荷造り
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その日の夕方、不思議と力が湧いて止まらない俺は、積荷作業を全て終わらせることができた。
エレナと叔父さんも、それぞれ仕事を終えて、リビングにいる。聞くところによると、これからの話し合いをするそうだ。
張り詰めた雰囲気。
新参者の俺はただ席の端っこに大人しく座るだけで何も話さない。エレナは自分の座る椅子の上に手を置いて目を瞑り、叔父さんは手を組んで真剣な表情を浮かべている。
一体、何を話すのだろうか。かなり気になる……。
「……私は、そろそろ兼ねてからの計画を行うことに決めた」
「……本当なの、お父さん?」
「……ああ、本当だ。 レイくんが居てくれるから踏み切りがついたよ」
「……そっか……なら止めないよ……」
二人がこちらを見つめる。
な、何が起こるんだ。
空気が張り裂けそうだ……。
……ゴクリ。思わず生唾を飲み、心臓が脈打つスピードを早める。
「……私達は……」
「商業都市に転居します!」
「はい?」
「やったねお父さん!」
「いやー、やっと決心がついたよ! ここまでずっと迷っていたんだ!」
二人は俺の目の前で喜びに抱き合っていた。
「商都かー、人が沢山いるんだろうな!」
「話って……」
「「この事だよ!?」」
この親子……嵌めやがった。
凄く真剣な表情だったから、もっと重大な問題にでも直面したのかと……。
「商都って何なんですか?」
俺は素朴な疑問をぶつけた。
俺は記憶がない。基本的な日常動作は覚えているが、土地の名前とか人の名前などは一切のリセット状態。だから、いきなり商都と言われても全然ピンとこないのだ。
「し、知らないの? 商都なのに?」
「商業都市だよ? 商業都市!」
「し、知りません……」
「ならば、私が説明してあげましょう」
何処から取り出したのか、手には縁の四角いメガネと指し棒が。メガネを掛けて部屋の奥に貼ってあった地図の前に立つ。
さながら教師に見えなくもない。
こんな美人の教師に授業をしてもらえるのは、とても僥倖なのだろう。
それに、記憶を思い出すきっかけになるかもしれない。真面目に聞こう。
「これが現在の世界地図ですね、分かりますか?」
「分かります」
「では、この真ん中の青色の線は何でしょうか?」
「水……かな?」
「正解! この地図を中央で半分に分割しているのは大海です。大海とは、私達が住むこちら側の世界と、海を跨いだ向こう側の世界の間にある海です。 それはもう大きいです」
「真ん中ラインが海っと……」
「では、私達の方の世界の話をここから更に細かく話していきます、良いですね?」
「はい」
なんだか、教師と教え子みたいな関係だな。こっちは頭の中がスッカラカンのダメ生徒だが。
「私達の今いる場所が『村』です、人口群の最小単位です。 その次に多い人口群が『街(町)』です。その次に大きいのが『都市』で、次が『副都』とと来て、最後に一番大きいのが王都です」
えっと、大きさ順に並べていくと、『村』→『街』→『都市』→『副都』→『王都』か。
「まあ、街や都市にもピンからキリまで沢山あって、それぞれの特徴なんかもあって調べてみると面白いですね」
「商都……ってことは、これから向かうのは王都の次の次に大きい所なのか?」
「そう! だからテンションだだ上がりだよ!」
最小単位の村から、二段階上の商都への転居。
気分が高揚してしまうのも無理ないな。
俺も早く行ってみたい。人が多ければ、それだけヒントが多く集まるってことでもあるから。
「それでね、この家を売るから、エレナはレイ君に手伝って貰って部屋を片付けなさい。 今日の夜までに要るものと要らないものを分別しておくんだよ」
「分かったー!」
メガネと指示棒を素早く仕舞うと、彼女は韋駄天のごとく部屋へと消えた。
「レイ君もいってあげてくれ」
「分かりました」
俺も後を追い、エレナの部屋の前に辿り着いた。
女性の部屋だ、まずはノックしなくちゃ。
「エレナー、入っても良い?」
「どうぞー」
「お邪魔します」
初めて入る女の子の部屋。
エレナの部屋は余分なものが殆ど無く、キチンと整理整頓が概ねできていた。あるのはベッドと机くらいのもので、簡素なイメージが強い。
だが、女の子の部屋というものは、内装が本題ではない。本題は、女の子がこの空間で生活しているという一点にある。
部屋には香水などの高尚品は置かれていない筈なのに、甘い果実のような匂いで満たされていて、何もしていないのに、気恥ずかしくなった。
