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薬売りの湯 (後)

 黒死の霧に襲われ、訪れた村村はどこも廃村と化した。

 薬を買えなかった者たちも、買えた者たちも誰も彼もが倒れた。

 疫病に殺されたのだ。


 ここにきてようやくドラクロワは自分が売っていたものが所詮、滋養薬でしかない事を思い知った。

 飲めば少なからず予防効果があるだろうと高をくくっていた。

 だが病の前には、ただの塵屑同然だった。


 そしてドラクロアは死んだ者たちに、責め立てるように追いかけまわされた。

 現実の話だ。

 これこそが黒死の病の本当の恐ろしさ。

 魔物をより凶暴化させ、人々を死に追いやった末、屍鬼グール骸骨兵スケルトンなどのアンデッドモンスターに変えてしまう病だった。

 それはさながら地獄のような光景だった。


 死に物狂いでその場から逃げた。

 飲まず食わずで何里も駆け、途中いくつかの集落に出くわしたが、どこもかしこも墓場同然となっていた。


 最後にだとりついた村はまだ無事だった。

 すでに黒死の霧に侵されている者たちもいたが、それでも健康な者たちも残っていたのだ。

 彼らは村や家族を捨てることができず、だがそれでも必死で生き延びようとしていた。


 故にドラクロワが薬を持っていると知るや、村民はそれを強く求めた。

 無論、ドラクロアは説明した。ただの滋養薬でしかない事。病の前には無力である事を何度も。


 だが無駄だ。

 村民は「金などいくらでも出す」「だから売れ」「さあ出せ」「さもなくば殺す」「殺せ」そう言って農具を武器に脅してきた。

 疫病の恐怖は、彼らを狂気に駆り立てていた。


 ドラクロアはありったけの薬をばらまき、彼らがそれに群がっている隙に逃げた。

 私財を投入しただけではなく借金までして仕入れた薬だった。

 だが命を奪われるよりはましだと思った。


 おかげで破産寸前だ。

 手元に残ったのは自分の命と――

 洗い場で石鹸の泡に包まれ羊のようになって笑っているあの子供だけ。


 これを大損と言わずしてなんと言うべきだろう。



 風呂から上がったドラクロアは、ぼんやりしながらいつもの場所に向かった。

 乾燥機椅子(ドライヤーチェア)だ。

 革張りの椅子に(メット)を括りつけてある一見珍妙な代物である椅子が、これがドラクロアのお気に入りだった。


『十円』というこちらの世界の銅貨を二枚入れるだけで、兜から温風が吹き出してたちまち頭部の毛を乾かしてくれる仕組みだ。


 猫人族にとって毛並みは非常に重要なステータスだ。

 簡単言えば湿ってぺっしょりしている奴は不細工でださく、ふわふわもこもしている奴は美しく格好いい。

 ドラクロアはどちらかと言えば、湿気を吸いやすい毛並みの持ち主だ。

 そんな彼でもこの椅子のおかげで丁度いい案配のふわふわのもこもこになる事ができた。

 素晴らしい道具である。



「これでよし」


 ドライヤーで乾かし終わると、未だにバスタオルと格闘している子供を見つける。

 頑張ってはいるが所詮は子供だ。背中も頭も全然拭けていない。


「びしょびしょはみっともないにゃ。身体くらいちゃんと拭けるようになるにゃ」


 このまま放っておいて風邪でもひかれたら、品質が落ちる。

 バスタオルを奪い取ると代わりにごしごし拭いてやることにした。

 嬉しそうに目を細めて拭かれるままになる子供。


「……」


 ドラクロワはこの子供と出会った時のことを思い出す。


 あの日、あの廃村で、彼は絶望していた。

 結果的に誰一人として助けることができなかった事実に打ちのめされていた。


 金さえ儲かればそれでいい。薬を売りつけた者たちの健康が、命がどうであろうが興味がない。

 常々そう思って商売をしていたはずなのに居直る事ができず、自らを呪っていた。


 気がつくと元村人の屍者グールに追われながら、必死で村を駆けずり回っていた。

 誰か生きている人間を一人でも探そうとしたのだ。


 そして見つけた。

 子供はある家の暖炉のなかに隠れていた。

 最初に見つけた時、それは黒ずみの固まりのような生き物だった。

 煤まみれになった子供だ。


 その足下には、村じゅうからかき集めてきたらしい見覚えのある滋養薬の包み紙が散らばっていた。

 何日もドラクロアの滋養薬だけで食いつなぎ、生き延びていたのだ。


「拭けたにゃ」


 今や、子供は見違えたようになっていた。

 人間だったので毛並みはなくつるつるとしていたが、頭部にある栗色の長い髪の毛だけはなかなかのふわふわ具合だ。


「さっさと服を着るのにゃ」

「あい」

「自分で着るにゃぞ?」

「あい」


 子供は悪戦苦闘の末、上着を後ろ前反対に身につけると、「きれた」と嬉しそうに報告してきた。



 松の湯から古井戸に戻ってくると、すでに夕暮れ時。

 橙色に染まった小道を歩き、ひとまず宿へと戻る事にした。


 歩きながらドラクロアは次の商売について考える。

 果たしてこれから何を売り歩くべきか。


 噂ではお隣の『風見鶏の国』では、武器が飛ぶように売れているそうだ。

 黒死の霧の影響のせいで、狂暴化した魔物による被害が広がり、組合が懸賞金を出したらしい。

 冒険者だけではなく、軍まで派遣されるという焦臭い噂も飛び交っている。


 ならば先を読んで、彼らに傷薬や非常食を売り込むのはどうだろう。

 組合にいる伝手を探してみるか。


「ねこちゃん」

「ドラクロア様と呼ぶにゃ」


 ドラクロアの肩の上にいる子供が話しかけてくる。


「これ、あまくておいしいね」

「当然だにゃ。風呂上がりのコーヒーギュウニュウは格別なのにゃ」


 いい加減、この子供の事も考えないといけない。 

 奴隷商に売りつけて簡単に金に変える事も出来た。


 だが手に入れた品に何もせずに売るのは馬鹿の仕事だ。

 右から左に流すだけでは大した儲けなど得られるわけがない、というのがドラクロアの持論だ。


 幸いこの子供は頭が良さそうだ。

 器量も悪くない。

 だから身ぎれいにさせて、商売についてのいろはを仕込んだ上でやれば、ドラクロアの商売に色々と役立つに違いないと考えている。

 

「道中、黒死の霧の病に効果のありそうな薬を探してみるのもいいかもにゃ」

「いいかもにゃ」


 そう簡単には見つかるとは思えない。だが見つからないとも限らない。

 案外、大樹海のエルフか、象牙の塔の魔導師辺りが持っているかもしれない。

 道中、尋ねてみるのも手だろう。


「何れにせよ食い扶持が二人になったから稼がないとにゃあ」

「とにゃあ」


 こうしてドラクロアはあらん限りの悪知恵を働かせ、次の商売の算段を組み立てる。

 頭の上の重みを感じながら。

薬売りの湯 了

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