心配性
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コチコチコチコチ……チクタクチクタク……。
止まることなく、休むことなく、部屋に備え付けてあるハート型の時計は時間を刻み続ける。
特にギミックがあるわけでもなく、ただデザインが気に入ったという理由だけで、エレナが半ば強引に購入した時計だ。
今まではそんなに気にしていなかったが、こうして部屋に一人きりでいると、時計の指針の音が嫌に大きく聞こえて仕方がない。
時間を確認しようとするが、時計の針を見るよりも先に部屋に差し込んでいた夕日に目が止まる。
もうすぐ切れてしまいそうな西日は、部屋に暖かさをこれまでにずっと運び続けていて、その暖がなくなってしまうこれからのことを考えると、頭の先が少し肌寒かった。
自分の他には誰もいない部屋、そして何も話さない自分。まるで世界から隔絶した場所で、自分の存在をできる限り薄めてひっそりと息を潜めて隠れているみたいだ。
一日触り慣れた布団の中も、そろそろ飽きが来つつあり、伸びを一つした後に体に力を込めてみた。
「おっ、意外と力が入るな……これならっ、何とか立てそうだ! 」
言葉通りに体は動き、若干のラグを感じさせるもまともに動けなかった午前中とは天と地ほどの差を感じさせる。
無事に立てたのはいいが、何をしようか。
今の自分に必要な物、やりたいこと……そうだな、水でも飲みたいな。
長時間寝過ぎていて、ストックとして汲んでもらっていた水も生温く、量も残り少なく心物ない。
ならば今しかない、この機を逃さず水を汲もう。
確固たる意志が固まったところで、俺は震える足を一歩前に踏み出した。
体の軋む感じと半ば不鮮明な視界、全快には遠く及ばない及び腰で開かずの扉に手をかけた。
力を込めて引き戸を横にスライドし、いつもと比べてかなりゆったり目のペースで扉は開いた。
「よし、この程度ならなんとか……うっ! 」
開け切ったところで襲い来る突然の目眩、頭が捩れて捻れて一瞬何も考えられなくなる。その瞬間を見逃さず体は全ての力を抜き支えも同時に失った。
ブレる体、しかし体制を立て直そうにも意識が朦朧としてしまって上手く足元が見えない。崩れ落ちる様をスローに感じながら俺は倒れる。
そのまま地面と抱き合う数秒前、俺の体は何か柔らかい物にぶつかって、その動きを止めた。
懐かしい匂いと、懐かしい感触。俺を支えてくれていたのはきっと……。
「ふぅ……ギリギリセーフ! もう! 病人の癖に何やってるの!? 」
「面目ない……」
「いいから、こっちに来なさい! 」
「……うい」
俺の体をしっかりと抱き留めてくれていたのは、やはりエレナだった。
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「レイは風邪引き一日目なんだよ? なのにどうして平気そうに部屋の中を彷徨いてるの! 終いには倒れそうに……ってか倒れてたし! 私が仕事を大至急で終わらせて帰ってこなかったらどうなっていたか……もっと自分の事を(以下略)」
「だって体も少しずつ調子が良くなってきてたし、喉だって乾いて……」
「それ位少し我慢していれば、私達が帰ってきてきたじゃん! 無理して病気が悪化したら逆にこっちが余計に看病しなくちゃで忙しくなるんだから! そもそもレイは病人の何たるかが分かってないんだよ! ……他にも(以下略)」
「……すみません」
ヤバい……別の意味で意識が遠退きそうだ。
エレナのオカンスキルが炸裂して、俺はさっきから布団に転がされたまま、かれこれ三十分以上は説教をされている。
確かに、女の子からここまで親身になって心配して貰えるというのは、男からすると凄まじく本望なのだ。しかし、しかしだ、それも度を過ぎると毒になる。何事にも限度がある!
頭に響く小言のエンドレスレクイエムは、ひたすら回復しかけていた俺のライフをゴリゴリと削り取っていく。
このままだと、俺の病状はストレス性の病気が併発してしまうかもしれない……ていうか、胃に穴があきそう。強引にでも会話を変えねば。
「そ、それにしても! エレナは仕事を早く終わらせてきたって言っていたけど、何の仕事だったんだ? 」
「仕事? えーっと、隣の小さな町までの品物調達だよ。街道も整備されてて道中は安全だったの。でもー、向こうの取引先が手強い店主さんで、支払額をゴネられて大変だったんだから! 」
「へ、へぇー、そいつは災難だったな」
「そうなの! しかも、準備にしても何から何までゆっくりしちゃってさー! 同じ商売人としてどうかと思っちゃった訳! 」
よ、よし! 何とか会話を俺の叱咤から逸らすことに成功したぞ! ただ、これから内容が仕事の愚痴に変わりそうなのが怖いんですけど。
「でもね、何でか知らないけれど、私がレイの事を心配だなー! 早く帰らなくちゃー! って思って『あのー、もっと早く出来ませんか? 』って笑顔で話してたら少しずつ仕事を早くしてくれて、オマケに値段も言い値より安くて良いって言ってくれたの! 凄いっしょ! 」
「き、きっと、エレナのナイススマイルに見惚れちゃったんじゃないのかな……? 」
「そうかなー?// でも、お陰で早く帰ってこれたし上々だよねー」
きっと、凄い形相だったんだろうな。取引先の店主さん、トラウマになってなきゃいいけど……。同情するぜ。
エレナのスマイルは時々凄みがある時があって、そういう時は大概にして何か憤りに近い物を持っているのだ。
叔父さんが一回、エレナが大切に取っておいたデザートを食べてしまった時は、次の日の三食全てが叔父さんの嫌いな食べ物尽くしで、泣きながら食べていた叔父さんと、料理を全て食べるまで静かに笑っていたエレナの笑顔が未だに忘れられない。
今回もきっと、同じ状況でエレナの沸点が切れちゃったんだろうな。くわばらくわばら。
「でも……心配してたのは本当。早く帰ってこれて良かった」
「お、おう! 」
でもやっぱり、女の子に心配されるっていうのは、嬉しいもんだ。
「あー、喋りすぎたら喉乾いたー! 何か飲み物でも無いかなー? 」
エレナはスックと立ち上がると軽やかなステップを踏んで、飲み物を探すが、 特に目ぼしい物が見つからないのか顔をしかめた。
「ぶー! こういう日に限って何も無いのー? ……って、ん? 何この小さい瓶? 何か入ってるけど……いいや、飲んじゃえ」
扉の向こうから何か小さな声が聞こえたきがするのだが、どうにも不安が頭を過ぎった。
今日という一日が平和に終わればそれで良いのに、神という奴は俺に七難八苦を与えたがる。
「……ヒック! 」
「ん? 」
「……ヒック! ……レーイ……//」
「どうした? ……って、え、エレナさん? 」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには何故か恍惚とした表情で服をはだけさせた彼女が立っていた。
その手には怪しげな小さな瓶が握られて、逆さになった容器から紫色の液体が床へと滴り落ちる。
ピチョン、その音が初動の始まりを告げた。




