薬売りの湯 (中)
前回、おかしな投稿の仕方をしてましたので訂正しました(9/7)。
「えーと、いつもながらの立派な風情に関心していたところですにゃ」
「左様ですか」
「勿論そうですにゃ」
誤魔化してみたが、しっかり相手の耳に入ってしまっていた。
証拠に番頭がもの凄い眼力でこちらを睨んでいる。
彼女が道中で食わした山賊の類かなにかであれば、ドラクロアは一目散に逃げ出しているだろう気迫である。
だがドラクロアも商人のはしくれ。
商売が終わるまで気圧されるわけにはいかなかった。
「ようドラヒゲの」
「若だんにゃ」
丁度良いところに、暖簾を潜って別の人物がやってきた。
手拭いを頭に巻いた作務衣姿の男。若旦那である。
竹箒を持っているところwl見ると外掃除をしていたようだ。
「ま、毎度どうもですにゃ。頼まれたブツをお持ちしたのにゃ」
「おうそうか悪いな」
「ちっ」
ドラクロアはを取り繕う為、早速、商談に入る。
近くで舌打ちが聞こえてきたが気にせず、背負っていた風呂敷包みを下ろした。
なかの荷を彼に恭しく差し出す。
「今回、品質には自信があるにゃ」
「へえどれどれ」
「若旦那なら匂いでわかるにゃ?」
「悪い品じゃあなさそうだ。在庫も尽きかけてたんで助かったよ」
若旦那は包みの品に鼻を近づけながら、そう言う。
注文の品は、銭湯の薬湯に使われている生薬だ。
疫病騒動の影響で、素材が市場に出回らず、手に入れる為に苦労していた。
「で幾らだい?」
「えーとこんなですかにゃ」
ドラクロアは取り出した算盤を弾いて金額を算出。
それを若旦那に差し出した。
彼にとっても悪い額ではない。今回は儲けを考えずに絞りに絞った値段だ。
「うーん」
だが若旦那は眉間に皺を寄せ、不満気な態度を見せてくる。
「うちとしては、これくらいじゃないと買えねえな」
「にゃっ?」
彼が横から算盤をいじり提示した額に、愕然とする。
これでは仕入れ値にすら届かないではないか。
「いやいや若旦那、いくら何でもそれはないのにゃ」
「いやあでもよ、御覧の通りうちはしけた銭湯だから金がなくてね」
「ぎゃふんっ」
どうやら先程の陰口が彼にもしっかり聞かれていたようだ。
「頼むにゃあ若旦那」
「あんだよ」
「このままだとわし路頭に迷っちゃうのにゃあ」
「おいおい暑苦しいから近寄るなっての」
「殺生にゃあ。かんべんにゃあ」
ドラクロアはにこにこ笑みを無理矢理作り、揉み手に土下座、垂れ擦り寄り、五体投地。
商人として体得したあらん限りの技を尽くす。
取り敢えずここは拝み倒すしかなかった。
若旦那はやがて「仕方ないねえ」と大げさに溜息をついてみせた。
それからこちらの要求通りの代金を渡してくれる。
「有難うにゃあ。毎度ありにゃ」
「ちっ」
ドラクロアはほっとすると、札束をささっと数え、すぐに風呂敷包みのなかに突っ込んだ。
金勘定をもたもたするのは三流の仕事。
貰える銭は相手の気が変わらないうちに貰うのが商売人の秘訣ひとつだ。
どこかで舌打ちが聞こえたがあれは無視だ。
「……ところで若旦那」
「何だい?」
「ここは十歳未満はただで入浴できるのにゃ?」
「おう」
「異世界人でも問題ないのかにゃ?」
ドラクロアは背後に隠れていた小さな同行者をひっ引っ張り出す。
真っ黒に汚れた子供はおどおどとした態度で、後ろに隠れてしまった。
◆
ドラクロアは子供の手を引いて浴室に入った。
そして洗い場の前にやってくると、蛇口と石鹸の使い方を教える。
「こいつを捻るとお湯がでる。それからこいつを身体につけると泡が出て汚れが落ちるにゃ」
「あい」
すると子供は言われるままに身体を洗い始めた。
口数は少ないが、頭も要領も悪くはないようだ。
手の掛からないのは良いことだと思いながら、ドラクロアは掛け湯をして湯船へと向かった。
今回銭湯に入った目的は、煤だらけで垢まみれの子供を綺麗にすることだったが折角だから、のんびり湯に浸かるとしよう。
大きな泉程もある浴槽にはいつもの年老いた人間がいた。
常連の松爺だ。
「御老体、失礼するにゃ」
断りを入れてから湯に入る。
種族は違えど年輩への敬意を忘れてはいけない。
これが商売の秘訣だ。
周囲の心証がよくなるし、いつか媚びへつらった分だけ大きな見返りが得られるかもしれない。良いことずくめである。
「あんたあ関取取りさんかね?」
「いんや薬売りにゃ」
「そうかいそうかい。わしも昔は蝦蟇油を売って歩いたもんだよ」
松爺はよく分からない事を呟きながら頷いてくる。
この老人と会うと、いつもこの会話をするのがお約束だ。単に惚けているのかもしれない。
猫人族のなかでもかなり巨体な部類のドラクロアが、肩まで浸かるとざばーと風呂の湯が溢れかえり、外で洪水が起きた。
洗い場のほうで子供が小波にさらわれ尻餅をついていた。
にゃははと笑う。
それから浴槽の壁を背もたれにして「ふはー」と一息つくと、ようやく人心地ついた気がした。
「はあゴクラクゴクラクにゃあ」
正直、今回の行商はさんざんだった。
結果として一銅貨の得もならない旅になってしまった。
確かに疫病のおかげで薬は飛ぶように売れた。
気休め程度と知りながら、誰も彼もが争うように薬を買い求めたからだ。
だからドラクロアは何度も隣国の村々に足を運んだ。
騙しているという気はしなかった。
寧ろ自分のおかげで彼らは病を防げているのだという自負すらあった。
あちこちで喜ばれ、もてなされ、感謝された。
正直悪い気分ではなかった。
だがある日を境に商品は全く売れなくなった。
買い手たちが皆、死んだからだ。