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変化

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『それでいいの? もう終わり?』



 誰かが俺を呼ぶ声がする……。






ーーーーーードクン。





 心臓の鼓動が意識を叩く。俺に、まだ死ぬなと言っているかのように。

 脳が電気信号を体全体に送る。俺に、まだ動けるだろと激励するように。

 指先の感覚が大地を掴む。俺に、まだ諦めるなと行動で示すように。



 俺という存在全てが、俺に向かって言っていた。

『生きろ』と。






「俺はまだ……こんな所で死ねない」




 その一言がトリガーを引いた。






……タリナイ



……クワセロ……モット



……血ヲヨコセ




 曖昧な意識の中で、俺は立ち上がっていた。

 腹に突き刺さっていた木片は無理矢理に引き抜かれて、出血箇所からは滝の様に血が流れていた。



 だが、不思議なことに痛みは感じない。

 むしろ、熱いマグマの様に沸騰した血液が、外に出て冷えるみたいで気持ちが良い。



 なんだか可笑しいな、何でだろう。匂いを強く感じるんだ。獣の匂いが二つ。糞みたいな溝の匂いが一つ。そして、どこか嗅ぎ覚えのある甘い香りが一つ。



 目はまだ開いていないのに、それぞれの場所が鮮明に浮かぶ。彼女は今、盗賊の前で泣きながら伏している。その前に山狼が二匹、牙を唸らせて座って待っている。



 頭はちゃんと醒めているのに、意識が宙ぶらりんだ。拳に力は入るのに、馬鹿みたいに体が軽い。可笑しいな。



 頭に誰かが囁くんだ。殺せ、ころせ、コロセって。



 憎悪より、悪意より、怒りより、悲しみより、絶望より、何より。



 殺意が心の底から泉みたいに湧き出て止まらない。

 殺意の渦がクルクル回って心に広がる。

 殺意に身を任せたらこの身は楽になるんだな。

 ああ、俺は俺じゃなくなるんだだだだた。





















 自分の存在が薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって薄まって。








 そして、限りなくゼロにまで薄まった小さな自分を誰かが美味しそうに飲み込んだ。



 俺は誰かの血肉となって、体の一部に成り代わる。

代わりの誰かは、心の中から食い破り、外に出れたと歓喜の声を上げた。自分と他の誰かの心が混ざり合って溶け合って一つのものに変わっていく。体が別の生き物に変化していくが、生きる為の進化だ。人ならざる者の雄叫びが、虚空に向かって響き渡った。



 轟音よりも大きな怒号。

 その一言が、周りの全てを震撼させる。獣は喚き、男は叫んだ。



「な、なんだアイツ……死んだんじゃないのか? こ、殺せ! アイツを今すぐ殺すんだ!」

「ガルルルァ!」



 おいおい、人を勝手に殺すんじゃねーよ。俺はまだまだピンピンしてるぜ?さっきよりも体が軽くてむしろ具合が良いくらいなんだ。



 主人の命令に従って、目標を噛み砕かんとばかりに襲ってきた。



 どうしてだ? さっきまで化け物に見えていた者たちが、今は子犬にしか見えてこない。小さな折れかけの牙に、柔らかそうな肉。コイツらはそれに気付いていないのか?



