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魔女見習いの湯 (中)


「……え?」


 どれくらい経ったのだろうか。

 記憶が曖昧だ。昏倒と薄い覚醒を何度も繰り返した気がする。

 今ははっきりと意識が戻っていた。


 起き上がる。起きあがることができる。

 手探りで近くにあった眼鏡を見つけ、かける。


 いつもの研究所だ。

 ハレイナは机から崩れ落ちるような形で、床に倒れそのまま意識を失ったらしい。


「……ふむ?」


 おでこに手を当てると、熱はすっかり下がっていた。


 それから白衣と外套の裾をがめくり確認してみると、手足は無事。

 ハレイナが罹患したのは間違いなく黒霧病だったが、爪の先すら黒化していない。

 体にはまだ倦怠感が残っていたが、どこにも痛みを感じない。


「つまりあの病状から生還した……? ……でもどうやって?」


 ハレイナは首を傾げる。


 教会の奇蹟でしか治療できないはずの不治の病が、どうやって改善されたのか。

 これは大変に興味深い事象だ。

 是非、次の研究課題にしてみたい。まずは心当たりのある出来事を列挙してひとつひとつ検証して……。


 だが思考に入りかけたところで「ぐう」と腹が鳴った。

 そういえば喉も乾いている。

 研究よりも何よりもまず栄養補給が優先だった。



「さてさて」


 食料を求めて、地下研究室を出る。

 ここにきてようやく地上にある象牙の塔がもぬけの殻だと知った。

 どの施設にも人気はない。ひそひそ話が好きな研究員も、不機嫌で嫌みが取り柄の教授もどこにも見かけない。


 彼女は知らなかった。

 知らされていなかった。

 地上の研究室で扱っていた献体が逃げ出したこと、それが人喰い蚤であること、地上の研究者たちは既に全員避難しており、象牙の塔は彼女以外誰もいなかったこと、ハレイナはただ巻き添いを食い、罹患した事実を。


 ただ知ったところで彼女は文句のひとつも零さなかっただろう。

 ただ困った顔をしながら、再発の防止をお願いしますと進言したに違いない。

 彼女はそういう性格なのだ。


「他人がいないと歩きやすいなあ」


 ハレイナは鼻歌をうたいながら探索を続け、他の研究室を漁る事にした。

 結果、パンと葡萄酒を獲得する。

 更に貯蔵庫から霊薬を見つけ出し、それも拝借した。


「大漁大漁」


 食料を食べながら地下に戻ると、足元でふよふよと動く物体が待っていた。


「おや君かね」

「プ」


 水槽から外に出した同居人だ。


 同居人は、ハレイナの足にまとわりついて何かを催促していた。

 お腹が空いるようだ。

 寝込む前に一度、餌をやったきりなのを思い出す。


「ほらあなたはこっちをお食べ」

「ププ」


 専用の食事――黴の生えたチーズやパンを差し出した。

 すると彼はおずおずと近づいて、手に覆いかぶさり、もぞもぞ消化し始める。


 人によっては眉をしかめる光景だが、ハレイナは彼の存在や生態を可愛らしく思う。

 非常に和む微笑まい存在である。


 彼は魔物。

 ブルースライムだ。

 弾力を持った粘液状生物で、湿った場所を好む習性がある。

 よくダンジョンに生息しており、冒険者たちと対立する場面も多いが、こちらから手を出さない限り人を襲う事はない。


 スライムは強酸性や強い毒を帯びる亜種もいるがブルースライムは基本人畜無害だ。

 最初は実験動物のつもりで捕獲したのだが、妙に愛着がわいてしまい、今や同居人と化していた。


 自分が意識を失っている最中、看病してくれたのはこの子に違いない。


「助けてくれてありがとね」

「プ」



 食事を終え、ようやく人心地ついた。

 そして自分の身体がひどく匂うことに気がついた。


 寝食を忘れ、何日も研究に没頭した挙句、病気で何日も寝込んだので、仕方がない。

 身体を洗いたいと思った。

 だがまだ病み上がりには早すぎるだろう。


「もう一眠りしたら銭湯に行こう」

「プ」


 霊薬を飲みきり、着替えて、寝台に横になった。

 起床後、すっかり身体の調子は戻っていた。


「これなら大丈夫だね」

「プ」


 早速、自分用の風呂桶に替えの下着とタオルを入れると、寝台の位置を動かした。

 下に敷いていた絨毯を引き剥がすと、現れたのは掠れかけた魔法陣だ。

 前の持ち主である空間魔術の研究者が残した遺産で、行きつけのマツノーユに通じる入り口だった。



「いらっしゃい」


 暖簾を潜ると、いつもの第一声に迎えられる。

 番頭台には若旦那がいた。


「ハレのお嬢さん久し振りだね」

「少し……病気を……」


 目を伏せてボソボソ挨拶を返す。

 情けないことに人と言葉を交わすのが久しぶり過ぎて言葉が出てこない。


「そいつは大変だ」

「でも今は……元気……です」


 若旦那はにっこりと笑って「そいつは良かった」と頷いていた。

 なんでもない事だったが、ちゃんと会話をした。

 それだけで何だか少し嬉しい気持ちになり、元気が出てきた。


「魔女見習一名……タオルはあります……」

「へい。じゃあ五十Gね」


 タオルと手拭いは無料貸出してくれる。だが、持ち込みだと割引が適用されるのだ。

 これは常連でも意外に知らないことだ。


「あ……やっぱり二名で……」


 ハレイナはある事に気づいて訂正し直す。

 そう告げたのは、風呂桶からひょっこり同居人が顔を出したからだ。


「もう」

「プ」


 いつの間にか潜り込んでいたらしい。

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