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枢機卿猊下の湯 (前)

(御入浴における注意事項)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれません。

・入浴マナーは守りましょう。番頭さんを怒らせると大変なことになります。

・湯船に入られる前には、かけ湯をするようお願い致します。

「うむ、ここがマツノーユか」

「聖典の記述は本物でしたな」


 二人組が何やら興奮した声で喋っている。


「我々はついに伝説の地に足を踏み入れたのだ」

「誠に喜ばしいことです猊下」


 一人はオークだ。

 いや種族は人間なのだろう。ただ余りにも太っている上に、鼻先が反り返っていた。


 もう一人はちょび髭の小男。

 常に揉み手しながらオークの機嫌を伺っている腰巾着だ。


 二人は古びた冊子を広げながら、玄関をうろついている。

 狸の置物や壁に掛けられた掛け軸や提灯を眺め、ああでもないこうでもないと賑やかだ。


「すまねえな若旦那」


 三人目の客――サジがそう言って番頭台を訪れる。

 マツノーユの常連の一人で、異世界ではベテランの冒険者をやっている男だ。


 どうやら彼の手引きで、あの二人組はここを訪れたらしい。


「御新規さんはありがてえんだが、一体どこの誰なんで?」

「ここだけの話、教会のお偉いさんらしい」


 サジによれば、事の経緯は冒険者組合(ギルド)の仕事なのだという。

『マツノーユの情報を求む』という依頼があり、引き受けたところ、彼らがやってきた。根掘り葉掘り聞かれた挙句、連れていく事になったそうだ。


「どうせ懸賞金に目が眩んで喋っちまったんだろ?」

「う」


 サジは言葉に詰まり目を彷徨わせた。

 図星のようだ。


「まあ、その、なんだ……今度奢るからさ、じゃっ!」


 サジはそれだけ言うと、暖簾の向こう側にそそくさと逃げてしまった。

 そういえば逃げ足の速さが自慢だと言っていたのを思い出す。


「ったくしょうがない人だねえ。……それにしてもあの冊子」


 若旦那は、二人組に目を向けながら呟いた。

 彼らが熱心に開いている冊子――『聖典』とやらにはどこか見覚えがあった。


「昔、作ったパンフレットに似ていますね」と番頭さん。

「ああ成程」


 思い出した。

 あれは確か、先代である祖父が作ったものだ。

 松の湯の客集めの為、作成し、商店街の客にまいていた記憶がある。

 それが何故、異世界で聖典扱いされているのか。


「おい若旦那といったか」

「何でしょう?」


 オークが声をかけてくる。

 どうやら玄関周りの見物は終わったようだ。

 彼は黒い外套の下には、赤い布に金の刺繍が施された法衣のようなものを身につけていた。

 小男から猊下と呼ばれているところからも、本当に教会のお偉いさんのようだ。


「貴君、ここの管理人だそうだな」

「ええ」

「よし案内いたせい」


 無論それは構わない。

 時間があれば、初めての異世界人(きゃく)に連れ添って施設を説明して回る。

 松の湯では当然のサービスだ。

 だがその前に必要な手続きがあるのを忘れて貰っては困る。


「旦那方、二名様で宜しかったですかね?」

「見て分からんか」


 憮然とした顔で小男が言った。


「では()()()として百四十G頂きます」


 無論、お布施というのは方便だ。

 教会関係者は金の支払いをよく渋る。

 また入浴料などと言うと揉め事になりやすいので、クレーム回避にこの言葉を使う事にしていた。

 だが――。


「我々から寄進を求めるつもりか?」


 オークが驚いた顔で訊いてくる。

 勿論だ。お代を頂かなければ、意地でもこの先を通すつもりはない。

 背後で番頭さんが拳を鳴らす音が聞こえる以上、尚更である。


「この儂はすうききょう……むぐぐ!」

「わっ猊下、お待ち下さいっ!」


 オークの口が、腰巾着によって塞がれた。

 肩車するような二人の格好がコミカルで少し面白い。


「お忘れですか。本日はお忍びです」

「むぐぐ」


 そうであるならば敬称も止めたほうがいいのではないだろうか。

 腰巾着に説得されて、オークは「そうであったな」と大人しくなった。

 外套の乱れを直しながら取り繕うように咳払いをする。


「よし助祭、代わりに支払ってやれ」

「えっ私がですか」


 腰巾着が驚きの顔を向ける。

 だがオークはすでに男湯に向かって歩き出しており、見向きもしていない。

 間髪入れずに番頭さんが「毎度ありがとうございます」とにこにこ顔で詰め寄る。


 払わないと怖いことになるからね?



 さて教会は厄介だ。

 それは金銭の出し渋りだけが問題ではない。


 彼らにとって、何故かこのマツノーユは聖地とかパワースポット的な位置付けにあるらしい。

 故に巡礼者が訪れては、我が物顔で振る舞う事があり、過去何度か面倒ごとが起きていたのだ。


「おいこの部屋はなんだ?」

「聖典によれはコウイシツという場所のようです」


 オークがあれこれと尋ねると、小男が聖典――パンフレットを開きながら返事をする。

 正直、案内いらなくね?


 横から盗み見ると、冊子の文章はすべてこの世界ではない文字に書き換えられていた。

 祖父は御近所だけでは飽き足らず、異世界にもばら撒いていたらしい。

 余計な真似をしたものだ。


「おい。この無数に扉がついた棚はなんだ?」

「恐らく祭壇ではないかと」


 うん、ロッカーだね。


「この小さななかに神を祀るのか。無数にある理由は何だ?」

「使用者の崇拝する神を祀るのではないでしょうか?」


 新しい発想だね。

 でも祀らないでね。


「我らが神と、異教の神とを同じ場所に祀るのか? けしからん!」


 オークがまたヒートアップし始める。

 このまま黙っているわけにもいかないので、若旦那は仕事をすることにした。


「旦那方、ここは脱いだ衣類や荷物をしまう場所だよ」

「何っ、服を脱げというのか。聞いてないぞ」


 何にでも噛みついてくるおっさんである。


「裸にならないと湯にはつかれないからね」


 入浴マナー以前の問題だ。


「裸になるなどとは破廉恥な。よもやここは男女が入り乱れるような邪教のサバトではあるまいな」

「猊下、興奮するとお体に障ります」


 興奮のあまり全身を真っ赤にし、呼吸を乱すオーク。

 それをなだめる小男。


「うちは男女別。混浴じゃあないんで」

「……なんだそうなのか」


 オークは意気消沈する。何で少し残念そうなのだろうか。

 代金をもらった以上、彼らはお客さん。

 最後まで面倒を見るつもりだがここまで面倒臭いのは、どこかの姫騎士以来だ。

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