 一度、分からせてやる必要があるな。



 一歩、たった一本だけ前へ進んだ。それだけで二匹の子犬は動けない。ガタガタ震えて縮こまっている。



 どちらが上か、獣は瞬時に悟ったのだ。

 捕食者が、捕食される側になったこと。その恐怖に気付き、恐れ慄いているのだ。



 遠くの方から、男の叫ぶ声がする。

 何だ? コイツらに命令でもしてるのか?だけど無駄だよ、もう勝負は決しているんだ。



 親が子供に近づく様に、愛情を持って優しく歩み寄る様に。



 俺は二匹の動けないでいる子犬の頭を撫でた後、柔い首を引き千切った。



 声は出なかったよ、一瞬で終わらせたから。

 でも、少しだけ、痛そうな顔はしていたな。できるだけ苦しまないように殺してあげたんだけど、加減が上手く調整できなかった。



 赤い血の薔薇が辺りに飛び散って、絵の具の汚水がシャワーみたいに降り注ぐ。



 顔に掛かる血を舐めると、口の中で蕩けて消えた。

もう一口、今度は口の中で溶けて消えた。美味い、野性味溢れる粗雑な味だが、味わい深く食欲を唆る。



「ば、化け物っ!」

「何が?」



 腰を抜かした男がそう言うので、俺は問い返した。

だってそうだろ?行っている意味が分からない。



 人を散々殺しまくって。

 人を散々おもちゃにして。

 人を人だと思っていない奴が。



「誰に向かって化け物と言っているんだ?」

「ヒ、ヒィィィい!」



 俺は更に近づいた。あと少し、あと少しでこの男を殺セル。落ち着け、我慢シロ。メインディシュは味合ワナイトナ。クルシメテクルシメテコロソウ。



 目と鼻の先、そこまで近づいた瞬間に、固まっていた男が急に動いた。



「と、止まれぇ! こ、これ以上動くなら、コイツを殺すぞ! 本気だからな!」



 男は、腰に差していた剣を気絶して倒れていたエレナの首筋に当てた。



 真っ白な肌に、血で濡れている剣が今にも食い込みそうになっている。エレナの片手には、ボロボロに破れたウサギのぬいぐるみが握られていた。その姿を見ただけで、心の奥にいた小さな自分がざわついた。



 落ち着けよ、コイツのはハッタリだ、決してできやしないさ。そうした瞬間に、俺がコイツの頭を跳ね飛ばすことが本人にも分かっているから、そうはしない。要は痩せ我慢だ。



 それでもと、心の自分が大きくなろうともがき苦しむ。



「今は良いところなんだから、黙って見てろよ」



 心の自分を押さえつけ、檻の中に放り込んだ。放り込まれた相手は、細く弱った両腕でここから出せとせがんでいる。



「なあ、ヤレるものならやってみてくれよ。 俺もお前の覚悟が見たいんだ」

「な、何だと! 本気だって言ってるだろ!」

「早くしろよ、俺は待てない性分なんだ」



 男は更にパニックに陥り、剣を持つ手が震えて止まらない。その姿が滑稽で可笑しくて面白くて、……飽きてしまった。



「お前、もう良いや」



 自分の出せる限界の速さで、男の持つ手ごと握り込んだ。腐りかけの肉を掴むように腕はひしゃげて、俺の指はあっという間に男の骨に到達した。



 少し、ほんの少しだけ力を加えてみると、骨は粉々に砕けて腕は握り潰れて、男の片手はりんご大の大きさに凝縮される。



 ジューサーで搾り取るみたいに、指の隙間から赤い果実の蜜が流れて、下を通って口から体内に流れた。



「ダメだ、最低の味だ……。これなら下水道の水の方がまだマシだなコレ」

「ウギャアナィヌダァ!」

「おいおい、変な声出すなって、エレナが起きてしまうだろ? 」

「痛い痛い痛い痛いぃ! 俺の、俺の腕がぁ!」

「腕の一本や二本で騒がしい奴だな」



 味の方はともかく、この男も言っていた通り人の泣き叫ぶ声は最高だ。耳に染み渡るような絶叫。上質のクラシックを目の前で演奏してもらってるみたいだ。



 男は声にならない叫びを上げて、片手を庇いながら這うように逃げ出した。顔は痛みと苦しみと恐怖が入り混じっていて、涙と鼻水で芸術作品を作り出している。



「し、死にたくないぃ……」

「人質の次は逃亡かよ……ホントつまんねぇな」

「ああ……あぁぁ!」

「ほら、あんよが上手、あんよが上手ってな」



 自分の血で濡れた地面を這い回り、少しでも出口へ、出口へと這い寄る盗賊。だが、片手が握りつぶされていて、そこから流れる血液が、男の体力を奪っていった。



 少しずつ動きが緩慢になる。それが面白くない。どうせならこの男には地獄を見せてやりたいんだ。ならどうするのが面白いか考えた。



「取り敢えず、片足いってみようか」

「うげっ!」



 這いずる片足を踏みつけて逃さないようにしてから、俺は両手でできる限りの優しさを込めて残った片足を引き剥がした。



 愛する者を慈しむように、愛でるように、できるだけゆっくり、長い間苦しめるように肉を引っ張る。プチ、プチ、と筋繊維が断裂する音がして、その後にメリメリと中の骨にヒビが入る。



