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お見舞い

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 柔らかく、とても優しい香りが俺を包んでいた。




 怖かった夢の中で、暗い海を延々と泳ぎ続けていた所に、通りかかった誰かが手を差し伸べてくれているみたいな感覚。




 光が差し込んで、嫌に体に纏わりついてた黒濁とした水を俺の体を包んでくれる淡い光沢が全て残らず取り払ってくれていた。





 怖くない……。さっきまではとても辛かった筈なのに、心の中に誰がが一緒に居てくれる。

 そう思えると動かない体に喝を入れ、込められる力を全て注いでその手を握り返す。




 決して強くはない力で握り返した手を離さないようにギュッと更に握られた気がした。

 安寧が心に訪れる一瞬、誰かと繋がっていられるだけでこんなにも人は心安らかになれるものなのか。




 差し伸べられる手はこう言っていた。怖い夢は、いつか終わりを迎えるのだから。だから、何も恐れないで。





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 目を開けると、そこは変わらず寝室のままで、特に変化は感じられないように見受けられた。




 一つだけ差異があるとすれば、俺の頭が枕の上にいないということだけだろう。俺の頭は何か軟らかいクッションの上に乗せられていた。




 いや、良く見ると、視界の端に誰かの姿が影になって朧げに映り、その誰かの膝に頭が乗せられているのだ。




「……目が……覚めた……? 」

「この声……マリアか……」




 声の主は勝手知ったる、マリア・ハプスブルク。隣の喫茶店兼バーで働いているエレナの従姉妹だ。だが、それがどうしてこんな場所で俺に膝枕をしているんだ? 




 短い髪から覗くのは双眸の目。慈愛に満ちていて、病に倒れた今、彼女の顔を見ているだけで体の痛みが和らいだ気がした。




「どうして……仕事は? 」

「仕事……は、午後……から……」

「エレナに聞いたのか? 」

「……そう……心配だから……」

「……なるほど」




 一度目を閉じて、混濁しかけた頭を整理した。

 風邪を引いた俺を置いていくのがそんなに心配だったのか、エレナは仕事に向かう前にマリア達に一言入れておいたのだろう。




 お陰で、俺はこうして手厚い看病を受けている訳か。




「何も膝枕なんかしなくても……恥ずかしいって」

「でも……レイ……魘されてた……から……」

「俺が? ……何も覚えてないな」




 全く自覚の無いのだが、悪夢にでも苛まれていたのだろうか。

 俺自身、目が覚めて夢を覚えていることが少ないので、そうだったのかもしれないと納得するしかない。














「何度も小声で私の名前を呼んでた……//」

「へぇ……って……え? ま、マリアの名前を!? 」

「嬉しかった……//」




 し、知らなかった……俺は夢の中で何を見ていたんだ……マリアの夢でも見ていたのだろうか。

 意外や意外、エレナの事なんかは、出会ってから時間が長いので可能性としてはありそうなものだが、まさかマリアとは……。




「……だから……膝枕した……」

「……そ、そっか……//」




 何だこの気恥ずかしさは? 今まで意識していなかった女の子が急に気になってくるっていうアレか!?




 よくよく考えてもみれば、ここに居るのは俺とマリアの二人っきり。それもマリアは美人な部類にカテゴライズされる。これで何も感じなかった俺の方が可笑しいのだと今更ながらに気付かされる。




 動けぬ俺を上から優しく見下ろす彼女を急に一人の女性として意識してしまう。

 クルッとした睫毛に、若々しく瑞々しさを保った果実のような唇。どこを見ても何かしらのことを考えてしまって変な気になりそうだ。




 赤くなってしまう自分の顔を恨めしく思い、同時に邪な考えを捨てろと頭の中をクリアにした。




 体が動かなくて本当に良かった……。












「……今の話……嘘だけど……」

「……うん? 今なんて? 」

「……だから……さっきの話は……嘘……」

「何だって!? 」

「あんまり……本気にするから……驚いた……」




 そりゃこっちの台詞だよ! 本気で言ったのかと思って変に意識してしまったし……あぁもう! 

 というか、マリアって表情が乏しい割に洒落とか冗談言うから分かりにくいわ!




「迫真の演技過ぎて信じたよ……はぁ、ビックリした……」

「レイは……信じやすい……人なんだね……」

「まぁ……この感じから察するに、人並みにはな」

「ふふっ、レイのこと……もっと知りたいな……」




 彼女の笑う顔、こんなにリラックスして笑う彼女を見るのは初めて見た気がした。

 いつもの無表情に近い無愛想な顔とは全く違う今の彼女は、一人の女の子として、意識していなくても可愛いと感じてしまう位に魅力的だった。




 そして、不意に口から漏れてしまう本音が彼女に向かって出てしまう。




「その顔……前にも言ったかもだけど、マリアは普通に今みたいに笑ってる方が素敵だよ」

「へっ……//? 」

「いつもは変化に乏しいっていうか……こう、もっと色んな表情が見てみたいって思った」

「私の……表情……? 」

「そうそう、今みたいな口を噤んだ所とかも、いつもは絶対見られないだろ? だから、それをいつもできるようになったらきっと、もっと魅力的に見えるさ」

「……そっか……」




 マリアは今、非常に微妙な表情を形作っていた。

 喜んでいるのか、はたまた恥ずかしがっているのか。色んな感情がごっちゃになって彼女の心境をつぶさに表し続けている。




 俺の言った一言は、果たして彼女にどんな影響を与えるのだろうか。もしかしたら、もっと彼女の色んな表情を見れたりするのかもしれないし、はたまた、逆もまたあり得る。




「……でも……嫌……かな……」

「どうして? 笑ってる方が可愛いのに」

「……嫌なものは……嫌……」



 これは嘘偽りのない俺の本音だ。別に他意は無い。




 彼女はプイッと顔を背けて俺の問いに応えようとはしなかった。




 だが、最後に一言、一言だけ上手く聞き取れなかったが、彼女は何かを喋っていた気がするのだが、気の所為だろうか……。




 俺は転んで深呼吸をして、気の所為だと判断した。




「……あなた以外に……見せたくないもの……」

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