ、折角早めに家を出たのに、これでは遅刻してしまう!
「あの、本当にありがとうございます!いってきます!」
トキは大声でそう叫びながら、電車の方へ駆け足で向かっていった。
振り返ると、二人が笑顔で手を振りながら見送ってくれていた。
「・・・なんとか、間に合ったっ!!」
トキは、息を弾ませながら電車にギリギリ乗り込んだ。
そしてそのまま近くの座席に腰をかける。
ただでさえ人口の少ないチェクスの町では、この通勤・通学時間でも電車はあまり混まない。
そのため、席が空いていない時というのは今まで経験したことがない。
しかし、今日は4月1日。ということもあり、今まで電車通学していなかった小学生が電車通学しなければならない中学校へ通い始めるため、今日は心なしかいつもより学生が多くいるように感じた。
「お兄さん、息切らしてるけど大丈夫?」
少し馬鹿にした口調で唐突に話しかけられた。
隣の席の男子だ。制服に身を包んでいる。中学生に見えるが・・・この制服はファルタスト学園高等部の制服である。高校生か。
話しかけてきた男子高校生の横に座っている女子と男子も、トキを見ながらクスクス笑っている。その二人も同じくファルタスト学園高等部の制服を身につけている。
「あぁ・・・大丈夫」
トキがまだ息が上がったままヘラっとした笑い顔を見せると、三人は「大丈夫には見えない」とまた笑い出した。
こいつら、完全に大人を馬鹿にしてる。19歳のトキは恐らく多くても3~4歳しか離れていないが、列記とした大人である。こうやって年上を馬鹿にするような餓鬼にはキツく言っておかなければならない。
「あのなぁ、お前ら俺のこと馬鹿にしてるかもしれないけど・・・っ、俺は!今日からレッドの一員なんだぞ!馬鹿にしてるとっ、痛い目みるぞ!!」
顔を真っ赤にして、汗をかきながら息を切らして精一杯出したその言葉は、彼らに届くどころかむしろ笑いの種と成り果ててしまった。
「まじか!こんなんでもレッドになれるのかよ!」
彼らは腹を抱えて大笑いしている。彼らの笑い声に釣られた周囲の人達も、クスクスと笑い始めた。
「お、お前ら馬鹿にするな!!」
トキは照れ隠しにそう叫び、隣に座った男子高校生の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「おい、やめろって~」と、またふざけた口調で男子高校生は笑いながら言う。
「お兄さん、名前なんていうの?」
そんな中、男子高校生の隣に座っていた女子高校生がトキにそう尋ねる。
トキは、男子高校生の頭を撫でる手を止め、「俺はトキだよ。」と自己紹介した。
すると、自然に手前の男子高校生が「俺はアルト」と自己紹介した。
そのまま続けて、「私はアコ」と名乗り、最後の男子高校生も「俺はシグレだよ」と名乗った。
「じゃあトキ、サインちょうだいよ!トキが超有名なレッドになったら俺ら周りに自慢してやるからさ!」
アルトと名乗った少年は、そう言いながら自分の鞄の中から油性ペンを取り出し、「はい」とトキに渡した。
「おい、いきなり呼び捨てかよ。しかも上から目線だな。・・・で、どこに書けばいいんだ?」
トキがそう言うと、アルトはう~んと声を出して悩み始める。
「そうだなぁ・・・。トキは何の魔族なんだ?」
「俺はアクテラストだよ」
トキがそう答えると、三人は「おおお~~!!」と目を輝かせてトキを見つめてきた。
「トキ、あの二大戦闘魔族と言われる種族の内の一つであるアクテラストだったなんて・・・凄すぎる・・・」
先程まで馬鹿にしてきていた三人がいきなり尊敬の目でトキを見つめてきた。少々動揺が隠せない。
トキ「ま、まぁな?」とドヤ顔で言うと、「ま、どうせその中でも雑魚だろうけどな」とアルトがぼそっと呟く。結局嘗められていた事に変わりはなかったようだ。
再びアルトの頭をわしゃわしゃと撫でる。三人はまた大笑いし、電車の中は笑いに包まれた。
「じゃあ、俺の水魔法の教科書にサインしてよ」
アルトはそう言って、水魔法の授業に用いる教科書の背面をトキに出す。
「俺、トキみたいにレッドになれるぐらい強くなってみせるから」
アルトは真っ直ぐな瞳でトキを見つめ、そう言った。それを見た残りの二人も、同様に水魔法の教科書の背面を向けた。
「・・・参ったな、しょうがない、書いてやるよ」
トキは、三人に嬉しさと照れくささがバレないようにわざと強がった口調でそう言い、彼らの教科書に即興で作ったサインを丁寧に書いた。
それから数分後、「次はファルタスト学園前駅~」という車内アナウンスが聞こえてきた。
「じゃ、アルト。俺ら次で降りるから。頑張れよ」
アルトがそう言ってトキの肩を叩く。
「あ、待って。ちょっと・・・」
トキはそう言いながら、鞄の中に手を入れ何かを探している。その様子を三人は不思議そうに見つめていた。
トキはすぐに「あった」と言い、鞄から花を取り出した。先程プランテリカの主婦に貰ったガーベラである。
三人は「綺麗・・・」と言いながらそのガーベラをじっと見つめる。
「お前らその新しい制服見る限り、高等部の新入生なんだろ?お前らも頑張れよ。このガーベラ、使うと魔法攻撃のダメージがちょっと減るんだ。まぁ、まだ高校生だし襲われたり戦闘させられることはないだろうけど・・・おまじないってことで。左手出して」
トキがそう言うと、三人は黙ってアビストーンの備わる左手の甲をトキに出した。
アビストーンは16歳以上の中等部卒業程度魔法使いが入手することができるため、中等部卒業と同時に左手の甲に付与される。そのため、彼らのアビストーンはまだ一切の傷も濁りもない新品だった。
そんな新品を迷わずトキに委ねるということは、それなりに信用されているんだろう。
トキは、先程貰った4本のガーベラのうち3本を持ち、彼らのアビストーンにそれぞれ近づける。
すると、途端にガーベラから魔力が放出し、彼らのアビストーンに吸収され、そのままガーベラは消滅した。
「す、すごい・・・!」
アコはそう言いながら、その神秘的な瞬間に目を奪われていた。
男子二人はじっとその一部始終を見つめていた。
トキは、三人が子供のようにはしゃぐ姿を想像していたが、実際は静かにその瞬間を味わうように食い入っていたことに驚いた。彼らも根は大人なのかもしれない。
そうこうしていると、電車がファルタスト学園前駅に到着し、停止した。
「ほら、お前ら着いたぞ」
吸収が終わっても尚アビストーンを見続けていた彼らは、トキの声を聞いてハッとして立ち上がった。
そして、「トキ、ありがとうな」と言いながら、三人は電車を降りていった。
「・・・よし、俺も使うか」
トキはガーベラをくれたプランテリカの主婦の女性への有り難みを噛み締めながら、ガーベラの花を自らのアビストーンに近づけた。