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差し入れ

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「……リンゴでも食べる? 家から持ってきたんだけど……」

「ありがとう、お言葉に甘えて頂きます」




 俺達が二人っきりになってから早数時間、マリアは俺の為に献身的に看病をしてくれていた。

 乾いたタオルを濡らして絞り、頭の上に乗せてくれていたり、寝付けない俺の話し相手になってくれもしていた。




 彼女は口数は多くないタイプだが、彼女自身は話す事は嫌いではないみたいで、会話の種をこちらから投げ掛けると、決まって反応が返ってくるのだ。




 普段からあまり話さない風な人とここまで長く話し合うのはいつもと雰囲気が違って面白い。




 彼女は持ってきていたバスケットの中から、赤々としたまるまるリンゴと果物ナイフを取り出して、ツルツルした皮に当てがう。




 熱っぽくて喉の奥がカラカラに乾いている時に、水分のたっぷり含んだリンゴは、正に適材適所。

 シャキシャキした食感も、甘酸っぱさも、あの香りも……病気の際に食べたい果物の中で一番好きだ。




 朝は簡単な物しか食べていなくて、昼までには少し早い時分、小腹を満たすにはもってこいの提案だった。




「リンゴは消化にも良いし……ビタミンも……ある」

「何てったって病気と言ったらリンゴしか思い浮かばないよなぁ……何でだろう……」

「みんな……思う事は……同じだから……」




 彼女は、ナイフを持つ側の手を人差し指と親指でLの字をつくり、残りの指で包丁を握る。




 親指を包丁の刃に先行させて、剥こうとする皮の部分をその親指で少しずつ引き寄せながら、反対の手でリンゴを回して進めていく。




 面白いように剥けていくリンゴの皮は、一枚の赤い絨毯みたいに繋がったままで螺旋の構図を描き、マリアはリンゴから目を離したままで話し掛けた。




「レイは……聞くの忘れてた……けど、リンゴは……ウサギの方が……良かった……? 」




 不安そうにこちらを見ながらも、手は休まることなくクルクルとリンゴを回し続けていた。




「い、いや……別にそんなことはないけれど、マリアはその……リンゴを見てなくても平気なのか? 」

「……慣れてるから……平気……だよ……」




 その事だけが気掛かりで、ついつい視線がマリアの手元に吸い寄せられてしまう。




 鏡の様に自分の姿を映し出すナイフは、刃の元に近い部分を使って器用に皮と身を裁断している。

 その手付きは何とも手馴れたもので、初めは心配で仕方がなかったのに、本人が言うように、よっぽど自身があるのだろう。




 包丁を動かしていく、というよりも動かすのはリンゴで、それを包丁を持つ手の親指がサポートしている感覚で剥いている。




「結構手馴れてるけど、昔からよく剥いていたの? 」

「……昔は……よく大名剥きを……してた……」

「大名剥き? それは何なの? 」

「……秘密……」




 気になって後でエレナに聞いてみると、大名剥きとは、丸のままのリンゴの皮を剥く際に、皮の部分を意識して剥かないと皮に身が沢山付いてきてしまい剥いた所が赤ではなく身の色に染まってしまうことがある。




 贅沢のできる剥き方にも見えることから、この剥き方は大名剥きと呼ばれて、初心者がやり易いミスだということが分かった。




 この一挙手一投足には、長い間の経験が積み重なっていて、その技を今、俺は目にしているのだ。




 この分を見るに、マリアの料理スキルは今までに出会った女性の中でもピカイチかもしれない。そう思わせるお手並みを拝見していた。




 手早く進んだリンゴの皮剥きは、一連に続く赤い衣を外した黄白色の身を露わにして幕を閉じた。




 残るは軽く芯を取り除いて菱形に四等分するだけで、小さなお皿に見事な果物の花が咲く。




「……はい……剥けた……よ……」

「ありがとう……そこに置いておいてくれたら自分で食べるから」

「……ダメ……」

「いやいや、ダメって俺の分を剥いて切ってくれたんだろ? 」




 ここにきて、このリンゴは私のだから私が食べるとか、そんな意地悪は言ってこないよな……言ってこないよね? 

 もしも、そうだったとしたら、俺は軽く人間不信になってしまいそうだ。




「何で手に持った爪楊枝に刺したリンゴをこっちに剥けて構えていらっしゃるの 」

「……口を……開けて……」

「な、何で……? 」

「……じゃないと……あーんできない……から」

「しなくていいよ! 風邪って言っても流石にそれは自分で食べられるから! 」




 そんなの嬉し……じゃなかった、恥ずかしすぎる!

 この歳になってあーんは、幾ら何でも羞恥プレイに見えて仕方がない。




「……嫌……なの……? 」

「ぐっ……! その上目遣いは反則だろ……! 」

「……ダメ……? 」

「だ、ダメなものはダメなの! 俺だって子供じゃないんだから! 」

「……むぅ……」




 破壊力抜群の上目遣いは、容易く俺の心の重圧装甲に風穴を開けてしまい、危うく心臓まで貫通しかけていた。というか、脆すぎだろ俺のメンタル。




「なら……こうするしかない……もぐ……」

「どうしてお口に剥きたてのリンゴを含んでらっしゃるの……? 」

「んむむむ……」

「段々と近づいてきているのですが……口が近い近い! 」

「……んんむぅ……」

「何言ってるのか分からないけど、どうしておもむろに俺に向かって目を閉じたままで口を近付けているんですか? ねぇ?」

「んむっ……」

「ちょ、ちょっとストップ! 食べます! 食べさせて頂くので止まってください! 」




 アレ? これ何てデジャビュ?




 あの姉にしてこの妹あり。正に瓜二つの行動に思わず体がそう叫んでしまっていた。




 ピタリと止まるその口元、接触まで凡そ残り数センチにして進撃は止まり、渋々といった感じで口は遠のく。




「……惜しい……」

「何が!? 」




 揶揄われているのか、すっかり彼女にペースを握られている気がしてならないのだが、ともあれ、彼女の差し出すリンゴをここは受け入れるしかない。さもないと先程の二の舞になってしまう。




「……改めて……あーん」

「あ、あーん……美味い……」

「……良かった……」



 微妙に負けた気分で悔しいのだが、事実、風邪で弱った体にリンゴの甘酸っぱさと、しゃりしゃりした食感は絶妙だった。




 美味い、病気の時に食べるリンゴはいつもとはまた格別に美味いのだ。これは実際になってみて食べないと分からない感覚だろう。




 などと、余計なことを考えていると、横に座っていたマリアが突然重くしていた腰を上げた。

 時刻を確認して気付く、そろそろお昼時なのだ。彼女はさっき言っていた。仕事は午後から入っていると。




「……じゃあ……そろそろお店に戻らなきゃ……」

「あ、あぁ……色々とありがとう。とても助かったよ」

「……また……来てもいい……? 」




 別に構わないよと言葉を返し、彼女は何も言わずにズレていた布団をもう一度かけ直してくれた。

 部屋の入り口に歩いていく彼女の後ろ姿を見ると、少し寂しい気持ちになり、心細さを感じてしまう。




「……それじゃあ……またね……」

「……またな」




 多少はお腹も満たされたことだし、俺は少しの間だけ眠りにつくことにした。




 夢の中で今度は誰の夢を見るのだろうか。




 もしかしたら……ね。


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