 人が手羽先を食べる際に、軟骨の辺りを引き千切って中の肉を食べる時と同じ状態にした。肉と骨を裂き切ると、骨髄が流れ出して、ドロドロのシチューに見えなくもない。



 常人なら等に死んでしまう傷。

 だが、片手片足の盗賊は、奇跡的な事に生きていた。天の神が与えた祝福なる延命か、それとも地獄の閻魔からの苦しみを与える為の延命か。盗賊は死にたくても死に切れないでいた。



「本当はあと二本あるんだけど、仕方がないな……」



 痙攣している男の首筋に手を当て、デザートにスプーンを入れるみたく指を入れていく。寒天よりも弾力の無い肉の中に、自分の強靭な手が少しずつ、少しずつ入り込んでいった。



 暖かい、足湯の代わりに自らの手を浸して温めている感覚がする。心と体は満たされ、悦楽に身を任せよう……。



 だが、楽しい時間はいつまでも続くことはなく、終わりを迎える時がすぐに来た。



 中指の第二関節ほどまで来た時に、盗賊の首はついにぷっつりと取れてしまったのだ。

 溢れ出る血の雫が、主人を無くした首と胴体から流れ出ては泊まりを繰り返す。



「まだまだ楽しみたい所なんだが……」



 でも、もうそれも終わりだ。時間が来てしまった。檻から奴が出てきて俺の首を絞める。落ち着けって、ほら、もう終わったんだから。



 俺も少しだけ遊び過ぎたから疲れたし、今回の所は大人しく引かせてもらう。

 だけどな、次からはなるべく俺を呼ばないようにした方がいいぜ。これは忠告だ。俺はお前だけど、お前は俺じゃない。だから、俺に頼ると自分を無くすぜ?



 言いたい事はこれだけだ。それじゃあ、またな。



 疲れ切った体は、最後の力を振り絞ってエレナの側に歩き、彼女の手を握ったまま消え、意識を無くした体は血の海の中に没した。






✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎








「ん……」

「……お父さん! レイの目が覚めたよ!」

「本当か! 良かった……」

「レイ……私だよ……エレナだよ……!」

「俺……は……何を……」



 目が覚めた最初に目にしたのは、彼女の胸。

 動かない体で抱きしめられて、息が詰まった。だが、変わらない甘い匂いが、心を落ち着かせた。



「あれから三日間、ずっと寝たままで心配したよ。 でも気が付いて良かったね」

「本当に良かった……」



 ギュッと抱きしめる力が強くなり、次第に息ができなくなっていく。嬉しいはずなのに死にそうだ。



「エ……レナ……苦しい……」

「……え? あ、ああ、ごめん// 今離すから……//」

「そんなに強く抱きしめたら、レイ君が窒息死してしまうじゃないか! ハハハ!」



 勿体無い気はしたが、二つの果実が離れていく。名残惜しくはあったが、ここは命の方が先決だ。

 頭を起こすと地面が揺れている、なるほどここは馬車の荷台の中だ。



 俺は三日間も意識を失っていたのか……。

あの時俺は……何をしたんだ……。

記憶の糸を辿ると、少しずつ、思い出してきた。



 命の危機に瀕して……別の誰かが俺を……。そして、楽しそうに彼奴らを……。



「はっ……! 傷口!」



 これだけは自分の記憶に鮮明にあった。白狼との戦いで、腹部に負った大怪我。あの傷が原因で俺は意識を失ったんだ。



「……あれ? 傷口が……ない」

「どうしたの?」

「ここに受けた傷口がないんだ!」

「……本当だ! 綺麗に無くなってる!」



 あれだけ大きな傷口だ、そう簡単に自然治癒で無くなるものではない。下手をすると、いや、下手をしないでも死んでも可笑しくない傷だったのにだ。こんなの……あり得ない。



 自分の体に次々と起こる怪奇現象に、空恐ろしく思えた。



 俺はただの記憶喪失者なだけなのか?

 それとも、何か大きな力の奔流の中に身を置いているのか。それすら何も分からないままなのだ。



「もしかしたらだけど……レイは能力者だったりして……」



 能力者……。

 あの盗賊と同じ特別な力に目覚めた者……。

 だとするなら、あの不思議な現象が起こった事にも、納得がいく。



「まあ、その辺りのこともおいおい分かるだろうし、今はゆっくり休んで良いよ」

「ああ……有り難う」



 考えるだけの体力は未だ回復しきっておらず、強烈な睡魔が襲ってきたのだ。非常に眠い……。



「……おや……すみ……」

「……おやすみ……レイ……」



 彼女の柔らかな膝の上で、俺は眠りについた。

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