「ここに来て、荷物まとめるの手伝ってくれない? これをここに詰め込んで紐で縛るだけだから」
「分かった……でも、何だか恥ずかしいな」
「何が?」
キョトンと首をかしげるエレナは本当に何も意識していない。
一人で意識して舞い上がってる俺って……。
「いや、女の子の部屋に入ったが多分、初めてなんだけど、良い匂いがするなって……」
「へ? ……へぇ?//」
「変に意識しすぎたかn「嗅がないで//」
口を縫い付けるようにエレナの手が俺の口を塞ぐ。
エレナの頰があっという間に朱に染まった。
これは……意識しているのか? 俺のことを。それを意識すると……こっちも……余計に恥かしい。
二人して作業が進まずに、気不味い雰囲気で見つめ合っていた。
「あの、俺、出て行こうか?」
俺なりに考えた答えだった。
この場にいると挙動の一つ一つが気になって、気がおかしくなりそうだったのもある。
「い、いや……ここに居て……//」
出て行こうと立ち上がりかけた俺の服の袖を彼女は掴んでそう言った。
「わ、分かった……」
それから数分間、胸の高鳴りを聞かれないように、必死に鼓動の音を隠しながら作業を続けた。
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「やっと終わったー!」
荷物のまとめが終わったのは、既に日が暮れて月が登り始めた頃。仕事をやり終えた達成感か、エレナは装いの無いシンプルなベッドに腰掛けた。長い髪がベッドに広がり、赤い文様みたいだ。
「レイのお陰で早く終わったよ、ありがとね」
「俺も、エレナの色んな私物が見れて楽しかった」
「そ、それは覚えずに忘れて//」
今日見た赤面するエレナの顔と、エレナの面白い私物の数々はきっと忘れることはできないだろう。
纏めた箱を一つに集めようと動かすと、エレナが整理していた箱の中から一枚の写真たてが落ちた。
(なんだこれ……)
拾ってみると、そこに写っているのは、髪の短いエレナだった。
今のエレナを短くした感じのショートヘアで、今のエレナより少しだけ大人びた印象の写真。柔らかな微笑みが、写真に収めた者に対して送られていることがよく分かる一枚だ。こちらを向いて毅然と立っているだけの写真だったが、知らず知らずの間に魅入っていた。
「それ、私のお母さん」
「え?」
気付くと、すぐ後ろの方の上にエレナの顔があった。互いの距離が近すぎて、心臓が跳ね上がる。
「私が物心つく前に亡くなったらしいけどね……」
「ごめん……」
エレナにとってこの写真は、どんな想いが描かれているのだろうか。
「いいの、気にしないで。 私はその一言が嬉しい」
あわや、肩に乗りかかりかけていた頭がスッと引く。エレナはベッドに向かうと、端に置いてあったウサギのぬいぐるみを手に取った。
「これが、お母さんの形見……らしい」
娘に向けて自分で縫ったのか、所々に手縫いのミスらしき後が幾つかある。でも、それ以上に製作者が贈る相手に対しての愛情の方が深く滲んでいた。
「だから、そのぬいぐるみは私にとっての宝物」
「そっか……」
「……湿っぽい話はこれで終わり! 晩御飯の準備をしなくちゃ!」
「俺も手伝うよ」
ウサギのぬいぐるみを元の場所に戻した後、俺達は部屋を後にした。
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食事を作るエレナを俺は眺めていた。
叔父さんは村の人と家の売却の事で話があるらしく、帰ってくるのはとても遅い。ということはだ、この空間は俺とエレナの二人きり。
ヤバい……緊張してきた。
さっきから、エレナとまともに目が合ってないし。
これって絶対避けられてるよね、そうだよね!
異性と二人きりで夜を明かすってマジですか? 寝付ける自信が微塵も湧いてこない。
(気を抜くと、鼻血が出そうだ……)
緊迫した空気がその場を包んで離さない。
(何か会話の種を探さないと……何か会話の種を探さないと……何か会話の種を探さないと……)
頭が変になってパンクしそうだなどと幸せ回路の頭でいると、裏口の戸が乱暴に開いた。
扉は壊れるのではないかと心配するほどの強さで開かられ、大きな音が俺とエレナの意識をそこに集めた。
「おい! エレナとレイ君! 早くここから逃げるんだ!」
扉を開けたのは叔父さん。
それも焦りと恐怖が入り混じった表情をしていた。
「何があったの?」
「盗賊だ! それもモンスターを引き連れている!」
俺の幸せだった日常は、この機を境に急転直下で終わりを迎えた。