作家というのは最後の仕事である。
作家というのは、人生最後の仕事である。
最終的に残された手段なのだ。
こう聞いた覚えがる。
一度檻の中に投獄されるも、執筆に目覚め、そこから作家となるもの。風俗の道に堕ち、一度底辺をさまよいながらも、そこから這いずり上がり先生と呼ばれる、物書きの道へとのし上がっていくもの。
さまざまな苦しき人生を過ごそうとも、最後の希望の光となる、作家稼業のおかげで、世間一般に認められる、いっぱしの人間となる。
言ってしまえば、誰にでもなれる職なのですよと、何かの書に書いてあった。
確かに、そうではる。誰でもなれる可能性を秘めている。我々日本人は幸いなことに、読み書きが誰でも出来る一定水準の教育レベルが保証されている。
他国であれば、読み書きの教養すら持ち合わせることなく、貧困を生きる人々もいるなか、その生きていくうえで必要不可欠な知恵を我々は得ている。
よって、誰でも物を書き、それを生業とするチャンスがあるのだ。
しかし、ある程度は敷居が高くもある。誰でも参加出来るが故に、その志願する母数も多く、なかなかにその機会を得られる場に躍り出るのは難しいと感じる。
だが、どの程度のフィールド、収入で活躍したいかなどを、こだわらなければ、誰にでも出来る事には出来るようになっている。
ただ、ひたすらに書いて、誰か一人でいいから読んで欲しい、誰にも読まれなくても、そこに自分の書いた想い、世界を残すことが出来るのであれば、これ幸いであり、これ以上の至福はないとさえも感じる。
作家のというのは最後の仕事である。
そう、考えることで、なんだか変に肩肘をはることもなくなり、楽に書けるようになる気がする。
書きたいように書き、面白く生きていきたいと思う。