実食!
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口に入れた瞬間、俺は瞬時に悟った。
俺は今、食べ物に殺されかけている。
「うげっ……かぺっ……○✖︎△……」
ご、言葉が喉がら出でゴナイ……。
喉が焼け付くみたいに熱く、そして奥で何か得体の知れない化け物が力の限りにのたうち回っているかの様な激しい痛み。
常人ならばあっという間にノックダウンしてしまうであろう量の劇薬を間違って口に目一杯含んで飲み込んでしまった人の気持ちが痛く分かる。
普段食べている食べ物の美味しさを普通だと感じてしまっているが故に思い出すのは、その有り難さと安心感。
そして、反対に思い知らされるのは、この物体Xはとても人間の食べられる領域にいない食べ物ではないという事。
気絶しそうなのに気絶しないのが不思議な位にマズイ。
「え……言葉にならない位に美味しいの? 」
「ち、違っ……ゲッフォ! 」
「なら、今度はもっと食べたいだろうから他の所を全部食べさせてあげるね! 」
「ま、待っ……! 」
何をどう勘違いすればそんな思考に至るのか不思議でならないのだが、彼女は勘違いに勘違いを重ねて、椅子にもたれかかっていた俺に向かって近付いてくる。
逃げられるものならば、今すぐにでも逃げ出したい。そうしないと俺の命が危うくなるから。
だけど、それは出来ない。気持ち的に逃げられないとかじゃなくて、恐怖と、激しいショック、そして一番はあまりの味の酷さに体の全感覚が麻痺していて上手く動けないのだ。
強引な選択肢の潰し方。これはもうやり手の人間のやり口となんら遜色無い。
戦場では、敢えて兵士を殺さずに、周りの人間に助けさせたりする事で相手の戦力を削り取って戦局を有利に運ぶ事があると言う。今回はそれに近い状態にあるのかもしれないな。
逃げられる速度でゆっくり近付いてくるのに、逃げられないという恐怖がまた一層の絶望感をトッピングしてくれていた。
勿論、その手にはまだほんの一ブロックを命懸けで食べたばかりのパンの様な物体が握られていて、怪しい香りがタダでさえスクランブル状態の俺の胃をギュッと握って離さない。
これが胃袋を掴むって奴か……。
次に口に持って来られてるのは、か弱い力によって小さく纏められた核弾頭。威力は十分、俺の最終防衛ラインは紙屑の様に溶けてしまうこと間違いなし。
「ほーら、恥ずかしいのは分かるけど逃げないの! 具が飛び散ったりして汚れちゃうでしょ! 」
「ひっ……だずけで……」
「ほら、あーん」
「……むぐっ……」
涙で前が見えない俺の口へと優しく、優しくゆっくりと、母親が慈しむかの様に優しく口に捻じ込まれていく物体。
慈悲を乞うても許される事なく口へと運び込まれる爆薬は、口に入れて舌の上へと乗った瞬間に脳裏へ火花を散らす。
これ以上不味さで割り切れないモノを天才科学者が偶然にも割ってしまう事で生まれる、高速の不味さと不味さのぶつかり合いは、絶えず不味さのエネルギーを増大させながら周りのものを取り込んで不味さの世界に蹂躙していく。
料理に引き算は存在しない。だから、この料理は誕生した瞬間に人類として封印すべき黒歴史的な存在になるべきだと思う。そうしないと…… 人類は滅ぶ。
腕がダラリと力なく落ち、口からはみ出た未処理の核燃料が邪悪なオーラで顔全体を包み込んだ。
くさくて臭くてクサくて堪らない。味よりも先ずはそこがポイント。味は後から鎌を持った死神よろしく手を振りながら全力で大振りをかましてくる。
「そっかそっか……そんなに美味しそうに食べて貰えると、作った側としても嬉しいな……//」
天使が堕天すると、こんな感じになるのかも。
いつもなら、既に表情が青紫になっていて、泡を吐いて卒倒していても可笑しくなさそうな程に絶望的な料理を食べたのにも関わらず、俺の意識は鮮明としていた。
終わりたくても終われない、生殺しにも等しい痛みと苦しみが延々とループし続ける拷問状態が、果てしなく俺を深淵に突き落とす。
どうして……どうして俺は意識が落ちない……。
一念の思いで、原因を探る為に記憶の中を洗い出すと、一つだけ思い当たる節があった。
【ザ・カオス】……。俺が少し前に食べたばかりのダークマター。
あの一件で俺の胃が、精神力が失神の限界値を更に引き伸ばして俺の意識を繋ぎ止めているんだ。
なんと傍迷惑な話か、俺は死ぬに死ねない状態を延々と続けていた。
だ、誰でもいい……俺を殺してくれ。
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「レイ……レイってば! 」
「……俺は……生きているのか……? 」
「何を馬鹿な事言ってるの? 雨が弱まってきたから早く帰るよ」
「俺は……うっ! 胃がキリキリする……」
「幾ら美味しかったからって、あんなに一気に喉に詰め込むから息が詰まってヒーヒー言うんだって、私としては嬉しかったけどね」
消えそうで消えない意識の間で、無意識に俺は、地獄を終わらせる為に敢えて全てを口に詰め込んだのだ。それも一口で飲み込んだ。
喉が詰まった事もそうだが、慣れていた筈の胃袋もキャパシティラインを一気にメーター振り切って超えてしまい、俺はブラックアウトしていた。
「ニックとニックのお母さん、それにヒカリちゃんはもうお店の入り口で待ってくれてるし、残ってるのは私達だけなんだから! 」
「よし、今すぐここから出よう……」
新たな惨劇が起こる前に、事故現場であるここから……一刻も早く。
工房を出ると、入り口で頭を押さえているニックのお母さんと、仲良く二人で談笑していたヒカリとニックが待っていた。
「あ、アニキがやっと来たよ! 姉御のパンのあまりの美味しさに面食らってたって本当だったんだ! 」
「流石は僕らの兄貴だね! 誰にもあげたくなくて、一人で一気に口に放り込んじゃうんだもん、僕らも見てみたかったなぁ……」
や、止めとけ! とは、口が裂けても言えないのだけれど、周りに被害が出ていないのは……不幸中の幸いというか何というか。
「記憶が曖昧なのだけれど……私は確かみんなでパンを作っていて……ダメ、思い出せないわ……」
事故防衛の為に、記憶が改竄されてまでいるのはニックのお母さん。どうやらあの事は記憶から飛び抜けているらしい。
これで、ある意味犠牲者は俺だけな訳で、後腐れなくこのお店を出られるな。
「それじゃあ、今日はこの辺でお暇しますね。美味しいパンを作って食べれて本当に楽しくて嬉しかったです! 」
「また来てね! 絶対だよアニキ! 」
「次は……パン作り以外でな……うぐぅ……」
「姉御も足元滑るから気を付けて帰ってね! 」
「うん、ヒカリちゃんもありがとうね」
「また何時でも良いですから来てください。二人とも、喜んでお待ちしておりますから」
「はい! ありがとうございました! 」
三人に会釈をすると、ドアを少し開けてみて、風が店内に吹き荒ぶ事がないのを確認して外へと出る。
短いようで濃密だった一時。
こうして、料理の楽しさや恐ろしさを同時に味わった時間は終わり、多少は弱まったであろう雨の中を二人は傘を開いて歩き出した。




